
映画『ゆきてかへらぬ』:広瀬すず主演で描く奇妙な三角関係の詩学 根岸吉太郎監督が語る
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女優が出会った2人の天才
『ゆきてかへらぬ』は、詩人・中原中也(1907-1937)が書いた詩の題名である。中也は1937年10月に30歳の若さで亡くなったが、その前月に友人の批評家・小林秀雄(1902-1983)に2冊目の詩集『在りし日の歌』の原稿を託していた。「ゆきてかへらぬ」はその中の一篇だ。「――京都――」と副題がついており、16歳から18歳にかけて暮らした京都の日々を懐かしんだ詩のようだ。
映画『ゆきてかへらぬ』。長谷川泰子(広瀬すず)に振り回される中原中也(木戸大聖、左)と小林秀雄(岡田将生) ©︎2025「ゆきてかへらぬ」製作委員会
中也の死後37年がたった1974年、同じ題で1冊の本が出版された。『ゆきてかへらぬ─中原中也との愛』(2006年にタイトルの前後を入れ替えて再版)。著者は京都で中也と同棲し、一緒に上京した長谷川泰子(1904-1993)で、文芸評論家の村上護が聞き書きした回想録だ。
山口県の医者の家に生まれた中也は、幼少期は「神童」と呼ばれ、県立山口中学校に入った当初は成績優秀だった。しかし次第に不良になり、3年生で落第してしまう。1923年4月、京都の立命館中学に編入し、親元を離れて下宿生活を送ることになった。その翌年に出会ったのが、3つ年上の泰子だ。広島の女学校を出て京都の映画会社で大部屋女優をしていた。
アルチュール・ランボーの『地獄の季節』に夢中になる京都時代の中也 ©︎2025「ゆきてかへらぬ」製作委員会
2人は一緒に暮らし始め、1年後には東京へと居を移す。しかし蜜月はほどなく終わりを迎えた。上京して8カ月後、泰子は別の男と同棲するようになる。中也が詩人・富永太郎(1901-1925)を介して知り合った小林秀雄。東京帝国大学(現・東京大学)仏文科に通う俊英だ。泰子との破局後も、中也は小林との交友を続け、泰子にも会っていた。小林は当時を振り返り「奇怪な三角関係」と述懐している。
この数年間の人間模様を中心に描き、映画にしようと考えたのが脚本家・田中陽造だった。シナリオを書いたのは今から40年以上も前のこと。企画が浮かんでは消えるうち、脚本はプロデューサーや監督の間ではひそかに知られる存在になっていたようだ。
意気投合する中也と小林に当惑する泰子 ©︎2025「ゆきてかへらぬ」製作委員会
40年前の脚本を今の若い俳優が演じること
そんな「幻のホン」の映画化がついに実現した。監督は『遠雷』(1981)や『探偵物語』(83)で知られる根岸吉太郎。田中とはにっかつロマンポルノ時代の『女教師 汚れた放課後』(81)以来、前作の『ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜』(2009)まで過去4度にわたりタッグを組んだことがある。
「中原中也の詩には若い頃から親しんでいて、彼の恋人が小林秀雄のもとへ行ってしまったという文学史に残るスキャンダルも知っていました。非常に興味深い出来事だと思っていたんです。それを題材にした脚本があることは、前からうわさになっていました。何年前か記憶していませんが、その陽造さんのシナリオを手に入れて読むことができた。素晴らしい脚本だなと。その当時からずっとやりたいと思っていて、その気持ちを人に伝えていましたね」
大正の終わりから昭和の初めにかけて展開する“時代物”であるため、40年以上前の脚本でも物語を作りかえる必要はない。今回の映画化にあたり、どの程度まで脚本に手を入れたのだろうか。
「せりふ回しはほぼオリジナルのままです。文学的で非常に美しい日本語でしたから。あの時代の人たちが使っていたであろう、きちっとした言葉遣いですね。ただ、これを今の若い俳優たちが演じて成立させなくてはいけない。それを考えて、陽造さんに書き直してもらいました。あとは僕の希望として、彼らの青春にもっと強く光が当たるようにしたかった。若い人たちが自分に向き合って格闘しているさまを、時間をかけて見せたいと」
長谷川泰子を広瀬すず、中原中也を木戸大聖、小林秀雄を岡田将生が演じることになった。現代的な役柄で見慣れている俳優たちが、明治生まれの人物を違和感なく体現するのは至難であろう。
「泰子という人物は、一貫していないのが難しい。時や相手によって変化していかなきゃならないし、歳もとっていく。広瀬さんは、しっかりと台本から役柄を読み取ってくれたと思います。中也役はオーディションで何十人もの候補の中から探しました。決め手は木戸くんの初々しさと目の輝き。岡田さんは小林という人物を周到に考えて臨んでくれました。新しい役柄に挑戦していたと思いますよ。小林がしっかりしていたから、木戸くんも思い切りぶつかっていけたんじゃないかな」
小林は泰子との生活に疲れたことを中也に打ち明ける ©︎2025「ゆきてかへらぬ」製作委員会
監督から俳優に対して人物の性格や心情を説明することは一切ないという。
「本当に何も言っていないんですよ。そこに座ってくれとか、ここで向こうに行ってくれ、こっちに酒を取りに来て、そのセリフで立ち上がって、最後まで言い切ってくれとか。体の向きやセリフのタイミング、動きを指示するだけです。そうすることで役者が気付くことがあるんじゃないかと勝手に思っています」
例えば映画の冒頭、泰子が手にした柿を高く持ち上げて眺める場面がある。
「普通はそんなこと誰もしないんですよ。でもそうやってと言う。理由は言いません。広瀬さんも『はい、分かりました』しか言わない。そうした動作の積み重ねによって、この人はそういう人なんだということがつかめてくる。芝居のヒントになっていく。それが僕の考えなんです」
小林は美しい泰子から目が離せない ©︎2025「ゆきてかへらぬ」製作委員会
詩を志向する無垢な魂
中也、泰子、小林の間で、若い肉体のぶつかり合いと錯綜した心理劇が、いびつな三角形を描いて展開する。監督自身は田中陽造の書いた脚本をどう解釈したのだろうか。
「物語は基本的に1人の女性がどう生きたかを描いています。たまたま出会ったのが、天才的な詩を書く年下の男と、理知的で博識な年上の男だった。それが後世に名を残す詩人と文芸評論家になるわけですが、面白いのは2人がまだ社会的にそこまで認められていない時に、互いの才能を誰よりも認め合っていたことなんです。単にある男から別の男に乗り換えた話ではない。その男同士が特殊な波長で響き合いながら、相手に羨望(せんぼう)や嫉妬も感じていた。そういう不思議な感情のやりとりの上を泰子が歩いていくんです」
それは詩人と批評家という、言葉に対するスタンスの取り方が180度違う2人の間にこそ生まれたドラマだったのかもしれない。泰子は「神経でつながっている」中也と、「高みから俯瞰(ふかん)する」小林のどちらも恐れ、精神の均衡を失っていく。
「あの時代の稀有(けう)な人たちの話ではありますけど、今もどこかに転がっていそうな話でもある。才能のある男たちの間で揺れ動く女性なんて、どこにでもいるじゃないですか。だからこの映画を見るのに、文学史的な知識はまったくなくてもいいと思いますよ。伝記的な要素はそこまで重要ではないと考えました。ただやっぱり、中也が切実に詩を書きたいと願っていた背景はとても重要だから、映画の中にいくつか詩を挿入したんです」
そこに根岸監督は中也の詩作の転機となる『朝の歌』を選んだ。泰子が去って間もない1926年の作で、のちに出版された生前唯一の詩集『山羊の歌』に収められた一篇だ。
「中也の代表作の多くは、亡くなった後に出版されました。それらを書いたのは、泰子との関係が終わった後です。その中に京都時代を振り返った『ゆきてかへらぬ』もあった。貧乏だったけど、泰子がいたせいか、青春の甘酸っぱさが感じられる。その時代をそんな風に振り返ることのできるすがすがしさが中也にはあると思いますね」
主人公は泰子だが、彼女の回想録がそうであったように、映画でも泰子の目を通した中也の無垢(むく)な輝きが胸を打つ。根岸監督は、泰子が小林と連れ立って中也と暮らした家を出ていく印象的な場面を振り返る。
「出ていく女の引っ越しを手伝ってしまうとか、へんてこな優しさがあるんですよね。だから僕は中也に狂気を感じないんです。強いこだわりがあったり、枠に収まらなかったり、場の空気を読めなかったりする破天荒なところがあったとは思うけど、一方で非常に冷静に、生きることの悲しみを受け止めて、詩に昇華した人ですよね。泰子に去られたこと、弟を亡くし、息子を亡くしたこと……。だから映画では、切実に詩を志し、女性に対して真摯(しんし)に向き合って生きた、若い中也を見てもらいたい思いも強くあるんです」
インタビュー撮影:五十嵐 一晴
取材・文:松本 卓也(ニッポンドットコム)
作品情報
- 監督:根岸 吉太郎
- 脚本:田中 陽造
- 出演:広瀬 すず、木戸 大聖、岡田 将生
田中 俊介、トータス松本、瀧内 公美、草刈 民代、カトウシンスケ、藤間 爽子、柄本 佑 - 配給:キノフィルムズ
- 製作年:2025年
- 製作国:日本
- 上映時間:128分
- 公式サイト:yukitekaheranu.jp/
- 2月21日(金)より、TOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開
予告編
バナー写真:映画『ゆきてかへらぬ』の根岸吉太郎監督(撮影:五十嵐一晴)