本木雅弘主演『海の沈黙』:巨匠・倉本聰の原作・脚本を映画化、若松節朗監督の仕事術とは?
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『海の沈黙』は、ある事件をきっかけに理不尽な形で表舞台から姿を消した天才画家の物語。彼が胸に秘めてきた想い、美と芸術への執念、“忘れられない過去”が明らかになっていく。東京、京都、そして長年にわたり倉本作品の舞台となってきた北海道で撮影。運河沿いの小樽の街を背景に倉本聰ならではの「至高の愛と美」が描かれる。
世界的な画家、田村修三(石坂浩二)の展覧会会場で、作品の1つが贋作(がんさく)であることが判明した。連日、報道が過熱する中、北海道で全身に入れ墨の入った女の死体が発見される。この2つの事件の間に浮かび上がったのは、かつて“新進気鋭の天才画家”と呼ばれるも、ある事件を境に人々の前から姿を消した津山竜次(本木雅弘)。当時の竜次の恋人で、現在は田村の妻である安奈(小泉今日子)は、夫に内緒で北海道へ向かい、もう会うことはないと思っていた竜次と小樽で再会を果たす。竜次は病に冒されていた。残り少なくなった日々、彼は何を描き、何を思うのか──。
巨匠から監督の指名を受けて
倉本聰が新作を書き下ろす。その監督をオファーされて、興奮や緊張を感じない人など恐らくいない。しかし、監督・若松節朗の反応は冷静だった。
「僕はテレビドラマの演出が長かった。当時シナリオライターの代表格は山田太一さん、倉本聰さんです。倉本さんとは20年ほど前に渡哲也さん主演のドラマでご一緒しています(2005年放映のドラマ「祇園囃子(はやし)」)。大変厳しい方と聞いておりましたが、とても真摯(しんし)に脚本の疑問に応えていただきました。あれから20年たちまして、この映画のお話には戸惑いがありましたが、とてもうれしいことでもありました」
第一稿を読んだ感想は「先生、勝負に出たな!」だった。そこには倉本作品と聞いてイメージする世界観を感じなかったという。
「大テーマは美とは何か。雄大な自然を背景に父と子が織りなす人間賛歌ではなく、東京下町の不器用な人たちが繰り広げる人情劇でもなく……。僕の感性では美に追いつけないと思い断りを入れました。すると間もなく『富良野に来てください』と倉本さんから連絡が入ったのです」
行けば「やらないという選択肢はないのでは」という思いが頭をよぎったが、会いに出かけた。倉本は煙草をくゆらしながら笑顔でこう言ったという。「どうすれば監督を引き受けてくれるのかなあ」
「今がチャンスとばかりに勇気を持って倉本さんに考えをぶつけました。還暦を迎える前の男と女。本木さんと小泉さんなら当然ラブストーリーじゃないですか、とね。僕がとても興味のある物語だったのです」
大脚本家を前に、ひるまず主張した監督には、今なおエンターテイメント業界のど真ん中で生きている自負があった。
「長年この企画を温めてきた倉本聰の美とは何か。そして追憶のラブストーリーとは。議論を重ねた結果、美の本質を追求すると同時に、愛情の記憶の中に35年ぶりの再会を描いてくださいました。慈しみに満ちた素敵なシーンでした」
倉本聰のシナリオがすごい理由
ずっと倉本のシナリオに憧れていた若松が特に好きなのは、「倉本さんの内に煮えたぎる、世間に対する反発」だという。『海の沈黙』にもそんな「激しい怒りの火種」を感じた。
例に挙げたのは、美術界の大家である田村に対して、竜次の“番頭”を自任する謎の男スイケン(中井貴一)が直言する場面。「竜次やスイケンが田村に抱く怒りは、倉本先生ご自身が抱えているものだと思う」と話す。
だが世間一般の見方では、今や倉本聰その人が権威であるのも否めないのではないか。
「権威には違いないですが、何でこんなに優しいんだろうと思うような面もたくさんあるんですよ。どうしても腑に落ちないセリフがあって先生に相談すると、見事に書き直してくださった。具体的にはスイケンと竜次が病室で話すシーン。そこにゴッホのエピソードを入れて、支える側と支えられる側、男2人の関係図が素晴らしく見えるようになった。感動しましたね」
倉本の脚本には、セリフとセリフの間の「間(ま)」はもちろん、音楽の始まりから終わりまで厳密に書き記されている。
「倉本さんの間(ま)の意味、心情を端的に短い言葉で表現するすごさ。例えば『―うん』や『―ああ』といった一言の中に、実はかなり大きな世界が表現されているのを学びとることができます。僕が教本にした名作ドラマも皆そうでした。セリフを一字一句変えないのが基本ですが、そんなルールがあったわけではありません。倉本さんは誤解だと言ってましたね(笑)。倉本さんの映画を作ろう!と心に誓いました」
人任せが監督術のカギ
巨匠を相手に真正面から接したからこそ、信頼を得られたに違いない。そのフラットな姿勢はスタッフに対する振る舞いにも表れている。完成披露試写の際、若松監督がステージ上から客席にいるスタッフの名前を呼び、観客に紹介したことが印象に残っている。
「いつも自分を支えてもらっているという感謝の気持ちからです。いい監督であるには、スタッフを信じて任せることですね。人間は求められるとがぜんやる気になって、2倍、3倍の力を発揮するんです。僕がこの年まで監督をやれているのも、人任せで“いい加減”だから。“加減がいい”というのかな。だらっとするのが好きなんだけど、やるときはやる。自分だけではできないことを、みんなの頭や手を借りてね」
美術が主題の本作では、絵画監修の高田啓介氏の存在が大きかったという。
「竜次のアトリエに置く油絵を高田さんに依頼しましたが、完成した絵を置くとどうもしっくりこない。無理を承知でサイズを100号から130号に変更してくれないかとお願いしました。『油(絵具)は乾くまで1週間以上かかるから、絶対無理!』と断られましたが、粘ったら2日で描き直してくださった。わがままな監督だとあきれられたでしょうね」
これまで数々の大作で、何人もの大物俳優とも渡り合ってきた。その方法論は「とにかく対話する」こと。
「まずは相手の話をじっくり聞く。それから『分かった。そっちの言い分を3つ聞こう。その代わり俺の言い分も2つ聞いてくれ』と言えば大体まとまります。今回は本木さんと撮影前に納得いくまで語り合った。それで大丈夫。『期待してます!』の一言だけ。あとは全部任せちゃう。そうすると自分からどんどんやってくれるんです。竜次が海中で目を開けているのだって、彼の提案ですよ。僕からはとてもそんな要求できません(笑)」
小泉今日子には「アヌーク・エーメでお願いします」と、フランスの往年の大女優の名前を出すだけで分かってもらえたという。中井貴一への注文もたった1つ、「魚のさばき方だけ練習しておいて」。
「待機中も黙々と魚をさばく練習をしている。おい、さすがに平目を使いすぎだろうと思うぐらいにね(笑)」
今回のキャストにおける最大の難題は石坂浩二演じる「田村をいかに若く見せるか」だった。
「本木くんと石坂さんが同窓生の設定ってどういうことですかと。その辺は倉本先生も結構いい加減で、『いや、それは見る側の問題だから大丈夫だよ』って(笑)。双方が歩み寄ってくれたおかげで、何とかなったんじゃないでしょうか」
「ヨーイ!」がおざなりだといい画は撮れない
若松監督がたった一言ヒントを伝えるだけですぐさま対応できるのも、ベテランがそろう現場なればこそ。それはさながら、才能と個性にあふれるミュージシャンから成るオーケストラを指揮するようなものではないか。
「僕みたいにいい加減なオヤジが現場の最前線にいても、スタッフが同じ方向を向いているから安心してもらえる。役者たちは監督をよく見ていますね。だから胸襟(きょうきん)を開いて、僕はこういう人間ですよと早めにバラす。うれしければ笑うし、つまらなければ嫌な顔をする。子どもみたいで分かりやすいというのはあるでしょうね。だから不安な時は向こうから『もう1回やりましょうか?』と言ってきてくれる。OKなら歩み寄って固く握手するだけ。でも『ヨーイ、スタート!』の掛け声は、ただ大声を出しているわけではなくて、僕自身が役者と同じくらいのテンションまでちゃんと達していないと掛けられない。『ヨーイ!』がおざなりだと、いい画(え)が撮れないんです」
最後に「1人でも多くの人に見てもらいたいので、僕も必死」と自らすすんでチラシを手にポーズを取ってくれた若松監督。「完成披露試写の後、スタッフからメールをもらいました。『あんな風に紹介してもらえてうれしかった。最高に幸せでした』って」。そんなすてきなやりとりにも監督の仕事術がのぞけた気がした。
取材・文・撮影=渡邊玲子
作品情報
- 出演:
本木 雅弘
小泉 今日子 清水 美砂 仲村 トオル 菅野 恵 /石坂 浩二
萩原 聖人 村田 雄浩 佐野 史郎 田中 健 三船 美佳 津嘉山 正種
中井貴一 - 原作・脚本:倉本 聰
- 監督:若松 節朗
- 製作:曵地 克之
- プロデューサー:佐藤 龍春 製作会社:インナップ
- 配給・宣伝:ハピネットファントム・スタジオ
- 製作国:日本
- 製作年:2024年
- 上映時間:118分
- 公式サイト:https://happinet-phantom.com/uminochinmoku/
- 11月22日(金)TOHOシネマズ 日比谷他全国ロードショー
予告編
バナー写真:倉本聰原作・脚本、若松節朗監督の映画『海の沈黙』に主演の本木雅弘 ©2024 映画『海の沈黙』INUP CO.,LTD