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映画『ジョアン・ジルベルトを探して』:〈不在の存在感〉を映像化したジョルジュ・ガショ監督にインタビュー

Cinema 文化

「ボサノバの神様」と呼ばれ、世界的に知られるブラジルの歌手・ギタリスト、ジョアン・ジルベルトが、7月6日に88歳の生涯を閉じた。映画『ジョアン・ジルベルトを探して』が日本で公開される矢先の出来事だった。驚きの手法を用い、詩情豊かにジルベルトの世界に迫ったジョルジュ・ガショ監督に話を聞いた。

ジョルジュ・ガショ Georges GACHOT

1962年、フランスのパリ郊外ヌイイ=シュル=セーヌ生まれ。フランスとスイスの二重国籍を持ち、現在はチューリッヒ在住。俳優やスタッフとして映像制作に関わった後、96年から監督として数々のドキュメンタリー作品を手掛ける。2002年にはアルゼンチンのピアニスト、マルタ・アルゲリッチを取り上げた『Martha Argerich, Evening Talks』でイタリア放送協会最高賞を受賞。96年から2012年の間に、コロンビアに関する5本のドキュメンタリーを、05年から14年の間にブラジル音楽をテーマにした3作品を監督。18年、『ジョアン・ジルベルトを探して』で新境地を開き、数々の国際映画祭に招かれる。

ドキュメンタリーと呼ぶには、かなり奇妙な作品だ。タイトルが示す通り、人前に姿を現さなくなって久しいジョアン・ジルベルトの居場所を探していくストーリーである。大まかにそう言って間違いはないのだが、それだけではない。探す対象のジルベルトは、フランツ・カフカが小説『城』で描いた城のように、近づいたかと思うと遠くにある。それを繰り返すうち、次第にその果てしない遠さばかりが感じられ、不在こそが存在の証しであるかのような迷宮世界に入り込んでいく。

ジョアン・ジルベルトのファーストアルバム『想いあふれて』 ©Gachot Films/Idéale Audience/Neos Film 2018
ジョアン・ジルベルトのファーストアルバム『想いあふれて』 ©Gachot Films/Idéale Audience/Neos Film 2018

中心が空洞のポートレート

日本での公開(8月24日)に先駆けて8月上旬に来日したジョルジュ・ガショ監督に取材する機会を得た。監督はこれまで、主にテレビ向けに音楽のドキュメンタリー作品を撮ってきた。ブラジルに長く滞在し、3本の作品を仕上げた。女性歌手のマリア・ベターニア、ナナ・カイミ、サンバのマルチーニョ・ダ・ヴィラと、いずれもブラジル音楽の重要人物にフォーカスしたものだ。

「ブラジルの音楽については、もう十分やりきった、これで終わり、という気持ちもあったのですが、いつも心に引っ掛かっていたのは、ジョアン・ジルベルトです。彼こそがブラジル音楽史のカギを握る人物と言っていい。彼のボサノバによる影響がなければ、今のブラジル音楽はまったく違ったものになっていたでしょう」

ジョルジュ・ガショ監督
ジョルジュ・ガショ監督

ガショ監督は、マリア・ベターニアの作品を撮影する際、同じく有名女性歌手のミウシャに出会った。ジルベルトの2番目の妻だ。

「ミウシャを通じてコンタクトが取れないかと、ジョアン・ジルベルトへのプレゼントを託したこともありました。彼女は渡したと言ったけど、本当に彼が受け取ったかどうかも定かではなかった。こんなことばかりで、どうも話は進まなかったんです」

そんなある日、偶然『オバララ:ジョアン・ジルベルトを探して』というドイツ語の本に出会った。「オバララ」はジルベルトのファーストアルバム『想いあふれて』の4曲目のタイトルだ。

マーク・フィッシャー著、Hobalala – Auf der Suche nach João Gilberto(Rogner & Bernhard刊)
マーク・フィッシャー著、Hobalala – Auf der Suche nach João Gilberto(Rogner & Bernhard刊)

「この本を読んで、アイディアがひらめいた。それは、ジルベルトの間接的なポートレートを描くことです。中心が空洞でも、つまり本人が不在でも、周りから人物を描けるのではないかと思ったのです。そのときはまだこの著者に会って話を聞くことを考えていました。ところがふと本の著者略歴に目をやると、3年前に亡くなっていたことを知ったのです」

著者のマーク・フィッシャーは1970年にドイツのハンブルクで生まれ、ベルリンで活動したジャーナリストだ。2010年10月から11月にかけてブラジルに滞在し、ジョアン・ジルベルトに会おうと周囲の多くの人々にコンタクトを取ったが、本人には会えずに終わった。ベルリンに戻って数週間でこの本を書き上げたのだが、出版の1週間前、40歳で自ら命を絶ってしまう。

「私は彼がどうして亡くなったのか、調査を始めました。彼がブラジルで接触した人たちは、すでに私の友人でしたから、彼らに尋ねて回ったのです。彼らは私にフィッシャーの映画を作る計画があると聞いて、とても感激していました。彼に何が起こったか、みんな知っていたからです。その著書はすでにポルトガル語に訳されてブラジルの書店に並び、誰もが読んでいたのです」

ブラジル取材中にマーク・フィッシャーのアシスタントを務めたハケル(左)とジョアン・ジルベルトの2番目の妻ミウシャ(右) ©Gachot Films/Idéale Audience/Neos Film 2018
ブラジル取材中にマーク・フィッシャーのアシスタントを務めたハケル(左)とジョアン・ジルベルトの2番目の妻ミウシャ(右) ©Gachot Films/Idéale Audience/Neos Film 2018

ジルベルトに直接取材ができなかったマーク・フィッシャーは、彼が得意とする「ニュー・ジャーナリズム」の手法で、ジョアン・ジルベルトの謎を解き明かしていく。つまり純粋に客観的な事実だけでなく、書き手の主観を交えて臨場感を作り出し、小説的に描いていくやり方だ。

「帰国後、彼はうつ状態になり、ジョアン・ジルベルトに訴えられるのではないかという強迫観念にとりつかれたようです。彼がそう思い込んでいたところもあるし、実際そういうことを言った人たちもいたのでしょう。私にも経験がありますからね。ブラジル人の中には、そんな風にあることないこと言って、利益を得ようとする人がいるのです」

見えないものを探す旅へ

こうしてガショ監督は、ジョアン・ジルベルトを探すマーク・フィッシャーの旅を受け継ぐことを決意する。それが冒頭に述べた「奇妙なドキュメンタリー」の形を取るに至るまでに、どのような経緯があったのだろうか。

©Gachot Films/Idéale Audience/Neos Film 2018
©Gachot Films/Idéale Audience/Neos Film 2018

「まず、この本の中から、映画の入り口になりそうな部分を探していきました。それを再現シーンにしたらいいのか、ドキュメンタリーのままで行くのか、あるいは単に本の抜粋をナレーションで聞かせながら映像を当てはめていくのか…、最初は分かりませんでした。そう考えていくうち、誰か第三者をレポーター役に立てて話を進めていくのは不可能だと気付きました。それで、今までやったことはなかったですが、私自身がカメラの前に出て行って、語ることにした。自ら探偵役になることを選んだのです。そうして書かれたのはまったくフィクションの脚本と同じでした。42のシーンがある物語です。もちろん、いくつか想定外の出来事を盛り込んだ場面はあります。撮影を始めてから、最初の部分は構成を変えることになりましたが、全体のおよそ8割はシナリオ通りに撮っていった。そして結末だけは、何も決めず空白にしておいたのです」

©Gachot Films/Idéale Audience/Neos Film 2018
©Gachot Films/Idéale Audience/Neos Film 2018

撮影は2つの期間に分けて行い、最初の撮影を終えてから10カ月して、いくつか付け加えるカットを撮っていった。最後のシーンはいつまでたっても撮れなかったという。編集には1年半かけた。

「私のこれまでに撮った正統派のドキュメンタリーと違い、今回はある人物に起こった悲劇をスタート地点にしている。そして私が、彼の役柄を演じるように登場する。自分の声で、彼の書いた文章を読み上げ、語り手となる。それが何カ月も続くのですから、なかなか辛いことでした。私は自分に問いかけざるを得ないわけです。私もマーク・フィッシャーなのではないか。彼のように脆(もろ)いのではないか。目標を見失ってしまうのではないか…。終わったときは正直ホッとしましたよ。これでようやくフィッシャーと距離を置くことができると。撮影の間は集中しているので、そこまでは考えませんが、撮り終わって編集の段階に入ると、重さがのしかかってきた。映画の中で、自分について語ること、自分をさらけ出すことが避けて通れなくなった。それまでは決してやりたくなかったことです」

サウダージ、音楽と時間

この映画にとって、「音楽が重要な役割を果たしている」のは言うまでもない。しかしこのありふれた言い方では、明らかにガショ監督の意図を捉え切れていない。

「物語の中に音楽が入ってくる。誰かが歌うとか、背景に聞こえてくる音楽のことを言っているのではありません。楽曲が登場人物となって、文字通りその役を演じるのです。それはある特定の状況でフィッシャーが出会った楽曲です。例えば、『想いあふれて』はジルベルトが録音した最初のボサノバの楽曲です。これをどのシーンで登場させるか、考えに考えて、シナリオの中で厳密に定めました。このようにして、音楽自体がこの映画の重要なシーンを形作り、物語るのです。私はこの方法を見つけてものすごく興奮しました。ジョアン・ジルベルトの芸術が持つ特別な価値を形にできたと思ったからです」

作曲家ホベルト・メネスカル(左)を訊ねる。1962年以来ジョアン・ジルベルトに会っていないという ©Gachot Films/Idéale Audience/Neos Film 2018
作曲家ホベルト・メネスカル(左)を訪ねる。かつての盟友も「1962年以来ジョアン・ジルベルトに会っていない」と話す ©Gachot Films/Idéale Audience/Neos Film 2018

『想いあふれて』の原題は『シェガ・ジ・サウダージ』。このポルトガル語の「サウダージ」という言葉が、この映画全編に通底するテーマを示している。ガショ監督によると「取り戻したいと切望しても手の届かない、失われた美しい時間への想い」…。英語やフランス語では、「郷愁」や「悲しみ」など複数の言葉を組み合わせてもなかなかしっくりこないという。

「ところが面白いことに、マーク・フィッシャーの母国語ドイツ語には『Sehnsucht』(憧れ)というぴったりの言葉があるのです。フィッシャーは、これがブラジル文化を解読するカギとなる言葉であることをよく理解していた。そして決して自分のものにできないブラジルに恋い焦がれたのです」

©Gachot Films/Idéale Audience/Neos Film 2018
©Gachot Films/Idéale Audience/Neos Film 2018

もう一つ、この映画のカギとなる言葉は「時間」だという。

「この映画のゆっくりしたテンポは、『伸縮自在』の時間に対応しています。それはボサノバに使われるテンポでもあります。ジョアン・ジルベルトは歌をメロディーとリズムに乗せるタイミングを即興で微妙にアレンジして変化を生み出しました。同じ音楽を常に違って聞こえるように演奏したのです」

ブラジル人の時間感覚は独特で、物事をうまく運ぶには、辛抱強く待ち、タイミングを見極めることが何より肝心だとガショ監督は言う。

「ですから、この映画でも、時間をかけてジョアン・ジルベルトに近づいていくことが重要でした。もっとうまい手を使えば、あっという間にジルベルトにたどり着けたかもしれない。でもそれは、マーク・フィッシャーに対する敬意を欠くことでした。ですからあくまで彼のやり方で進め、ジルベルトに関わるたくさんの人々に話を聞いていったのです。それにしても彼らの言うことはさまざまでした。もう何年も会ってない、食事を届けているが姿を見たことはない、いつも髪を切ってあげている、電話で話した…。しまいにジルベルトが本当に生きているのか確信できなくなったほどです」

しかしジョアン・ジルベルトは実在する——。それがこの物語を動かすテーマであり、永遠に終わりそうもない探求へといざなう強力な事実だった。だが私たちは今、それが永遠ではなかった現実に直面している。ジョアン・ジルベルトはもうどこを探してもいないのだ。

「1カ月前、ジョアン・ジルベルトが亡くなったと聞いて、思いもしなかった大きな悲しみに襲われました。彼は幸せだったろうか、死に際は安らかだったろうか…、そんな思いを巡らせました。それからたくさんの人々からお悔やみのメッセージが送られてきた。まるで父親を亡くした息子の気分でした。ヨハン・セバスティアン・バッハの臨終の言葉を思い出します。『私のために泣くな。もうすぐ音楽が生まれた場所へ行くのだから』。ジョアン・ジルベルトもあの世で、たくさんの仲間と音楽を楽しんでいるでしょう」

インタビュー撮影=花井 智子
インタビュー(フランス語)・文=松本 卓也(ニッポンドットコム多言語部)

©Gachot Films/Idéale Audience/Neos Film 2018
©Gachot Films/Idéale Audience/Neos Film 2018

作品情報

  • 監督・脚本:ジョルジュ・ガショ
  • 出演:ミウシャ、ジョアン・ドナート、ホベルト・メネスカル、マルコス・ヴァーリ
  • 配給:ミモザフィルムズ 
  • 協力:ユニフランス
  • 宣伝協力:プレイタイム
  • 後援:在日スイス大使館、在日フランス大使館、アンスティチュ・フランセ日本、ブラジル大使館
  • 製作年:2018年
  • 製作国:スイス=ドイツ=フランス
  • 上映時間:111分
  • 公式サイト:http://joao-movie.com/
  • 8月24日(土)より新宿シネマカリテ、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次公開

予告編

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