映画『不思議の国のシドニ』:伊原剛志、世界的な大女優と「フランス語でセッションできた」
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主人公はフランスの女性作家シドニ(イザベル・ユペール)。何年も前に書いたデビュー作が日本で再版されることになり、出版社の招きで初めて日本を訪れる。だが彼女には未知の国を旅することにためらいがあった。
映画の序盤は、そんな彼女の異国でのとまどいを一風変わったユーモアで見せていく。日本人の観客の中には、日本にそっくりな別の国を旅しているような不思議な感覚に襲われる人がいるかもしれない。だが初めて日本に降り立った外国人ならこんな印象を持つこともあるのだろうと思わせる。
シドニの不安は、案内役の編集者、溝口健三(伊原剛志)の存在によって少しずつ和らいでいく。フランス人が敬愛する映画監督とは一字違いの名前。若い頃にパリに留学した経験があってフランス語を話すが、無愛想で口数は少ない。だがやがて、その寡黙さがシドニにとって心地よくなっていく。
日本で取材を受けるシドニは、自身の孤独を隠さず語る。その姿を見守る健三も、徐々にシドニに対して心を開き始める。誰にも話せない心の傷を互いに打ち明けることで、2人の距離が近づく。そしてさらにそれがぐっと縮まるきっかけの1つには、シドニが日本にいたからこそ体験できた、不可思議な出来事があった──。
大女優とフランス語で通じ合えた瞬間
映画史に名を刻む数々の巨匠と仕事をしてきた大女優、イザベル・ユペールを相手に、揺るぎない存在感を示した伊原剛志に、全編フランス語で演じるという初めての体験について聞いた。
―寡黙な人物の役でしたが、セリフはたくさんありましたね。
「ほぼイザベルとの会話だけで進んでいきますからね。フランス語はボンジュール(こんにちは)、メルシー(ありがとう)、サヴァ?(元気?)くらいしか知らなかったから、大変でしたよ。自分ではちゃんとできているのか判断のしようがないけど、監督がOKを出してくれたからいいのかなって。Rの発音は最後まで苦労しました」
―監督のエリーズ・ジラールとは、コロナ前の2019年にキャスティングで来日した時に初めて会ったそうですね。出演はどのように決まったのですか?
「面接方式のオーディションを受けました。その時は大筋しか知らなくて、自分がフランス語で演じるなんて思いもしなかった。フランス語だと聞いた時は『いやいや英語にしませんか』と提案したくらいなんです。英語で芝居することにはある程度慣れていましたから。そうしたら監督が、『これはフランス映画ですから、フランス語でやるんです』と言って譲らなかった。でもまさか全部フランス語だとは思いませんでした(笑)」
―セリフはどのように覚えましたか?
「まずは、かなりゆっくり、普通、少し早めのスピードに録音してもらったテープを何度も聞いて覚えました。でもそこに感情を乗せていかないと伝わりませんよね。撮影前の4カ月間くらい勉強しましたが、新型コロナで撮影が延期になってしまい、1年後に再開する前にまた4カ月ほど学びなおしました。その時は、監督が自らリモートでセリフの練習に付き合ってくれました。撮影の間も、付いてくださったバイリンガルのスタッフに、細かいニュアンスをどう伝えたらいいか教えてもらって」
―特に苦労したことは?
「イザベルが日本に着いたその日に、本読みがあったんですよ。誰一人としてフランス語以外しゃべらない中にポツンと入れられて。台本にもフランス語しか書かれていない。ほかの人のセリフもあれば、ト書きもあるじゃないですか。だから付いていくのに必死で。あれ、今どこを読んでいるんだろう? もう俺のところに来るの……って(笑)。あれは久々に緊張した本読みでしたね」
―実際に撮影に入ってからは?
「撮影初日の終わりに、イザベルが僕にフランス語で話しかけてきたんですよ。『いやあ、僕、フランス語話せません』って英語で返したら、エッと驚かれて。その時に、ああフランス語がしゃべれると思ってもらえてたんだって、ちょっと安心しましたね」
―世界的な大女優との共演はいかがでしたか?
「京都での撮影の最初の頃に、一緒にご飯を食べながら、彼女が思いを語って涙するシーンがありました。撮影の手順として、まず彼女だけを撮る。僕は映らないけど、向かい合わせに座って話すんです。長いシーンだったので、本当は台本を持ちたいんですけど、彼女は僕の目を見て芝居しているから、それができなかった。仕方なく台本は脇に置いて。その時に会話が通じていると感じられましたね。フランス語でちゃんとセッションできているなと」
―まさに壁を越える瞬間ですね。この映画のテーマでもあるような。
「この映画に描かれているのは、過去の出来事からくる心の痛みを持つ者同士が、痛みを理解するからこそ、分かり合えるってことですよね。ただ、そこまで深く観てもらわなくてもいいんですよ。やっぱりこれは恋愛の話ですからね」
―伊原さんくらいのベテランになると、年上の女性と恋に落ちる役なんてあまりないのでは?
「まあね(笑)。これまでだと、海外の男性が日本の女性と恋に落ちるというパターンはありましたけど、この話は逆で、新鮮なんじゃないですかね。それにエンディングがしゃれてて、まさにフランス映画って感じですよね!」
―外からの視点による日本の描き方についてはどう思いましたか?
「僕は子どもの頃、大阪に住んでいたので、遠足で京都とか奈良に行きましたけど、当時はつまんなくて(笑)。年を取ってようやく、神社仏閣の良さが分かってきました。海外の人にとっては驚くことがいっぱいあるんでしょうね。印象深かったのは、日本人の死者とか霊に対する考え方に興味があるんだなってこと。人々が死者の魂と対話する、監督が日本に一番ひかれたのはそこなんでしょうね」
還暦過ぎて「役者が楽しい」
伊原は昨年、60歳となりデビュー40年という節目の年を迎えた。1982年にジャパンアクションクラブ(JAC)に入団してこの世界に入り、その翌年に舞台でデビュー。2006年にはクリント・イーストウッド監督『硫黄島からの手紙』の「バロン西」役で、主演の渡辺謙と二宮和也に劣らぬ存在感を世界に示した。2011年にはブラジル映画『汚れた心』で主役を務め、プンタデルエステ国際映画祭の主演男優賞を受賞している。
―JACの先輩だった真田広之さんが『SHOGUN 将軍』でエミー賞を獲りましたね。伊原さんも世界で活躍してきましたが、感じるものはありましたか?
「真田さんとは、たまにロサンゼルスに行くと、会ってご飯を食べたりするんです。アメリカで長く続けている姿を見て、本当にすごいなと思っていました。でも僕は、日本をベースにやっていきたいですね。機会があればどこへでも行きますけど。これからもいろんな国で仕事したいなとは思っています」
これまで落語やボクシングなどさまざまなことに挑戦し、自身の公式チャンネルで発信。今年に入ってからも、シェークスピア劇に挑んだほか、ピアノの難曲『ラ・カンパネラ』をマスターするなど、世間を驚かせ続ける。
―常に新しい体験を貪欲に求めているように見えます。
「いやあ、普段は酒飲んでばっかりで何もしないから、仕事にかこつけて自分にむち打つのが好きなんですよ。特に60歳になったあたりから、ようやくベクトルが自分に向いてきました。子どもが大学を卒業して肩の荷が下りたんでね。俺の親父としてのとりあえずの役目は終わった、よし、これからは自分だけのためにやろうと(笑)。役者の仕事が楽しいな、もっと仕事したいな、そう思えるようになりましたね」
撮影:花井智子
取材・文:松本卓也(ニッポンドットコム)
作品情報
- 監督:エリーズ・ジラール
- 出演:イザベル・ユペール、伊原剛志、アウグスト・ディール
- 製作年:2023年
- 製作国:フランス・ドイツ・スイス・日本
- 上映時間:96分
- 提供:東映
- 配給:ギャガ
- 公式サイト:https://gaga.ne.jp/sidonie
- 12月13日(金)シネスイッチ銀座ほか全国順次公開