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「猫が生きていける町はいい町だ」:〈観察映画〉の探究者、想田和弘が『五香宮の猫』を作りながら発見したこと

Cinema

『五香宮の猫』は岡山県牛窓(うしまど)にある神社を主な舞台に、そこに住みついた数十匹の猫と周辺に暮らす人々の日常を追ったドキュメンタリー。国内外で高い評価を受けてきた想田和弘が新参の住民となった海辺の町で、猫と人が共生する様子を静かに見つめた。ひたすら観察することで世界のありようはどう見えてくるのか、「観察映画」の名手に話を聞く。

想田 和弘 SODA Kazuhiro

1970年栃木県足利市生まれ。東京大学文学部宗教学・宗教史学科卒。スクール・オブ・ビジュアルアーツ映画学科卒。これまでに11本の長編ドキュメンタリー映画を発表し、国際的に高い評価を受ける。『選挙』(2007) が米ピーボディ賞に、『精神』(08) が釜山国際映画祭とドバイ国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞に輝いたほか、数々の受賞歴がある。『観察する男』(ミシマ社)、『The Big House アメリカを撮る』(岩波書店)、『なぜ僕は瞑想するのか』(ホーム社/集英社)など9冊の単著を出版。フォトエッセイ集『猫様』(発行:ホーム社/発売:集英社)が2024年10月18日刊行。

想田和弘は、東京大学を卒業してニューヨークに渡り、名門スクール・オブ・ビジュアル・アーツで映画を学んだ。2007年より、台本がなく、説明を排した「観察映画」の手法を用いてドキュメンタリーを撮り、主に海外で高く評価されてきた映画作家だ。

4年ぶりの新作となる『五香宮の猫』も、日本での公開に先駆け、ベルリンをはじめとする国際映画祭で上映され、評判を呼んだ。2021年に27年暮らしてきたニューヨークを離れ、岡山県の牛窓に移住してからの第1作で、観察映画を撮り始めて以来10作目(2010年発表の“番外編”『Peace』を含めると11作目)となる記念すべき作品だ。

瀬戸内海に面した牛窓港(岡山県) © 2024 Laboratory X, Inc
瀬戸内海に面した牛窓港(岡山県) © 2024 Laboratory X, Inc

猫にカメラを向ける理由

牛窓は想田作品のプロデューサーを務める妻・柏木規与子の母の故郷であり、想田が過去に2本の作品を撮影した地。本作は牛窓港の近くにある五香宮(ごこうぐう)が主な舞台となる。この神社には数十匹の野良猫が住みつき、近年は猫を目当てにやってくる観光客もいるという。

丸々として毛艶のよい猫ばかりだ。観光客や住民がくれるエサのほかに、防波堤の釣り客から獲物のおすそ分けをもらうこともある。神社の境内は、雨風をしのぐ場所にも事欠かない。だがよく見ると、そのほとんどは片耳の先端がV字型にカットされている。これは避妊や去勢を済ませた目印。野良猫を捕獲し(Trap)、避妊去勢手術を施して(Neuter)から、元の場所に戻す(Return)ことで猫の生活を守る「TNR活動」によるものだ。

映画『五香宮の猫』より © 2024 Laboratory X, Inc
映画『五香宮の猫』より © 2024 Laboratory X, Inc

このTNRをきっかけに、想田は五香宮でカメラを回すことになる。妻の柏木が活動に参加しており、ある日「一斉捕獲」が行われると聞いて、カメラを持って現場に向かったのが本作の撮影の始まりだ。事前のリサーチはせず、ほぼ行き当たりばったりに撮影に入るのが観察映画の流儀なのだ。

「僕の場合、常に映画のテーマは後から発見されるものなんです。今回も映画になるかどうか分からないまま、とりあえず撮ってみようかなと思ってカメラを回し始めました」

元々、想田にとって猫は非常に近い存在だった。それは過去の作品の随所に猫が登場することからも分かる。子どもの頃から家には必ず「野良出身」の猫がいて、生活の風景にはごく自然に猫の姿があった。

「長い年月をかけて、僕なりの“猫観”が形成されてきました。猫は人が所有するものではないという考えです。猫には猫の人生、いや“猫生”(笑)があって、独立した存在なんです」

牛窓の猫は子どもに触られても平気 © 2024 Laboratory X, Inc
牛窓の猫は子どもに触られても平気 © 2024 Laboratory X, Inc

しかし人間が管理する社会では、猫が自由に“猫生”を謳歌(おうか)できる環境は限られている。想田には「野良猫が生きていける町はいい町だ」という持論がある。

「猫を受け入れる鷹揚(おうよう)さ、いい加減さがこの社会にあってほしい。いい加減は“良い加減”ですからね(笑)。そういう場所にはたぶん、社会から外れてしまった人も生きていける余地があると思うんです。そうでないと、例えば公園からホームレスの人を追い出すような、異分子を排除する方向に向かってしまう。それが人間の幸福につながるのか、僕は非常に疑問を感じています」

釣り客は猫にモテモテ © 2024 Laboratory X, Inc
釣り客は猫にモテモテ © 2024 Laboratory X, Inc

小さな港町で猫について語るタブーとリスク

TNR活動についても、本心ではもろ手を挙げて賛同しているわけではない。あくまで人間の都合で繁殖を抑制する「暴力」に自分も手を染めているという自覚がある。

「友達になった猫がお腹をすかせていたり、困っていたりしたら、助けたくなるのが人情じゃないですか。でも住民の中には、エサをやることに反対する人もいる。だから人目を忍ぶように世話をせざるを得ない。柏木がTNRに参加したのは、その後ろめたさもあって(笑)。猫の害を訴える方々に納得してもらう妥協策なんですね。ただ、それを徹底すると、本当に猫がいなくなってしまうので、気持ちとしては非常に複雑ではあるんですよ。自然のサイクルを人為的に断ち切ることなので」

TNR活動で捕獲された猫たち © 2024 Laboratory X, Inc
TNR活動で捕獲された猫たち © 2024 Laboratory X, Inc

映画は、瀬戸内海に面した港町の牧歌的な日常風景を映しながら、コミュニティーが抱える問題の秘められた核心へ、じわじわと接近していく。

「牛窓で猫について語るのはやはりタブーなんですよ。猫を世話する人たちと、猫に困っている人たちにはっきり分かれますから。そこをみんな表立っては話さない空気があった。そんな中でこういう映画を撮るのは、非常に危ういことなんです」

猫が増えて困ると言うのは大人たちだ © 2024 Laboratory X, Inc
猫が増えて困ると言うのは大人たちだ © 2024 Laboratory X, Inc

タブーを破り、リスクを冒しながら対象に迫るのが、想田ならではのドキュメンタリー作法だ。それは、川崎市議会の選挙戦に密着し、日本型民主主義の核心を突くことになった『選挙』や、地方の精神科クリニックで医師や患者、スタッフに話を聞き、現代人の精神のありように迫った『精神』から一貫して変わることがない。

「こういう作品を発表することで、猫に危害が及ぶ、あるいは捨て猫が増えるなど、予想されるリスクはあります。でもそれを上回る意義もあるんじゃないかと。タブーを扱うとはいえ、テーマありきではないので、問題をクローズアップして入り込んでいく作り方ではないんです。あくまで自然と表層に現れた出来事だけを撮る。今回も、撮っていくうちにコミュニティーというテーマが見え隠れするようになりました」

神社の公共性をめぐる思考

想田が牛窓のコミュニティーに見いだしたのは、対立をゆるやかに解消する「社会のあるべき姿」だった。

「対立が激しく表面化することはあまりないし、異なる意見を言い合うことがあったとしても、そこで決着はつけない。それは牛窓に息づいてきた知恵のような気がします。違いを受け入れることで維持される人間関係があるんじゃないか。それは今の世の中が向かっている、敵と味方にはっきりと分けて、相手を徹底的にやっつけるしぐさやメンタリティーとは違いますよね」

古民家を再生した憩いの場に集う住民たち。猫への思いはさまざまだ © 2024 Laboratory X, Inc
古民家を再生した憩いの場に集う住民たち。猫への思いはさまざまだ © 2024 Laboratory X, Inc

こうしたコミュニティーの中心で神社という空間が果たす役割にも気付かされた。その発見が撮影初期の原動力になったという。

「TNR活動の様子を撮ろうと五香宮に2、3日張り付いてみると、いろんな人がいろんな理由でやってくることに気付くんです。神社って誰もが自由に出入りできる非常に不思議な公共性がある場所なんですね。住民にとっては精神的な支柱でもある。外からも人がやってきて、内と外の交差点にもなる。そういう場所だからこそ、猫も住みつくことができる。こういういろんなことをだんだんと発見するんです」

由緒書きの屋根で雨宿り © 2024 Laboratory X, Inc
由緒書きの屋根で雨宿り © 2024 Laboratory X, Inc

想田が撮影を通して積み重ねた発見は、やがて現代社会が抱える問題に一石を投じるようなテーマ性を帯びていく。

「発見されるものは何でもいいわけですよ。まず僕自身が驚きたい。ドキュメンタリーを撮ることで、今まで持ってきた世界観が崩れるような体験をしたいんです。それが観察という行為に内包されているんですね。何らかのテーマ性を帯びるのは、あくまでも結果なんです」

とはいえテーマには、やはり作家自身の主体的な選択が入り込んでくるのは避けられないはずだ。

「常識とされているものを覆す何かを、僕が無意識のうちに求めているんでしょうね。世の中の常識や趨勢(すうせい)が、生きにくさや対立の原因を生み出しているところもありますからね。僕自身が生きにくさを感じてきたので、『そうでなくてもいいんじゃないの?』という問題意識はずっと持っています。そんなに競争して、もっと速く、もっと多く、もっと強くって、毎日毎日やらなくていいんじゃないかってね」

「ままかり」をもらってご満悦 © 2024 Laboratory X, Inc
「ままかり」をもらってご満悦 © 2024 Laboratory X, Inc

観察映画の極意とは

編集の過程でも発見はある。むしろ編集しながら考え抜くことが、テーマの発見へとつながっていくようだ。

「僕は編集の前にもテーマを設定しないんです。テーマに合った素材だけを都合よく使うことになってしまい、発見がなくなってしまうので」

編集ではまず、面白いと思った70から80ほどのシーンをつないで「第一編」を作る。

「第一編はいつもまったくつまらない。僕も柏木も見ながら居眠りをするくらい(笑)。こんなつまらないものを撮ったのかと死にたくなる。でも死なないんです。最初は絶対そうだから。そこから引いたり足したり順番を入れ替えたり、何回も何回もやっていくうちに発見がある。全体を貫く流れが、ある瞬間に突然、顔を出すことがあるんです」

© 2024 Laboratory X, Inc
© 2024 Laboratory X, Inc

そんな瞬間を醍醐味(だいごみ)として活動を続けてきた作り手に、最後に「観察映画」を撮る極意を聞いてみた。毎回、事前のプランなく虚心に撮ることなどできるものだろうか?

「難しいですよ。過去の成功例を繰り返せば楽ですから、パターン化してきて、そこに安住したくなる。でもそれをやれば予定調和になって、発見がなくなってしまいます。そうしないための方法が観察なんですよね。観察するんだ。よく見て、よく聞くんだ。その原点に返りさえすれば、必ず何か発見があり、それを素直に映画にすればいい。妻に言わせると、僕は普段の生活でまったく観察できていないので、映画を作る人でよかったって(笑)」

インタビュー撮影:花井智子
取材・文:松本卓也(ニッポンドットコム)

© 2024 Laboratory X, Inc
© 2024 Laboratory X, Inc

作品情報

  • 監督・製作・撮影・編集:想田 和弘
  • 製作:柏木 規与子
  • 配給:東風
  • 製作年:2024年
  • 製作国:日本
  • 上映時間:119分
  • 公式サイト:gokogu-cats.jp/
  • 10月19日(土)より[東京]シアター・イメージフォーラム、[大阪]第七藝術劇場ほか全国順次公開中

予告編

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