映画『君は行く先を知らない』:ロードムービーで描く家族と国境 偉大な監督を父に持つイランの新星がデビュー
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キアロスタミ監督ら映画人に囲まれて育った幼少時代
「子どもの頃から私の家には常に多くの映画関係者が出入りしていて、そこで交わされる会話といえば映画にまつわるものばかり。無意識のうちに、映画が身体に沁みついていたんです」と語るパナー・パナヒ監督。
父ジャファル・パナヒは、イランを代表する映画監督アッバス・キアロスタミの助監督を務めた後、『白い風船』(95)、『チャドルと生きる』(00)、『人生タクシー』(15)などを監督し、カンヌ、ヴェネツィア、ベルリンの世界三大映画祭で受賞歴のある名匠だ。
「父やキアロスタミさんがロケ地を選ぶ際にも同行していましたし、映画のセットのなかで育ったようなものですが、18、9になるまでは、父と映画の話をすることはほとんどありませんでした。私が映画を本格的に学び出したのは、テヘラン芸術大学に入ってからなんです」
学生時代は、日本をはじめ世界各国の名作に触れた。
「黒澤明監督や小津安二郎監督が、私の映画の先生だといっても過言ではありません。彼らの作品からありとあらゆることを吸収しました。イランでも人気がある宮崎駿監督のアニメーションや、是枝裕和監督の作品からも大いに影響を受けました」
その後、助監督や撮影監督として現場経験を積んできたものの、「偉大な父の存在に加えて、自分にも完璧主義なところがあったので、なかなか長編映画を撮れぬまま30代半ばになってしまいました」と、2世監督ならではの苦悩ものぞかせる。
今回、満を持して36歳にして初の長編を撮ることを決意。デビュー作に選んだ題材は、友人から聞いた身近な「旅の話」からヒントを得た、家族のロードムービーだった。
デビュー作に込めたイランの若者たちの偽らざる胸の内
物語の舞台は、トルコとの国境に近いイラン北西部。移動するレンタカーの後部座席で幼い次男がはしゃぐなか、ギプス姿の父は悪態をつき、成人したばかりの長男は眉間にしわを寄せ、無言でハンドルを握る。助手席には昔の流行歌を口ずさむ母。病気で余命わずかな愛犬も同乗する。
車中では、“最後の最後で……”といった意味深な言葉が飛び交うも、行き先は誰も口にせず、「あれほど携帯を持ってくるなと言ったでしょ!」「あの車に尾行されている気がしない?」と、母がしきりに何かを警戒している様子が伝わってくる。
どうやら両親は長男の「旅」のために、家を抵当に入れ、マイカーも売ってしまったようだ。旅に必要な羊の皮を買うのに、羊一頭分の値段を支払わされることに、父はしきりに文句を言っている。さらに国境付近では、白い袋を被って扮装する不気味なバイクの男と何やら交渉することに……。
リスクを伴うスリリングな旅のはずなのに、それぞれの口から飛び出してくるのは、世界のどの家族の間でも日常的に繰り返されているような、憎まれ口ばかり。長男と両親は「旅の目的と結果を次男には知られないように」「旅の間、悲しい気持ちは表に出さないように」との約束を守ろうと努めるが、ふとした瞬間、哀しさや不安な気持ちがこみ上げる。なのに、やんちゃな次男坊に手を焼き、しっちゃかめっちゃかになってしまう様子に笑ってしまう。
デビュー作で「自分自身の胸のうちにある感情を、すべて吐き出したかった」というパナー監督。イランの若者たちは、抑圧の厳しい自国で暮らすことに絶望感を抱き、たとえ犠牲を払っても、国外に救いを求める。実際に監督の友人も、多くが極秘で国外へと旅立っていた。
「イランの若者たちは、パリのカフェにいる若者と同じように、インターネットを通じて世界の最新情報に触れています。でも自分たちの現実は、へジャブをかぶらずに集まってお茶を飲むだけで、そのカフェが閉鎖されたりする。そんな状況にうんざりしています。自由な世界の存在を知っているからこそ、みんなイランから出たいと考えているんです」
広大な砂漠や高原と、狭い車内とのコントラストが際立つ抒情的な映像とともに、この映画を特徴づけているのが、物語を彩るイスラム革命以前のメランコリックな歌謡曲の数々だ。
「イラン映画では、一般的に音楽を使わない傾向が強い気がしますが、私は音楽を聴くことがとても好きで、音楽から新しい物語のアイデアが浮かんでくるんです」
イランの音楽は、革命の前と後では大きく異なるという。以前は、誰でも自由に音楽を作り、歌うことができたが、革命を境にさまざまな規制が課され、音楽に面白みがなくなってしまったとパナー監督は嘆く。
「そこでイランの人たちは、この映画の家族のように、車で旅をするとき30~40年前の歌謡曲を好んで聴いています。昔の曲を聴くと、年配の人も、若い人も、みんな切ない気持ちになるんです。明るい曲調に聴こえるかもしれませんが、歌詞には哀しい思いが込められています。現在のイランでは映画製作にも規制があるので、セリフの代わりに使えるものは何でも使います。登場人物の心情を歌詞で代弁しているんです」
偉大なる父の“自由への闘争”を見てきた自分が映画を撮る理由
イランでは、いまだ表現の自由や人権が制限されている。長きにわたって政権と対立してきた父ジャファルは、2010年3月に逮捕され、その後20年にわたり表現活動の禁止を言い渡された。しかしタクシー運転手に扮して車載カメラで撮影(『人生タクシー』)したり、映像データの入ったUSBメモリを菓子箱に入れて老婆に持たせ、“密輸”した作品をカンヌ映画祭で上映(『これは映画ではない』)したりと、圧力に屈することなく映画の制作・発表を続けている。
そんな父の背中を見て育ったパナー監督は、なぜ自らも困難な道に進もうと考えるに至ったのか。
「確かに私は父が苦労してきた姿をずっと見てきましたが、いくらそばにいたとしても、自分も同じ立場になって同じ経験をしない限りは、父の苦労を本当の意味で理解することはできないのではないかと思ったんです。それが映画監督になろうと考えた決め手の一つであるかもしれません。心から映画を愛しているのであれば、たとえどんな困難に見舞われようとも映画を作りたいという思いが湧きあがるもの。もうやめたいと思うような出来事を経験するまでは、きっと撮り続けると思います」
『君は行く先を知らない』は、そんな監督の映画愛が随所にあふれる作品になった。劇中で母から「あなたにとって世界一の映画は?」と尋ねられた長男は、『2001年宇宙の旅』(1968/スタンリー・キューブリック監督)を挙げる。終盤には、寝転がった父と次男が夜空を見上げて『バットマン』について話しながら、いつしか宇宙の果てまで飛んでいくファンタジックなシーンも登場する。では、パナー監督自身にとって「世界一の映画」とは?
「実は、私にとっての世界一の映画も、『2001年宇宙の旅』なんです。すでに150回以上観ているのですが、この映画を観ることによって、自分の上にある空、つまり世界を、別の目で見られるようになった。人間や世界について、今まで自分が考えたこともなかったような森羅万象について、思いをめぐらせるようになりました。私にとってメディテーションのようなものです。眠れないときにこの映画を観ると、スッと眠れるようになるくらい、心が落ち着くんです」
取材・文=渡邊玲子
作品情報
- 監督・脚本・製作:パナー・パナヒ
- 出演:モハマド・ハッサン・マージュニ、パンテア・パナヒハ、ラヤン・サルラク、アミン・シミアル
- 製作年:2021年
- 製作国:イラン
- 上映時間:93分
- 配給:フラッグ
- 公式サイト:https://www.flag-pictures.co.jp/hittheroad-movie/
- 8月25日(金)新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町他全国ロードショー
予告編
バナー写真:パナー・パナヒ監督の長編デビュー作『君は行く先を知らない』で一家の無邪気な末っ子を演じたラヤン・サルラク ©JP Film Production, 2021