ニッポンドットコムおすすめ映画

映画『ナミビアの砂漠』:山中瑶子監督が河合優実の身体で描く千通りの感情

Cinema

自主制作映画『あみこ』を引っ提げ、弱冠20歳で鮮烈な世界デビューを果たした山中瑶子監督。その待望の新作『ナミビアの砂漠』は、今年のカンヌ国際映画祭「監督週間」に正式招待され、女性監督として史上最年少で国際批評家連盟賞を受賞した。いま最も勢いのある女優、河合優実を主演に迎え、一人の女性の波打つ感情を多彩に描き込んだ唯一無二の快作だ。

必ずしも映画ファンとは限らない広い読者層を想定しながら映画の紹介をしている立場として、常々「これは観たほうがいい」などと差し出がましい言い方はしたくないと思っている。しかしこの『ナミビアの砂漠』はそう言うしかないと思わせてしまう作品だ。

それは、ここ何年かの日本社会とそこに暮らす日本人の姿を眺めながら、その間に世に出た数々の映画を観てきた中でこの作品に出会い、しみじみと沸いてきた感想だ。「それってあなたの感想ですよね?」と言われてしまいそうなので、そこを少しでも納得してもらえるように書いてみたい。

映画『ナミビアの砂漠』より。「は? ヤバいな、お前」—歌舞伎町の路上スカウトに突っかかるカナ(河合優実) © 2024「ナミビアの砂漠」製作委員会
映画『ナミビアの砂漠』より。「は? ヤバいな、お前」—歌舞伎町の路上スカウトに突っかかるカナ(河合優実) © 2024「ナミビアの砂漠」製作委員会

この時代に生きるほぼ誰もが、さほど敏感でなくても、世界、人類、日本、日本人について、「いったいどうなっていくの?」と不安を感じているはずだ。映画には、そんな日常に新たな気付きを与えてくれたり、あるいは忘れさせてくれたりする力がある。しかし、世界を変えるほどの力はあるだろうか。たとえ信じたくても、小さな諦めがいつも心のどこかにあるのではないか。

ただ少なくとも、人を変える力はある。だから出会いを求め続けなくてはならない。この世には、たくさんの才能が日々現れては消え、あるいは埋もれたままになっている。『ナミビアの砂漠』は、山中瑶子という稀有な才能の持ち主のもとにすぐれた人々が集まり、実を結んだ作品であるのは間違いない。あとはそれに出会うか出会わないか、出会ったなら何を感じるかだ。

タトゥーショップで恋人用に絵柄を考案するカナ © 2024「ナミビアの砂漠」製作委員会
タトゥーショップで恋人用に絵柄を考案するカナ © 2024「ナミビアの砂漠」製作委員会

日本映画界の“アンファン・テリブル”

躍進著しい女優・河合優実の存在は気になっても、『あみこ』を観ていなければ、山中瑶子監督の新作と聞いたところで、そこまでの期待感はないかもしれない。

『あみこ』は2017年、20歳になって間もない山中が、若手監督の登竜門となる自主制作映画の祭典、ぴあフィルムフェスティバル(PFF)のコンペティション部門に応募した初監督作だ。高校を卒業して半年しか経っていない19歳の秋、初めて脚本を書き、その後の半年でスタッフ集めから、キャスティング、撮影、編集まで、走り抜けるようにして作り上げた。

制作の疾走感がそのまま刻まれたような手触りの同作は、「PFFアワード2017」で観客賞と「ひかりTV賞」の二冠に輝く。ちなみにPFFアワードのひかりTV賞とは、「既存の概念、枠組みに捉われず、最新の技術や新たな表現方法にチャレンジしている作品に対して贈られる」とある。

その後『あみこ』は、ベルリン国際映画祭のフォーラム部⾨に史上最年少で招待されたのを皮切りに、数々の国際映画祭で賞賛を浴びることになる。ニューヨークで同作を鑑賞した故坂本龍一もその新感覚に瞠目(どうもく)した1人だ。当時「今後の作品が楽しみだなあ」とコメントしている。

『ナミビアの砂漠』ロケ中の山中瑶子監督 © 2024「ナミビアの砂漠」製作委員会
『ナミビアの砂漠』ロケ中の山中瑶子監督 © 2024「ナミビアの砂漠」製作委員会

しかし往々にして、自主制作で放った強烈な生(なま)の輝きは、職業的なスタッフやキャストといわゆる「商業映画」を作ると死んでしまう。だが山中瑶子は、そうした不幸な先例をものともせず、初の商業映画として取り組んだ『ナミビアの砂漠』で着実にスケールとパワーをアップしてカンヌにお目見えし、国際批評家連盟賞をさらってみせた。

日本人としては黒沢清(『回路』)や濱口竜介(『ドライブ・マイ・カー』)らに続く6人目の受賞で、さらに女性では国籍を問わず史上最年少の快挙だ。芸術分野における型破りな若き才能を指して、フランス語で「アンファン・テリブル」(恐るべき子ども)というが、日本映画界から、ついにその呼び名に真にふさわしい存在が現れたと言っていい。

河合優実が体現する新しいヒロイン像

今回『ナミビアの砂漠』で初めてタッグを組む監督と主演女優の間には、ちょっとした因縁がある。山中は7年前、『あみこ』を観て衝撃を受けた高校3年生の河合優実から、女優になる決意をしたためた手紙を手渡されていたのだ。その少女が数年後には有言実行を果たし、年を追うごとにスクリーンで強烈な存在感を放っていく姿には大いに触発されたに違いない。

山中は企画段階から河合を主役に想定して、新作の構想に入ったという。やがて企画が実現し、まぎれもない同志となって一緒に作り上げたのは、これまでの映画にほとんど類を見ない新しいヒロイン像だった。

二日酔いの朝、冷蔵庫からハムを取り出してそのまま頬張るカナ © 2024「ナミビアの砂漠」製作委員会
二日酔いの朝、冷蔵庫からハムを取り出してそのまま頬張るカナ © 2024「ナミビアの砂漠」製作委員会

主人公は21歳のカナ(河合)。友達からカフェに呼び出され、深刻な話を切り出されるが、どこか注意力は散漫で、本題から外れたディテールに反応したり、周囲の話し声に気を取られたりして、話し相手の心の動きに共鳴するようすが見えない。

ただ、ひとしきり話を聞いてからの別れ際、友達から一人になりたくないと訴えられると、それを突き放すほど冷淡にはなれないらしい。だがホストクラブへ連れて行きはするものの、しばらくして彼女を置き去りに店を出てしまう。近くで男と会う約束をしていたのだ。

カナはクリエイターのハヤシ(金子大地)と付き合い始める © 2024「ナミビアの砂漠」製作委員会
カナはクリエイターのハヤシ(金子大地)と付き合い始める © 2024「ナミビアの砂漠」製作委員会

その恋はまだ始まったばかりのようだ。甘い時を過ごした相手(金子大地)と別れて帰り着いた先には、同棲する彼氏(寛一郎)が待っている。朝が来れば前夜の魔法は解けていて、カナはくわえタバコで自転車をこぎ、仕事に向かう。職場の美容脱毛サロンでは、マニュアル通りに客と接して無表情に施術をこなし、やがて一日が終わる。

同棲するホンダ(寛一郎)は出張中の出来事をカナに打ち明ける © 2024「ナミビアの砂漠」製作委員会
同棲するホンダ(寛一郎)は出張中の出来事をカナに打ち明ける © 2024「ナミビアの砂漠」製作委員会

砂漠のオアシスに湧き出る泉

ここまでを導入の20分で見た観客は、すでにカナの一挙手一投足から目が離せなくなっている。やがてその先に、彼女の人間関係がいくつかの出来事の重なりとともに変転していくのを見るだろう。ふとした拍子に心に生じた引っかかりが、とげのように刺さって抜けず、カナの内面をじわじわとむしばみ、物語は心理サスペンスの様相を帯びていく。

恋人と二人きりの親密な空間も、実は絶えずまわりの世界から脅かされている。一歩外へ出て人々と交われば、真意の読めない言葉や身ぶりや視線にあふれ、目を凝らすとあちこちに邪悪なサインが見えてくる。それらは一見、何の脈絡もなさそうでいて、カナの内面を通すと微妙な論理でつながってくる。そんな感情の移ろいを山中監督は巧みに描き出していく。

キャンプに連れてこられ、初対面の人々の間で退屈するカナ © 2024「ナミビアの砂漠」製作委員会
キャンプに連れてこられ、初対面の人々の間で退屈するカナ © 2024「ナミビアの砂漠」製作委員会

セリフは登場人物たちの考えや感情を都合よく説明する道具にはなっていない。私たちが日常で使う言葉のように、相手に何らかの行動を促すシグナルであったり、あるいは単に何の目的もなく相手との時間をやり過ごす手段であったりするだけだ。説明がつかずに宙ぶらりんになった感情は、やがて激しいアクションとなって爆発する。

越してきたマンションでは、生活音が隣室へ筒抜けのようだ © 2024「ナミビアの砂漠」製作委員会
越してきたマンションでは、生活音が隣室へ筒抜けのようだ © 2024「ナミビアの砂漠」製作委員会

『ナミビアの砂漠』は、感情の表現に並外れて豊かなバリエーションで迫った映画だ。これに比べると、多くの作品が凡庸な感情の表現に甘んじてきたのが分かる。涙や笑顔や怒鳴り声だけでは、決して表せない感情がたえず私たちの胸に渦巻いているというのに。そんな波のように複雑に揺れ動く感情を、山中監督は何気ない会話や表情、アクションやショットを変幻自在に用いて、観客にキャッチさせる。

山中瑶子監督 © 2024「ナミビアの砂漠」製作委員会
山中瑶子監督 © 2024「ナミビアの砂漠」製作委員会

ダークな心の深淵を覗き込ませておいて、独特のユーモアで突き放す語り口には、近年の日本社会に感じるせせこましい倫理観からいとも軽やかに跳躍し、それをこっぱみじんに粉砕する爽快感がある。ある人にとっては、最近観た中で最高の青春映画になるかもしれない。こういう不思議な新しさに満ちた作品こそが、世の中を動かす力を持っているのではないだろうか。山中瑶子と河合優実という、いまの時代と社会を鋭く見抜き、それに抵抗できる表現と身体を持った才能の登場が頼もしく感じられるはずだ。

© 2024「ナミビアの砂漠」製作委員会
© 2024「ナミビアの砂漠」製作委員会

© 2024「ナミビアの砂漠」製作委員会
© 2024「ナミビアの砂漠」製作委員会

作品情報

  • 脚本・監督:山中 瑶子
  • 出演:
    河合 優実
    金子 大地 寛一郎
    新谷 ゆづみ 中島 歩 唐田 えりか
    渋谷 采郁 澁谷 麻美 倉田 萌衣 伊島 空
    堀部 圭亮 渡辺 真起子
  • 製作年:2024年
  • 製作国:日本
  • 企画製作・配給:ハピネットファントム・スタジオ
  • 公式サイト:happinet-phantom.com/namibia-movie/
  • 全国公開中

予告編

バナー写真:映画『ナミビアの砂漠』主演の河合優実 © 2024「ナミビアの砂漠」製作委員会

映画 若者 映画祭 女優 映画監督 Z世代