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藤本タツキ原作の映画『ルックバック』:創作の喜びと苦悩に満ちた新たな傑作アニメーションの誕生

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2021年7月、集英社のコミック配信サイト「少年ジャンプ+」で配信開始されるや、わずか1日で閲覧数250万を突破した長編読み切り漫画『ルックバック』。世界的人気を誇る漫画家・藤本タツキによる傑作が、“天才アニメーター”と評される押山清高の手でアニメーション映画化された。

原作者・藤本タツキのパーソナルな物語

累計発行部数2600万部、日本のみならず海外からも大きな支持を集めるコミック『チェンソーマン』。第1部「公安編」の連載が2020年12月をもって終了したあと、作者の藤本タツキが、第2部を手がける前に発表したのが『ルックバック』だった。メガヒット作品にひとつの区切りをつけたあと、藤本がどんな物語を描くのか? 当時、多くの読者や業界関係者がこの作品に熱い視線を向けていた。

それは、漫画家を目指す少女たちの物語だった。小学4年生の藤野は、学年新聞で4コマ漫画を連載し、クラスメートから画力をたたえられる少女。情熱や努力を表に出さず、「忙しかったから5分で描いた」ととぼけてみせる、そんなプライドの持ち主だ。しかしある日、藤野は不登校の同級生・京本が学年新聞に描いた漫画を見て、その才能に驚き、嫉妬する。

やがて、藤野と京本はひょんなことから出会い、意気投合して、ひとつの漫画を一緒に描くことになった。こうしてプロの漫画家への道を進みはじめたふたりだったが、その夢には思いがけない現実が降りかかり──。

少女ふたりのみずみずしい青春物語が、胸をえぐる展開に変貌する © 藤本タツキ/集英社 © 2024「ルックバック」製作委員会
少女ふたりのみずみずしい青春物語が、胸をえぐる展開に変貌する © 藤本タツキ/集英社 © 2024「ルックバック」製作委員会

この物語が、作者の藤本にとって“個人的な物語”であることは明らかだった。主人公である「藤野」と「京本」の姓は、自身の名字である「藤本」をふたつに分けたもの。劇中には藤本の母校である東北芸術工科大学が登場するほか、藤野が連載する漫画『シャークキック』は、自らのデビュー作『ファイアパンチ』をもじったものだ。

映画化にあたり、藤本は『ルックバック』について、「自分の中にある消化できなかったものを、無理やり消化するためにできた作品」だったとコメントを寄せている。映画版の監督・脚本を務めた押山清高も、この漫画を読んだとき、藤本に対して「共鳴するところがあった」そうだ。

創作者の孤独と苦悩、喜び

押山は『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』(09)や『借りぐらしのアリエッティ』(10)、『風立ちぬ』(13)などに作画スタッフとして携わった俊英。『ルックバック』ではキャラクターデザイン・作画監督・原画を兼任し、映画の大部分を自ら描いたといわれるように、この作品には藤本と同じ“絵描き”の、また創作者の情熱が随所ににじんでいる。

映画が始まると、カメラは満月に雲が少しかかった夜空から、回転しながら家々の光をとらえる。部屋の中には、暗い部屋でデスクライトだけをともし、右手に鉛筆を握りしめる少女の後ろ姿。なにやら考え込みながら、時々頭をかき、ひたすらに鉛筆を走らせている。机上の鏡には、彼女の真剣な表情が映る──。

たとえば、このオープニングは藤本の漫画にはなかったものだ。しかしそこでは、たった一人で机に向かいながら格闘する、創作者の孤独で静かな時間が早くもスクリーンに刻まれる。そのひそかな戦いがあるからこそ、藤野は京本の登場に心をかき乱され、絵を評価されれば大きな喜びを感じるのである。そして絵を描きつづける以上、彼女がその戦いから逃れられることはない。

アニメーションを描く人びとの「戦い」を全編に感じる映画でもある © 藤本タツキ/集英社 © 2024「ルックバック」製作委員会
アニメーションを描く人びとの「戦い」を全編に感じる映画でもある © 藤本タツキ/集英社 © 2024「ルックバック」製作委員会

原作に極めて忠実な映画化だが、押山の脚色は、全編を通じて創作者の喜びと苦悩、ひたむきさと孤独が強調されている(原作と比較すると、構成やせりふに細やかな調整が施されていることがわかる)。藤野役の河合優実、京本役の吉田美月喜も、少女/創作者たちの未成熟かつ繊細な心の動きを、ともに声優初挑戦とは思えない好演によって表現した。

「時間」を紡ぎ出すアニメーションの快感

コミックを実写化・アニメーション化した作品は、国内外を問わず星の数ほどある。しかし、この映画版『ルックバック』の特別なところは、たしかな“時間”が作品のなかに流れているところだ。漫画というメディアにはありえない“時間”が、物語にかけがえのない厚みをもたらしている。

たとえばそれは、藤野が机に向かって漫画を描いているだけの時間であり、京本の才能に挫折を味わいながら道をとぼとぼと歩く時間であり、藤野の突然の訪問に驚いた京本が家を飛び出してくる瞬間であり、自分の才能を認められた京本が雨の中を踊りながら帰る時間だ。

その“時間”のなかでは、漫画のコマの「間(あいだ)」にあったであろうものが、画面上でいきいきと躍動し、観る者の胸にそっと迫る。アニメーションならではの興奮と快感だ。

haruka nakamuraによる劇伴音楽もふたりの物語を効果的に牽引する © 藤本タツキ/集英社 © 2024「ルックバック」製作委員会
haruka nakamuraによる劇伴音楽もふたりの物語を効果的にけん引する © 藤本タツキ/集英社 © 2024「ルックバック」製作委員会

実写映画には、予想しえないものが不意に映りこんだり、奇跡としか言えない瞬間が偶然に捉えられたりする醍醐味(だいごみ)がある。しかし、人の手ですべてが描かれるアニメーションには、そんな“意図せぬもの”の介入がほとんどない。偶然に「描けてしまった」という奇跡はあるかもしれないけれど、人物の表情や身体、構図や背景、それらが混然一体となって織りなす“時間”は、ことごとく情熱と意図をもって創造されたものだ。

本作では、物語を生んだ原作者の藤本と、そこに緻密なアニメーション表現によって“時間”をもたらした押山監督ほか映画スタッフの創造性が幸福な融合を果たしている。その創造性は、劇中の藤野と京本が抱えているものともまったく同じだ。ふたりがひたすらに絵を描き、やがて大きな葛藤に直面する物語は、漫画・アニメーションというメディアを超えて、絵を描く人びとの創造性によって支えられているのである。

「創作」の巨大なエネルギー

原作漫画『ルックバック』 © 藤本タツキ/集英社
原作漫画『ルックバック』 © 藤本タツキ/集英社

しかし、「創作」や「創造性」が必ずしもポジティブなものとは限らない。漫画『ルックバック』のすごみは、創作という行為がはらむ巨大なエネルギーを、藤野と京本、ふたりの少女を通して描き出したところにあった。彼女たちの生み出すフィクションや創作物はなんの役にも立たないかもしれない、しかし同時に他人の人生を大きく変えてしまうかもしれない。そのエネルギーは、時として人間を恐ろしい深淵(しんえん)に引きずり込むことさえある。

原作の発表直後から議論を呼んだのは、劇中に、2019年7月に発生した京都アニメーション放火殺人事件を思わせるモチーフが登場していることだ。藤本が『ルックバック』を「自分の中にある消化できなかったものを、無理やり消化するためにできた作品」と語っているのは、単純にこれがパーソナルな物語なのではなく、社会と創作の関係を反映した物語でもあるからだろう。だからこそ、あえて言えば、映画の後半はコミック以上に切実な内容となった。原作の時点で、現実に起きてしまった悲劇の“受け止めきれなさ”を表現していた展開が、また別の重みをもつことになっているからだ。

本作がアニメーションであり、大勢の人びとが関わっているから、というだけではない。前述したように、この映画が、漫画にはない“時間”をもって原作を解釈しているからだ。藤野と京本の時間が丁寧に立ち上がり、その尊さが心に残るほど、すでに過ぎ去った、二度と戻らない時間の重みがいやおうなく際立つ。クライマックスで時間をめぐる仕掛けが発動したときの情感もまた、“時間”の流れが存在する映画ならではのものだ。

漫画ではわずか1コマ、あるいはほんの1ページを、じっくりと時間をかけながら描く──そのスタンスは、この映画が終わる、まさにその瞬間まで貫徹されている。1時間にも満たない作品ながら、その“時間”の豊かさは唯一無二だ。当代きっての漫画家による傑作が生んだ、アニメーション映画の新たな傑作である。

© 藤本タツキ/集英社 © 2024「ルックバック」製作委員会
© 藤本タツキ/集英社 © 2024「ルックバック」製作委員会

© 藤本タツキ/集英社 © 2024「ルックバック」製作委員会
© 藤本タツキ/集英社 © 2024「ルックバック」製作委員会

作品情報

  • 原作:藤本タツキ「ルックバック」(集英社ジャンプコミックス刊)
  • 監督・脚本・キャラクターデザイン:押山清高
  • 出演:河合優実、吉田美月喜
  • アニメーション制作:スタジオドリアン
  • 製作年:2024年
  • 製作国:日本
  • 上映時間:58分
  • 公式サイト:lookback-anime.com
  • 全国公開中

予告編

バナー写真:映画『ルックバック』 © 藤本タツキ/集英社 © 2024「ルックバック」製作委員会

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