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エドワード・ヤン監督を解剖する初の回顧展、台湾現地レポート

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1980年代、台湾映画界の新潮流「台湾ニューシネマ」の旗手として現れた映画監督エドワード・ヤン。『牯嶺街少年殺人事件』(1991)や『ヤンヤン 夏の想い出』(00)などで知られる世界的名匠だ。没後16年を迎える2023年、初の大規模な回顧展「一一重構:楊德昌」が台北にて開催されている。映画史に名を残す監督の仕事と生涯に膨大な資料から迫った、2会場にまたがる展示の模様をレポートする。

1982年、エドワード・ヤンは、オムニバス映画『光陰的故事』の一編『指望』で映画監督デビューを果たした。『海辺の一日』(83)で長編映画に進出した後に手がけたのは、ラブストーリーやサスペンス、コメディなど多様なジャンルの作品群。しかし、台湾の人々と社会、歴史や都市、そして人生の悲喜劇を丁寧に、ときに冷ややかに見つめる視線は変わらなかった。2007年6月、59歳で逝去するまでに遺した作品は、テレビドラマを含めてわずか9本。世界中の観客や批評家たちが、その早すぎる死を悼んだ。

2023年7月22日から10月22日まで、台北市立美術館と新北市・国家電影及視聴文化中心で開催されている回顧展「一一重構:楊德昌」は、3年間におよぶ研究プロジェクトの集大成。2019年、妻の彭鎧立から寄贈された数万点のアーカイブ資料をもとに、2会場での展示と、監督作をはじめとする充実の特集上映で構成されている。

会場のひとつ、台北市立美術館の外観。本展の掲示が目立つ
会場のひとつ、台北市立美術館の外観。本展の掲示が目立つ

7つの視点でエドワード・ヤンを解剖する

「映画づくりは真実を語るのと同じプロセスだ。だからこそ難しい」とはヤン自身の言葉である。「一一重構:楊德昌」は、まさしく“エドワード・ヤン映画”としか言いようのない――巨視的かつ複眼的、シリアスでありユーモラスでもある――唯一無二の作風を、さまざまな視点から解明する試みだ。

台北市立美術館の展示は、ヤンの生涯と創作活動に7つのテーマから迫った。時代や作風、本人のスタンスなどに基づいた各セクションは、映画の小道具や資料、貴重な原稿などの展示に加え、それぞれのテーマを象徴するインスタレーションも見どころとなっている。

「一一重構:楊德昌」入口。無料配布のリーフレットもかなりクオリティが高い
「一一重構:楊德昌」入口。無料配布のリーフレットもかなりクオリティが高い

最初のセクションは「時代的童年(CHILDHOOD THROUGH AGES)」。“時を超える子ども時代”という意味で、多くの作品で子どもや若者に焦点を当て、その純粋さと未熟さ(およびその消失)を描いてきたヤンが、自らはどのような時代を生きていたかを明らかにする趣向だ。パネル展示で、ヤンの主な活動と当時の世界情勢などを同時に確かめることができる。

「時代的童年」パネル展示より
「時代的童年」パネル展示より

続く「略有志氣的少年(A SOMEWHAT AMBITIOUS ADOLESCENT)」すなわち“やや野心的な少年”のセクションは、青春をキーワードに、代表作『牯嶺街少年殺人事件』にフォーカスした。まず驚かされるのは、主人公・小四(シャオスー)の父が劇中で座る椅子と机が置かれた空間を、本編やリハーサル風景の映像が投影された2枚の巨大スクリーンが挟むインスタレーション。帽子や懐中電灯といった小道具、手書きの草稿やノート、映画のもとになった事件の新聞記事などの資料が多数展示されている。

スクリーン2枚の映像は対応しており、どちらを見るか、またどちら側から見るかによって空間全体の印象が変化する
スクリーン2枚の映像は対応しており、どちらを見るか、またどちら側から見るかによって空間全体の印象が変化する

都市とポリフォニー

エドワード・ヤンは都市を描く作家だ。“都市の探求者”を意味する「城市探索者(THE URBAN EXPLORER)」のセクションでは、映画に先駆けての監督デビュー作となったテレビドラマ『浮萍』(81)から、映画『海辺の一日』『台北ストーリー』(85)『恐怖分子』(86)まで、キャリア前半の作品を対象に、少しずつ深められていった都市へのアプローチが取り上げられている。

「都市」の名を冠するように、このセクションはスケールの大きい展示がポイントだ。各作品の映像が次々に映し出される大小のモニターが天井から吊るされた、それ自体がビル群の窓のようにも見えるインスタレーション。その先では『恐怖分子』より、壁に張り出された巨大な顔写真が風に揺れる名場面が再現されている。

天井から吊るされたモニター。この裏側にもまだ数枚ある
天井から吊るされたモニター。この裏側にもまだ数枚ある

『恐怖分子』を再現したインスタレーション。照明は現像室をイメージした赤い光にも変化する
『恐怖分子』を再現したインスタレーション。照明は現像室をイメージした赤い光にも変化する

中国・上海に生まれ、2歳で台湾に移住したヤンは、アメリカで大学時代を過ごした。映画監督を目指して台湾に戻った後も、時折アメリカを訪れている。日常的に中国語と英語を使い分けていたヤンは、言語以外にも複数の声と顔を使い分けていたことでも知られる。映画とは異なるアプローチでミュージックビデオを手がけ、ときには俳優としてカメラの前に立つこともあったのだ。

そんなヤンの多層/多声的な一面を掘り下げるのが「多聲部複語師(THE POLYPHONIC PRACTITIONER)」のセクションだ。海辺を模した3面スクリーンのインスタレーション、英語で綴られた日記の展示、さまざまな活動に焦点を当てた映像の上映のほか、敬愛する映画監督ヴェルナー・ヘルツォークの著書『氷上旅日記 ミュンヘン-パリを歩いて』をヤンが英語で朗読するオーディオも聴くことができる。

床面の波も映像なので、実際は4面スクリーン。聞こえてくるサウンドもポイントだ
床面の波も映像なので、実際は4面スクリーン。聞こえてくるサウンドもポイントだ

コメディと哲学

「私は映画の観客のためにコメディをつくるのではない。彼らが映画館から出たとき、自分の人生はコメディだと気づかせるために映画をつくるのだ」。こう語ってもいるように、ヤンの喜劇に対する姿勢は、純粋なコメディ作家のそれとは明らかに異なる。「活力喜劇家(THE ZESTY SATIRIST)」すなわち“熱狂的風刺屋”のセクションでは、特にキャリアの後半、シニカルな笑いで社会や時代を切り取った側面がクローズアップされた。

特に焦点が当てられたのは、資本主義社会における恋愛や芸術を描いた『エドワード・ヤンの恋愛時代』、英語と中国語が入り乱れる少年少女たちの悲喜劇『カップルズ』(96)。とりわけ、後者のクライマックスのリハーサル映像は貴重だろう。しかし最も見逃せないのは、ヤンが90年代に演出した舞台作品の記録映像。このブロックだけで何時間でも過ごせるほどのボリュームだ。ヤンの本棚を再現した展示には、大友克洋『AKIRA』や日本の雑誌も並んでいる。

『エドワード・ヤンの恋愛時代』劇中のテロップが映像として投影されている
『エドワード・ヤンの恋愛時代』劇中のテロップが映像として投影されている

『ウォッチメン』『フロム・ヘル』『バットマン:アーカム・アサイラム』など、アメリカン・コミックスの名作も
『ウォッチメン』『フロム・ヘル』『バットマン:アーカム・アサイラム』など、アメリカン・コミックスの名作も

遺作『ヤンヤン 夏の想い出』は、とある家族を軸に据えた群像劇であり、青春・恋愛・暴力・家族・笑い・社会といった多面的なテーマを、たった一本の映画に織り込んだ一作。そのスケールの大きさを象徴するのが、「生命沉思者(THE LIFE PONDERER)」=“人生の思索者”のセクションだ。

ここでは『ヤンヤン 夏の想い出』にまつわる展示や、幼い頃からヤンが夢中になっていた、そして自身にとって重要な“もうひとつの創作活動”だった漫画、そして未完となったアニメーション映画『追風(原題)』のデモ映像や設定資料を仔細に見ることができる。

『追風』のデモ映像は7分間。ほかにも着手されていたアニメ作品があった
『追風』のデモ映像は7分間。ほかにも着手されていたアニメ作品があった

最後のセクション「夢想實業家(THE DREAM ENTERPRENER)」、すなわち“夢の実践者”には、あまた残された未発表脚本やストーリーのメモ、輝かしい受賞歴を示す賞状やトロフィーを展示。『牯嶺街少年殺人事件』主演のチャン・チェン、『ヤンヤン 夏の想い出』に出演したイッセー尾形のほか、岩井俊二、濱口竜介、ヴェルナー・ヘルツォーク、オリヴィエ・アサイヤスらがヤンを語る映像も上映されている。

大ボリュームの展示を締めくくるのは、墓碑にも刻まれている“DREAMS OF LOVE AND HOPE SHALL NEVER DIE(愛と希望の夢は決して死なない)”のメッセージ。会場を出たところでは、ヤンの人生を総括する詳細な年表を見ることができる。

こだわりの詰まった展示の数々、叶うならぜひ会場で
こだわりの詰まった展示の数々、叶うならぜひ会場で

別会場も要チェック

特集上映の会場である国家電影及視聴文化中心の展示も充実している。各作品の絵コンテ(ストーリーボード)や設定資料などのパネル展示をはじめ、ヤンの直筆原稿、衣装合わせの記録写真のほか、脚本全編のコピーを読むこともできれば、メイキング写真のアルバムで当時に思いを馳せることもできるのだ。

お楽しみは、『ヤンヤン 夏の想い出』より結婚式の名ショットを再現したフォトスポット。持ち帰り自由の“名言ペーパー”や、ヤンへのメッセージを残せるコーナーも用意されている。台北市立美術館から距離があるため、電車を乗り継ぐ必要はあるものの、上映を観る予定がなくとも展示のために足を運ぶ価値は大いにあるだろう。

大型のパネル展示。細部まで見るには意外と時間がかかる
大型のパネル展示。細部まで見るには意外と時間がかかる

『ヤンヤン 夏の想い出』フォトスポット
『ヤンヤン 夏の想い出』フォトスポット

会期中、国家電影及視聴文化中心で上映されているのは、ヤンが監督した映画8作とテレビドラマ『浮萍』のほか、脚本を執筆した余為政監督作品『一九零五的冬天』(81)、生前のヤンが選んだ映画10作品、そして特別上映の2作品だ。

ヤンが選んだ10作品は、ヴェルナー・ヘルツォーク『アギーレ/神の怒り』(72)、デヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(86)、スタンリー・キューブリック『時計じかけのオレンジ』(71)、フェデリコ・フェリーニ『8½』(63)、成瀬巳喜男『浮雲』(55)、ウディ・アレン『マンハッタン』(79)、アラン・レネ『アメリカの伯父さん』(80)、アンドレイ・タルコフスキー『ノスタルジア』(83)、小林正樹『切腹』(62)、ロベール・ブレッソン『ラルジャン』(83)、マルセル・レルビエ『金』(28)。

また特別上映には、是枝裕和によるドキュメンタリー作品『映画が時代を写す時 侯孝賢とエドワード・ヤン』(93)と、ヤンが幼い頃から愛してやまない手塚治虫の原作・構成による『鉄腕アトム 宇宙の勇者』(64)が選ばれた。いくつかの作品を除き、ほとんどは日本でも観ることができるので、ぜひヤンの監督作品とともに味わってほしい。

販売されている刊行物「Fa電影欣賞 2023 第195期」はエドワード・ヤン特集、こちらも充実の内容
販売されている刊行物「Fa電影欣賞 2023 第195期」はエドワード・ヤン特集、こちらも充実の内容

『ヤンヤン 夏の想い出』の発表後、ヤンはインタビューで「やりたいプロジェクトが山のようにある」と語っていた。存命なら2023年には75歳になっていたわけで、寡作とはいえ、さらにいくつもの映画や作品を届けてくれていたことだろう。

今回の回顧展は、残念ながら実現されなかった夢の数々を含め、エドワード・ヤンの実績と試行錯誤の日々、世界に遺した財産などをじっくりと噛み締められる企画となった。いずれ、日本を含む海外への巡回が実現することを心から期待したい。

国家電影及視聴文化中心の最寄駅「新莊副都心」のホームドア
国家電影及視聴文化中心の最寄駅「新莊副都心」のホームドア

[参考文献]ジョン・アンダーソン、篠儀直子(訳)『エドワード・ヤン』(青土社)

取材・文:稲垣 貴俊
写真:中園 聖美

バナー写真:エドワード・ヤン初の回顧展「一一重構:楊德昌」は、台北市立美術館と新北市・国家電影及視聴文化中心で2023年10月22日まで開催

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