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映画『104歳、哲代さんのひとり暮らし』:ドキュメンタリーの作り手が“人生の達人”を見つめ学んだこと

Cinema

松本 卓也(ニッポンドットコム) 【Profile】

100歳を過ぎても明るく「ひとり暮らし」を続けるおばあちゃんの日常を追ったドキュメンタリー。1月末に地元広島県で先行公開され、わずか5館で動員2万人超のヒットを記録した。満を持して4月18日から全国でも順次公開となり、満席の回が出るなど快進撃が続く。主人公の哲代さんは57年連れ添った夫に先立たれて約20年になるが、親戚や近所の人々に囲まれて笑い声の絶えない日々を送る。その姿からは、いわゆる「独居老人」にならない1つの理想像が浮かび上がる。3年にわたって取材した山本和宏監督に聞いた。

山本 和宏 YAMAMOTO Kazuhiro

1987年、広島県出⾝。『世界の⾞窓から』やNHKのドキュメンタリー番組を制作。『⼀万⼈のカリスマ!農業に⾰命を起こす “農チューバー”』(2019)で⺠間放送教育協会奨励賞、『これがおれたちの伝統 〜⼈と⿃がつないだ450 年〜』(21)と『被爆樹⽊の声を聴く〜広島の永遠のみどり〜』(22)で同会⻑賞を受賞。25年、『104 歳、哲代さんのひとり暮らし』で映画監督デビュー。

長生きは迷惑?

日本の100歳以上人口はこの20年で4倍以上となり、2024年に9万5000人を超えた。「人生100年時代」も夢物語ではなくなりつつあるが、その未来は日本人の多くにとって楽観的にはなりにくいようだ。

博報堂のシンクタンク「100年生活者研究所」が6カ国(日・米・中・韓・独・フィンランド)で行ったアンケート(24年)によると、「100歳まで生きたいと思うか?」という問いに「とてもそう思う」「そう思う」と答えた日本人の割合は27.5%で6カ国中最低。「迷惑をかけたくない」が主な理由らしい。

2024年春、104歳の誕生日を迎えた石井哲代さん ©「104歳、哲代さんのひとり暮らし」製作委員会
2024年春、104歳の誕生日を迎えた石井哲代さん ©「104歳、哲代さんのひとり暮らし」製作委員会

長生きは迷惑──そんなネガティブな考えを払拭するかのように、「人生100年」をおう歌する人がいる。

広島県尾道市に住む石井哲代さん。日本映画のレジェンド、三船敏郎や原節子と同じ1920(大正9)年生まれだ。小学校の教員として36年間勤めた後、民生委員として地域のために働いた。近所の人たちから今も「先生」と親しまれている。26歳で結婚し、夫を見送ったのは83歳の時。以来ひとり暮らしを続けるが、親族や地域のサポートを受けながら、尾道の豊かな自然に囲まれ、穏やかな日々を過ごしている。

地元では、中国新聞の連載で取り上げられ、RCCテレビ(中国放送)に登場する有名人。「人生100年時代のモデル」として注目され、『102 歳、ひとり暮らし。哲代さんの心も体もさびない生き方』と『103歳、名言だらけ。なーんちゃって』(中国新聞社/文藝春秋刊)は累計21万部を超えた(24年10月時点)。

RCCは22年から夕方の情報番組で不定期に哲代さんのひとり暮らしを追ってきた。その間に撮りためた映像を編集し直し、新たにリリー・フランキーのナレーションをつけて映画化したのが、『104歳、哲代さんのひとり暮らし』だ。

「密着」とは異なるアプローチ

映画は、入院していた哲代さんが久しぶりに家に戻るところから始まる。テレビ版でもディレクターを務めた山本和宏監督が振り返る。

退院した哲代さんを親戚や近所の人らが迎える。左は姪(めい)の弥生さん ©「104歳、哲代さんのひとり暮らし」製作委員会
退院した哲代さんを親戚や近所の人らが迎える。左は姪(めい)の弥生さん ©「104歳、哲代さんのひとり暮らし」製作委員会

「実はあの冒頭のシーンが『初めまして』でした。最初は1人で行ってiPhoneで撮影したんです。まずご挨拶してからが普通ですけど、退院という一発勝負のタイミングだったので、いきなり撮らせていただいて。映像を見ても、あれが初対面だとは思わないんじゃないですか? 僕も初めて会った気がしなかった。近所のおばあちゃんのような親近感がすぐに湧きましたね」

ここから3年にわたって追い続けるとはさすがに想像していなかったという。

「初回に反響があったので特集を続けることになりましたが、僕の中では撮影が楽しくて、また会いたいと思ったのが大きいですね。2~3カ月に1度くらいのペースで1回20分ほどの番組を作っていきました。誕生日、花見、墓参りなど、折に触れて取材させてもらって。取材中に『蔵の掃除をせにゃいけんのよねえ』と聞いたら、その時は撮らせてください、という感じで次の予定を決めていくんです」

姪の直江さん(左)と 墓参りをする哲代さん ©「104歳、哲代さんのひとり暮らし」製作委員会
姪の直江さん(左)と 墓参りをする哲代さん ©「104歳、哲代さんのひとり暮らし」製作委員会

高齢者が相手だけに、いわゆる「密着」取材とは異なる。

「ご負担をかけては絶対にいけないなと。なるべく短い時間で撮るようにはしましたが、お話が面白くて、毎回どんどん時間が過ぎていく。1回につき3~4時間。20分の特集が成立するだけのものが撮れたなと思ったら、もうちょっと居たいけど帰ろうと」

取材には、これまで多くの番組を手がけてきた山本監督が抱くドキュメンタリー観が反映されている。

『104歳、哲代さんのひとり暮らし』山本和宏監督(撮影:ニッポンドットコム)
『104歳、哲代さんのひとり暮らし』山本和宏監督(撮影:ニッポンドットコム)

「人の話を聞くのが大事と考えてきました。ちょうどいい距離感を心がけています。テーマの想定はありますけど、誘導しても『言わされている感』はすぐにバレますからね。時には適度な緊張感も必要ですが、今回は特に哲代さんや周りの方々と楽しくやることを重視しました。ただ、あまりにほんわかしただけだと、情報番組の中の特集として成り立たないので、『人生100年』に沿って毎回何らかのテーマを立てて。8月が近づいてきたら戦争の話を聞こうとか」

哲代さんの含蓄に富んだ数々の言葉も、かしこまったインタビューではなく雑談の中で拾われていく。

「近所の子とおしゃべりするような感覚だったんでしょうね。きょうはこれを聞こうというテーマはありますが、何より気持ちよくしゃべってもらえることが大事。急に面白いことを言い出しますし、何回も出てくる話はご本人にとって大切な思い出なんだなと分かってくるんです」

年季の入った包丁でネギを切る ©「104歳、哲代さんのひとり暮らし」製作委員会
年季の入った包丁でネギを切る ©「104歳、哲代さんのひとり暮らし」製作委員会

言葉だけではなく、お茶を入れる、梨をむく、味噌汁を作る、といった日常の身のこなしをじっくり見せようという意図も感じられる。そうするうち、いくら負担をかけまいと配慮していても「あれは撮っておきたい」という欲は出てくるのでないか。

「それはあります。哲代さんはすごくフラットな方で、提案すると何でも受け入れてくださった。デイサービスでの入浴シーンは、女性のプロデューサーに撮ってもらいました。コロナ禍だったし、さすがにお風呂までは無理だろうと思ったのですが、施設から許可をいただけて」

情報番組の特集から映画に

山本監督が「ぜひ撮りたい」と思った場面はほかにもある。7歳下の妹、桃代さんに会いに行くシーン。存命する唯一のきょうだいだ。10年ほど前に脳梗塞の再発で寝たきりになり、神戸の自宅に近い介護施設に入所している。妹のことを話すとき、いつもは笑顔の哲代さんの目にも涙がにじむ。

「いつ会えなくなるか分からないので撮ってほしいと姪の弥生さんが言ってくださった。コロナ渦で、スタッフが大人数で同行するわけにはいかず、この時も僕が1人でカメラを回しました」

わずか10分という限られた面会の間、身動きも会話もままならぬ95歳の妹に、102歳の姉(年齢は当時)がアクリル板越しに「桃ちゃん」と呼びかけ続ける。平穏に見えた日常の合間に訪れるそんな劇的な瞬間をカメラに収めたあたりから、映画化の構想が本格化していったという。

「それ以前から、哲代さんはテレビサイズでは収まらないなと思うようになっていました。当時はまだ漠然とではありましたけど、映画にできたらいいなと」

哲代さんの家は急な坂の上にある ©「104歳、哲代さんのひとり暮らし」製作委員会
哲代さんの家は急な坂の上にある ©「104歳、哲代さんのひとり暮らし」製作委員会

例えば哲代さんが家の前の急坂を1人で下りるシーン。

「テレビだと長くても10秒しか使えない。それが映画だとじっくり20秒かけられます。映画の尺を意識しようがしまいが、カメラマンはずっと回してしまうんですけどね(笑)。それだけ見ていられる。絵がもつんです」

数々の人物を取材してきた山本監督にとっても、こういう「絵になる」存在はなかなかいないのだという。引き合いに出したのは、世界的なピアニストの名前だった。

「フジコ・ヘミングさんを何度か取材したことがありますが、ああいう達人の域に達したオーラが哲代さんにもあるんですよ。哲代さんはアーティストではないですが、人間関係の達人、人生の達人だと僕は思っています。だから、ただ家の周りの雑草を抜いているだけでも撮りたくなる」

テレビにはないシーンも入れることができた。その1つが、哲代さんが妹について書いた詩をリリー・フランキーの朗読で見せる場面だ。

「面会から帰って詩を書いたというのは聞いていたんですけど、哲代さんがその詩を書いた紙をどこにしまったか分からなくなってしまって。後でプロデューサーと家の中を一生懸命探して見つかったんです(笑)」

教え子たちの同窓会で『仰げば尊し』を熱唱 ©「104歳、哲代さんのひとり暮らし」製作委員会
教え子たちの同窓会で『仰げば尊し』を熱唱 ©「104歳、哲代さんのひとり暮らし」製作委員会

家に住み続ける理由、長生きの秘訣

かわいらしいおばあちゃんの日常をほのぼのと描くだけの映画ではない。

「笑顔の裏にある屈託もあえて見せようと。そこから哲代さんがひとり暮らしをする理由が見えてくる。哲代さんの『本家を守る』という思いは古い価値観に縛られているのではないと思うんです。純粋に最愛の夫と過ごした家に住み続けたいんでしょう。親族の方々もそれを理解して支えているんですね」

哲代さんの自宅暮らしは、施設のデイサービスやショートステイを利用しながら無理なく続けられている。家にいる間は周りの人々の世話が必要にはなるのだが、「世話のされ方」がやはり達人なのだ。

足の具合を心配するみんなに哲代さんは「大したことない」と言うが…… ©「104歳、哲代さんのひとり暮らし」製作委員会
足の具合を心配するみんなに哲代さんは「大したことない」と言うが…… ©「104歳、哲代さんのひとり暮らし」製作委員会

「哲代さんも常々『迷惑かけるねえ』とおっしゃいます。でも、できないことを数えても仕方がない、できることをやっていく。頼れるものは頼る。こういう姿勢を多くの人が持てたらいいですよね。考えれば、病院や施設にいた方が本人も楽なはずなんです。でもそうすると、どこか衰えてしまう。時々入院もされますけど、家に帰りたいという思いが原動力になっている。だから寝たきりにならない。あの家に暮らすことが長生きの秘訣なのかなと思います」

高齢化の進む日本で、映画に出てくる様々な場面は誰にとっても他人事ではないだろう。カメラが追うのは哲代さんだが、その周りでケアをする人たちに目が行く観客も少なくないという。

「姪の弥生さんはこうおっしゃいました。哲代さんの長生きの秘訣は人のために行動すること。だから自分も哲代さんを支えながら元気をもらっているんだと。誰かのためだから動ける。自分のためだとさぼっちゃうじゃないですか。哲代さんが通う『仲よしクラブ』は、約50年前に地区の高齢者のために哲代さん自身が創設したものです。人にしてきたことが返ってきている。すごくいい循環だなと。今回そのエネルギーがさらに多くの人に循環していくのですから、映画化できてよかったなと思います」

©「104歳、哲代さんのひとり暮らし」製作委員会
©「104歳、哲代さんのひとり暮らし」製作委員会

取材・文:松本卓也(ニッポンドットコム)

©「104歳、哲代さんのひとり暮らし」製作委員会
©「104歳、哲代さんのひとり暮らし」製作委員会

作品情報

  • ナレーション:リリー・フランキー
  • 監督・編集:山本 和宏
  • 撮影:的場 泰平 筒井 俊行
  • 音響効果:金田 智子/整音:富永 憲一
  • プロデューサー:中村 知喜 古田 直子 出雲 志帆 髙山 英幸
  • 統括プロデューサー:岡本 幸
  • 制作:RCC
  • 協力:RCCフロンティア/公益財団法人 民間放送教育協会 中国新聞社
  • 後援:広島県 尾道市 府中市
  • 配給:リガード
  • 製作年:2024
  • 製作国:日本
  • 上映時間:94分
  • 公式サイト:https://rcc.jp/104-hitori/
  • シネスイッチ銀座ほか全国順次公開中

予告編

バナー写真:©「104歳、哲代さんのひとり暮らし」製作委員会

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    松本 卓也(ニッポンドットコム)MATSUMOTO Takuya経歴・執筆一覧を見る

    ニッポンドットコム海外発信部(多言語チーム)チーフエディター。映画とフランス語を担当。1995年から2010年までフランスで過ごす。翻訳会社勤務を経て、在仏日本人向けフリーペーパー「フランス雑波(ざっぱ)」の副編集長、次いで「ボンズ~ル」の編集長を務める。2011年7月よりニッポンドットコム職員に。2022年11月より現職。

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