
『パラダイス・ネクスト』半野喜弘監督インタビュー:音楽と映画の異境へ
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映画界に入った偶然のきっかけ
音楽家として確固たる地位を築いている半野喜弘。四半世紀以上にわたり、エレクトロミュージックを中心にさまざまなジャンルのアルバムを発表し、その数は30作を超える。国内外のクラブミュージックシーンで知名度が高いが、コアな音楽ファン層を超えてより広く存在感を訴えるのは、映画音楽家としての活動を通じてであろう。これまでに手掛けた作品は本人の記憶によれば、大小取り混ぜて「たぶん30本くらい」に上る。
映画音楽の初仕事はホウ・シャオシェン監督の『フラワーズ・オブ・シャンハイ』(1998年)。ヨーロッパで発表したエレクトロミュージックの作品が注目を集めた頃ではあったが、それがいきなり巨匠の目に留まったきっかけは、運命のいたずらのようなものだった。この映画は台湾と日本の合作で、日本側の製作(松竹)が音楽に日本人を起用する提案を行い、候補のミュージシャンのCDをいくつか監督に送ることになったという。
「松竹の若い女性が渋谷のタワーレコードにサンプルを買いに行かされて、坂本龍一さんとか久石譲さんとか、いわゆる映画音楽の巨匠のCDを片っ端からカゴに入れてレジに行ったらしいんです。そのときたまたま僕の曲が店で流れていて、『Now playing』のカウンターに置いてあった僕のCDを、彼女が何気なく手に取って『じゃ、これも』って。そうしたら送ったサンプルの中からホウさんが選んだのがそのアルバムだったそうなんです。ある日、松竹から突然電話がかかってきて、ホウ・シャオシェンが音楽を頼みたがっているから、来週台北に行けるかと聞かれて。『よく分かんないけど…、行きます!』と(笑)」
映画と音楽に共通の体感
同作がカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品されるなど高い評価を受けると、半野には、当時まだ気鋭の若手監督だったジャ・ジャンクーからも、長編2作目『プラットホーム』(2000年)のオファーを受ける。これはベネチア国際映画祭で最優秀アジア映画賞に選ばれた。パリを拠点にするようになったのはこの頃だ。
「世界3大映画祭の2つに参加して、なんとなく世界の空気感をつかみかけた気がして。僕のやっていた音楽は西洋の音楽に根ざしていたり、アフリカにルーツがあったりしたので、どこかで自分の音楽はニセモノで、本場の人たちには通用しないんじゃないかというコンプレックスというか、恐怖みたいなものをずっと抱いていたんです。それを1回、白黒つけて、自分の音楽が一体何なのか確かめたいと思ったんですね」
その後もオファーがあるたびに映画音楽の仕事を続けながら、さまざまなプロジェクトを並行して進め、数々のアルバムを精力的にリリースしてきたが、常に自分自身の映画を作ることに興味があったという。
「自分のキャリア、人生、物の見方、感じ方、そういうものをひっくるめた何かを作ってみたい。そのときに既存のジャンルの中では映画という方法が一番近いのかなという気がしたんです」
映画となると、音楽とはかなり次元の異なる表現ではないかと考えてしまいそうだが、半野にとってあくまで音楽の延長線上にあった。
「僕にとっては音楽も映画もまったく同じです。どちらも時間軸をもった時間芸術じゃないですか。絵画とか写真は、前後に見えざる時間を内包し、いかにその瞬間を切り取るか、という表現ですが、映画や音楽は、作品とそれを見たり聴いたりする人が、ある一定の時間軸を共有するものです。そういう意味で近い部分をもっている芸術だと思うんです。僕の中に音楽的な体感というのが染みついているので、映画にもそれをストレートに出していけば、良くも悪くも自分にしかないものになるだろうと」
『パラダイス・ネクスト』の出発点
映画『パラダイス・ネクスト』より © 2019 JOINT PICTURES CO.,LTD. AND SHIMENSOKA CO.,LTD. ALL RIGHTS RESERVED
最初は友人と自主映画を作ろうという話になったという。いまから10年ほど前の話だが、それが今回の『パラダイス・ネクスト』の出発点でもあった。
「脚本を書くのも初めてで、書き上がるのに3年くらいかかった。外国が舞台で、日、英、中、3言語で展開する10人くらいの群像劇でした。出来上がった脚本をいろいろな映画会社の人に見せたんですが、相手にされなくて。頭おかしいのか?最初からこんな『ゴッドファーザー』みたいな大作が撮れるか!って(笑)。何しろ予算、撮影日数をはじめ、製作のことを何一つ知らなかったものですから、いま思えば当然なんですけどね」
その後、思い直して別の脚本を書いて短編や共同監督作品などを作り続け、初めて監督した劇場用長編映画が前作の『雨にゆれる女』(2016年、青木崇高主演)だった。ちょうどその頃、ある人物と出会って「一緒に何かやろう」と意気投合したとき、ふとあの最初に書いた脚本の主人公の姿がよみがえってきたという。嘘つきだが笑顔がチャーミングで何となく周りの人々を引きつけてしまう男…。
「気がついたら目の前に、年齢も笑顔もイメージにピッタリの俳優がいる!と思って。それが妻夫木君だったんです(笑)。それで彼に脚本を読んでもらったら『やりたい!』となって。そこからですね」
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