春画の世界をめぐる旅に果てはない ドキュメンタリー映画『春の画 SHUNGA』平田潤子監督が語る
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『春の画(え) SHUNGA』は、春画の魅力を余すところなく伝える映画でありながら、よくある美術ドキュメンタリーとは一線を画している。
それは企画を持ちかけられた時点で、「なるべく“人間寄り”で作りたい」と考えた平田監督の鋭敏な感性が反映された結果のように思われる。監督に取材をするとよくあることだが、インタビュー後にあらためて映画を観ると、大きく印象が変わっていたのだ。
春画に抱くイメージ
人間の性の営みを描いた図版は、古くから日本に限らずさまざまな地域に存在した。その中で春画が異彩を放つのは、美術史の中で特筆すべき高い芸術性をもつ点だ。江戸文化を背景に木版画がその中心を担い、下絵を手掛けたのは北斎や歌麿など当時の名だたる浮世絵師たちであった。
ところが少数の愛好家を除いて春画の真髄は一般に正しく理解されず、明治以降長らくゲテモノ的な扱いを受けてきた。その傾向は大英博物館で春画展が開かれた2013年を潮目に、ようやく変わりつつある。
以前は人目につくとしたら、秘宝館の展示品くらいだったろうか。そんな成人向けの施設内でも、局部は大きさや形が分かる程度に塗りつぶされていた。春画といえば、巨大な性器のグロテスクさをまず思い浮かべる人も少なくないはずだ。平田監督も例外ではなかった。
「春画に特別な関心があったわけではなく、美術というより性文化の一面と捉えていました。どうして日本でこのようなエロティックアートが豊かに発展したのか、日本人の性意識の表れとして興味があった程度ですね」
これまで身体表現を中心にアートドキュメンタリーに取り組んできた平田に、監督のオファーがあったのは2020年。劇映画『春画先生』(塩田明彦監督、10月13日公開)の製作を進めていたプロデューサーから、「春画の多様で奥深い魅力を伝えるには、ドキュメンタリーからのアプローチもほしい」と言われ、リサーチに着手したという。
「コロナ禍だったので結構リサーチする時間があったんです。で、いろいろ話し合った末に…、結局は行き当たりばったりで撮影に入ってしまいました(笑)。プロットはなく、ちゃんと構成を考えて撮ったわけじゃないんですよ。撮らせてもらえるところが見つかったら駆けつけて、撮影できるタイミングで撮影して、そんな感じでした」
神は陰毛に宿る
とはいうものの、映画は全体を通して整然とした説得力に貫かれている。冒頭に映し出されるのは版木を削る彫刻刀の切っ先だ。何を彫っているのかはやがて明らかになる。
東京伝統木版画工芸協同組合が国際日本文化研究センター(日文研)とともに進める春画復刻プロジェクト。復刻作品に選ばれた鳥居清長(1752-1815)の『袖の巻』が、映画で紹介される数々の春画の最初を飾る。
1785年頃に発行された全12図から成る作品(本記事のバナー写真がその1つ)。横長(縦横比、約1:5)の画面からはみ出す大胆な構図で男女の交わりが描かれる。体や顔を極めてシンプルな線で表し、色数が少なく、非常にスタイリッシュな印象だ。
その一方で、衣の模様や襞(ひだ)、髪の生え際、そして何より陰毛が克明に描き込まれ、その中心に巨大な性器が肉感豊かに躍動している。シンプルな下絵の線に動きを与えるのは彫師(ほりし)の仕事であり、そのニュアンスを生かすには摺師(すりし)の腕が欠かせない。あの密生した陰毛のうねりこそ、他の木版画にはない春画特有のもので、徹底的なこだわりの賜物なのだ。
「西川美和さん(映画監督)が『神は陰毛に宿っている』ってコメントをくださったのですが(笑)、確かに生で作品を見ると、常軌を逸した熱を感じますよ」
平田監督はその執念を伝えるために、あの手この手を使って、観客の想像力に訴えかける。現代の職人の手作業を通じて、彫りや摺りの工程を実際に見せるのもその1つだ。
「当時の絵師や彫師、摺師がどんな工房で、どんな風に切磋琢磨していたか、本当だったら、見たいですよね。ドラマで再現する方法はありますけど、それはドキュメンタリーの仕事じゃないなと思ったので」
アニメで見せる春画
“人間寄り”のドキュメンタリーという着想ゆえ、撮影はおのずと“春画をめぐる旅”となる。美術史に名を刻す高名な浮世絵師による名品はもちろんだが、作者不詳の廉価版や、それを先祖から受け継いだ持ち主に出会いたいという思いもあった。しかし思うようにはいかない。春画を秘蔵している一般の人が現れず、なかなか現物を見る流れにならなかったのだ。
“名品”については美術商、浦上蒼穹堂に協力を仰いだ。代表の浦上満氏は、大英博物館や東京・文京区の永青文庫での春画展開催(15年)に尽力した春画ブームの仕掛け人の1人だ。
本編中では、美術家や愛好家らを招き、“春画ナイト”と称する少人数の鑑賞会を開いた。浦上氏が解説し、ゲストが感想を言い合う形で、初期から後期にわたる春画の名品が次々と紹介されていく。
「撮影のためだけではもったいないですからね。春画はじかに手に取って見るのが本来の楽しみ方で、江戸時代にもコレクションを見せ合うようなことをやっていたそうです。膨大な数の作品を見せられて、最後はみんな春画酔いみたいな状態になっていました(笑)」
鈴木春信(1725?-1770)が最晩年に描いた『風流艶色真似ゑもん』や、葛飾北斎(1760-1849)の艶本『喜能会之故真通』(きのえのこまつ、1820年頃)に登場する「蛸と海女」など、名作が細部までじっくりと鑑賞される。
映画ではこの2作がアニメーションとナレーション(森山未來と吉田羊)で臨場感たっぷりに映し出され、「笑い絵」とも呼ばれた春画のユーモアが存分に味わえる仕掛けになっている。
春画に注がれた狂熱
撮影隊は、幻の春画とも言われる名品「三源氏」を求めて北海道のコレクターを訪れた。歌川国貞(1786-1864)による『源氏物語』のパロディー三部作で、19世紀木版技術の粋(すい)を集めた豪華な作りになっている。
凶作に見舞われ、幕府や藩によってぜいたくが厳しく取り締まられた天保年間(1831-1845)の頃にこのような作品が実現できたのは、これが春画という“裏仕事”だったからにほかならない。
「日本人の知られざる一面を見た思いがしましたね。手に取らせていただいて、その技術のすさまじさに震えました。春画が海外のエロティックアートと大きく違うのは、一流の芸術家と職人が、裏の世界の仕事にあそこまで情熱を注いだというところです。その熱気がコレクターの方々にも乗り移っているような気がしました」
春画のエネルギーは、当然ながら現代のアーティストにも影響を及ぼしている。デンマークのコレクターに見せてもらった勝川春英(1762-1819)の肉筆画『春画幽霊図』が、日本画の木村了子の創作にインスピレーションを与えているのが面白い。
会田誠は現代美術やサブカルチャーと春画の接点を明らかにしつつ、大英博物館で展示されるや“高尚なアート”と合点する日本人のおめでたさを鼻白んでみせた。
歌麿の春画をモチーフに絵を描いたこともある横尾忠則からは、亡くなった母の胴巻きに小さな春画が忍ばせてあったという貴重なエピソードを引き出している。
「横尾さんはその春画を探してくださったのですが、見つからなかったそうです。捨ててはいないというので、どこかにあるのかもしれません。京都で月岡雪鼎の春画は火事除けに縁起がいいとされていたそうです。濡れ物といって水を連想させるんだとか。だから蔵にしまい込まれている可能性が高いんです。そんな“さもない”春画にもっと出会いたかったんですが…」
隠れた春画がどこかに必ずある
いくら大英博物館のお墨付きを得ても、春画にはやはりタブーが付きまとう。ある京都の有名な寺にあることは公然の事実だが、問い合わせても所蔵していることを決して認めなかったという。
「“春画ルネサンス”が世界的に広がって、もっとちゃんとアートとして認められたら変わってくるかもしれませんが…。でも、性のタブーは別の次元でありますから、それはなくならないでしょうね。価値を知らない人が燃やしたり捨てたりして、だんだん失われていくかもしれない。春画を生き物と考えると、息も絶え絶え近代を生き抜いてきたんだなって。私たちが出会えたのは、その生き残ったごく一部なんです」
『春の画(え) SHUNGA』の視点は、春画を鑑賞の対象としてだけでなく、奔放な性意識を封じ込めた明治から今に続く受難も含めて捉えている。この“春画をめぐる旅”がどんな風に終わりを迎えるか、そこに冒頭に述べた平田監督の感性が色濃く現れている。
「価値の高い名品はほとんど世に出ていると思うんです。そうではない、庶民がしまっておいたぼろぼろの春画が、まだどこかに必ずある。古物商のおじさんがそう言っていました。そんな風に時代がまだつながっていると思うと、ゾクゾクするんですよ。この150年ちょっとで、時代は大きく変わりましたよね。でも根底では変わっていない部分もあるんじゃないかって。春画を通して、近代化の波の中で失ったものが何だったのか、考えるきっかけになったらいいと思います」
春画の世界は決して現代と断絶していない。額装されて美術館で展示されるものだけが春画ではない。この映画は徹頭徹尾その信念に貫かれているようだ。
「3年間、大量の春画を見てきて、自分の日本人観、人間観が揺さぶられた感じはありました。人ってくそ真面目に見えても肉体からは離れられない。春画には笑いがあり、愛おしさや悲しみ、哀れさも含まれている。人間の複雑さ、面白さが集約されている。最近は性にまつわるネガティブなニュースが多いですけど、性って本来ネガティブなものではないですよね。性は生を肯定するものだと春画が教えてくれている気がします。人が生きているだけで官能的なんだ、春画はそれを称えているんだなって」
インタビュー撮影:花井智子
取材・文:松本卓也(ニッポンドットコム)
作品情報
- 出演:横尾 忠則 会田 誠 木村 了子 / 石上 阿希 早川 聞多 浦上 満 アンドリュー・ガーストル ミカエル・フォーニッツ 橋本 麻里 朝吹 真理子 春画ール ヴィヴィアン佐藤 樋口 一貴 高橋 由貴子 山川 良一
- 朗読:森山 未來 吉田 羊
- 監督:平田 潤子
- 撮影:山崎 裕 髙野大樹
- 製作:『春の画 SHUNGA』製作委員会(カルチュア・エンタテインメント、TCエンタテインメント)
- 企画・製作:カルチュア・エンタテインメント
- 制作:ドキュメンタリージャパン
- 配給:カルチュア・パブリッシャーズ
- 製作年:2023年
- 製作国:日本
- 上映時間:121分
- レーティング:R18+
- 公式サイト:www.culture-pub.jp/harunoe/
- シネスイッチ銀座ほか全国公開中
予告編
バナー写真:鳥居清長画「袖の巻」(浦上蒼穹堂)©2023『春の画 SHUNGA』製作委員会