香取慎吾が傷だらけ泥まみれで挑んだ映画『凪待ち』
Cinema- English
- 日本語
- 简体字
- 繁體字
- Français
- Español
- العربية
- Русский
映画には「順撮り」といってシナリオに書かれた順番通りにシーンを撮影していく方法もあるが、実際はまれで、物語の順序とは関係なくバラバラに撮り進めるケースが圧倒的に多いようだ。予算や役者のスケジュール、その他の都合で、同じロケーションでのシーンをまとめて撮るなど、効率的な進行が組まれるのだ。これは役作りをする演技者にとってはなかなか混乱する状況であるに違いない。
『凪待ち』も多くの映画と同じように後者の方法で撮られた。プロダクションノートによると、クランクインの日、主演の香取慎吾は、もしかすると初対面かもしれない若い俳優にいきなり殴りかかっている。まともな人の普通の生活ではまず起こりえない。ところで、香取が映画の現場に入るやり方というのは独特らしい。白石和彌監督の話では、台本をもらって1回だけ読んだら、その印象を大切にして撮影までは一切読まず、あとは現場でテスト直前にセリフを頭に入れ、シーンに臨むという。
現場に入った役者にとって、出来事の脈絡や時間軸は必ずしも自明ではない。何も起こっていないのに突然泣き叫んだりしなければならないし、数十分前に起こったことが、何年も先の出来事だったりもする。愛する人の死を嘆き悲しんだかと思ったら、翌日はその人と他愛のない会話で笑い合うこともある。これが何日も続くのだから、普通の神経ならおかしくなってしまいそうだ。中には長期にわたって別の人格になり切り、心身をすり減らしてまで役にのめり込む俳優がいるそうだが、香取慎吾の場合は、役柄のスイッチを瞬時にオンオフすることで、正気を保つタイプと言えるかもしれない。
そんな一瞬で役に入り込む香取の演技が、この『凪待ち』の主人公の人生のパズルに見事にはまっていく。香取演じる郁男は、かつてギャンブルに明け暮れ、もはや自分に期待することを諦めてしまったような雰囲気を漂わせる男。どんよりと生気のない目をしているが、その奥に狂気の光がスパークする瞬間が時々ある。その静から動へと一気に転じる場面を、香取が全身で画面ごとなぎ倒すように作り上げるのだが、それはもしかすると、いわゆる役作りとは違う次元の方法なのだろう。
物語は、離婚歴のある年上の女性と籍を入れずに暮らす郁男が、高校生になる彼女の娘と3人で都会を出て宮城県・石巻にある彼女の実家で新生活を始めるところから動き出す。印刷工場に勤めて再出発を図る郁男だったが、ある夜、一家が巻き込まれた事件をきっかけに不幸のどん底へと突き落とされ、足を洗ったはずのギャンブルに再び手を染めてしまう...。
人生はいくつもの出来事で成り立っているが、当人にはその因果関係が見えていないことが多い。それはまさに映画の撮影と同じではないか。因果関係はあるようでいて、ない可能性もあるし、ないように見えて、あるかもしれない。人生のさまざまな場面は、おそらくそんなふうに、結末の見えないまま進んで行き、ほんの小さな瞬間に、考えなしにとった行動や放った言葉が、何かとんでもない結果を招いてしまうことがある。『凪待ち』はそんな知らぬ間に荒波に引きずり込まれてしまった人々の物語だ。
郁男は人の好意を裏切ってすべてを失い、泥の中をはいつくばり、傷だらけになって、だらしなく泣く。しかし郁男も、同じく人生を踏み外す他の男たちも、不思議と後悔を引きずっていないように見える。心の奥底には悔恨が澱(おり)のように幾層もたまっているには違いないが、その苦い汁を何度も反すうするほどウェットにはならず、もっとドライに観念している。後悔ほど生き続けるのに邪魔になるものはないのだ。だからどんなにひどい状況であろうと、後ろを振り返らずに、良くも悪くも前を向いて生きていく。それは、舞台となった震災の爪痕がいまなお残る漁師町の人々の生き方と重なるかもしれない。『凪待ち』というタイトルは、そんな「喪失と再生」の物語にこの上なくふさわしい。
文=松本 卓也(ニッポンドットコム多言語部)
作品情報
- 出演:香取 慎吾、恒松 祐里、西田 尚美、吉澤 健、音尾 琢真、リリー・フランキー
- 監督:白石 和彌
- 脚本:加藤 正人
- 製作・配給:キノフィルムズ
- 製作年:2018年
- 製作国:日本
- 上映時間:124分
- 公式サイト:http://nagimachi.com/
- 2019年6月28日(金)TOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー