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大森立嗣監督インタビュー:『タロウのバカ』で変えた自分、変わらず残った思い

Cinema

松本 卓也(ニッポンドットコム) 【Profile】

これまでに長編10作品を世に送り出し日本映画界をけん引する大森立嗣監督。今回11本目にして、20代前半に人生で初めて書いた物語を25年の歳月を経て映画化した。自らの原点に回帰した渾身の最新作『タロウのバカ』に込めた思いを語る。

大森 立嗣 ŌMORI Tatsushi

1970年、東京都出身。駒澤大学文学部社会学科卒業。大学の映画サークルで、自主映画の制作を開始。俳優として活動した後、荒井晴彦、阪本順治、井筒和幸らの現場に助監督として参加。2005年、荒戸源次郎のプロデュースにより、花村萬月の芥川賞受賞作『ゲルマニウムの夜』を初監督作品として映画化。ロカルノ国際映画祭コンペティション部門に正式出品。10年、オリジナル脚本の2作目 『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』が第60回ベルリン国際映画祭フォーラム部門の正式招待作品に。同年の日本映画監督協会新人賞受賞。13年、吉田修一原作の『さよなら渓谷』で第35回モスクワ国際映画祭審査員特別賞を受賞。同作と『ぼっちゃん』(2014)で第56回ブルーリボン賞監督賞を受賞。17年に『光』(原作・三浦しをん)、18年に『日日是好日』(原作・森下典子)、19年に『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』(原作・宮川サトシ)など相次いで話題作が公開。父は舞踏家で「大駱駝艦」創始者の麿赤兒、弟は俳優の大森南朋。

テーマって何?

ほぼ四半世紀に渡って温め続けた作品だけに、今回は「やりたい」という気持ちが特に強かったという大森監督。過去の長編10本のうち、自身のオリジナル脚本は2本。そのほかは小説を原作とする作品が5本、あとは漫画とエッセイ(『日日是好日』)だ。ジャンルや作風の異なるものに取り組みながら、何か共通して求めるものはあるのだろうか。

「原作物だったら、一読したときの印象で面白いと思ったものをやろうとしているだけです。自分のいる世界の外側に向かう力があるものに対して、素直に反応するんですよ。オリジナルだとそれがはっきり出てくる。原作物だとオブラートに包まれていながら、そういう匂いのするものに引かれている。僕の中では、茶室もその一つでした。究極はやはり、死という、絶対に分からないもの。自分自身が想像もつかないものに向かってみたいというのはあります。新しいものに出会って、自分を試して、自分も外側に一歩出てみようと。あとは人との出会いやタイミングが作品を決めますね」

©2019「タロウのバカ」製作委員会
©2019「タロウのバカ」製作委員会

作品に込めたテーマについてよく問われるが、その安易な問い方には反発を感じるようだ。

「明確なテーマがあるわけじゃないし、あるべきとも思わない。テーマを追いかけるのではなくて、このキャラクターたちを自然に追いかけたいんですよ。学校に行っていないとか、ピストルを偶然手に入れてしまうとか、物語の要素として出てきますが、それはテーマじゃない。具体的にどういうテーマを打ち出したいとか、どういうテーマにたどりつきたいとか、そういう風に映画作りをしてはいないんです。名前のない、学校にも行っていないタロウ。そういう1人の人間をどのように見つめ、どう向かい合うのか。でも、こういうことを強いメッセージとして言いたい、というわけではないんですよ」

言葉にならないものを、努めて言葉にして伝えようとインタビューに臨んでくれた大森立嗣監督。彼が『タロウのバカ』に注ぎ込んだものは、スクリーンを通して全身で体感するしかない。

インタビュー撮影=花井 智子
聞き手・文=松本 卓也(ニッポンドットコム多言語部)

©2019「タロウのバカ」製作委員会
©2019「タロウのバカ」製作委員会

作品情報

  • 監督・脚本・編集:大森 立嗣
  • 出演:YOSHI、菅田 将暉、仲野 太賀、奥野 瑛太、豊田 エリー、植田 紗々、國村 隼
  • 音楽:大友 良英
  • プロデューサー:近藤 貴彦
  • 撮影:辻 智彦
  • 製作:「タロウのバカ」製作委員会
  • 製作プロダクション:ハーベストフィルム
  • 配給:東京テアトル
  • 製作年:2019年
  • 製作国:日本
  • 上映時間:119分
  • 公式サイト:http://www.taro-baka.jp/
  • 9月6日(金)、テアトル新宿ほか全国ロードショー

予告編

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松本 卓也(ニッポンドットコム)MATSUMOTO Takuya経歴・執筆一覧を見る

ニッポンドットコム海外発信部(多言語チーム)チーフエディター。映画とフランス語を担当。1995年から2010年までフランスで過ごす。翻訳会社勤務を経て、在仏日本人向けフリーペーパー「フランス雑波(ざっぱ)」の副編集長、次いで「ボンズ~ル」の編集長を務める。2011年7月よりニッポンドットコム職員に。2022年11月より現職。

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