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映画『インスペクション ここで生きる』:黒人クィアの物語を世界へ 主演ジェレミー・ポープが語るマイノリティと業界の現状

Cinema

イラク戦争が長期化する2005年、ホームレスから海兵隊に志願した青年がいた。ゲイの黒人である彼は、差別と暴力にさらされ、その苦境を乗り越えていく。監督自身の体験を映画化した『インスペクション ここで生きる』の主演ジェレミー・ポープは、本作でゴールデングローブ賞の主演男優賞にノミネートされた。注目の新鋭俳優に、自身のアイデンティティを表現すること、映画を世界に届けること、そしてハリウッドにおけるマイノリティや雇用問題の現在を聞いた。

ジェレミー・ポープ Jeremy POPE

1992年生まれ。 Netflix「ハリウッド」(2020)でテレビ・デビューを果たし、エミー賞のリミテッド・シリーズ最優秀俳優賞にノミネートされ、アフリカン・アメリカン映画批評家協会賞のブレイク アウト演技賞を受賞した。2019年にはトニー賞に異なる2作品で2部門(最優秀主演男優賞/ミュージカル最優秀助演男優賞)にノミネートされるという、史上6人目の快挙を果たした。その他の出演作品に、『あの夜、マイアミで』(Netflix/2021)など。『インスペクション ここで生きる』では、第80回ゴールデングローブ賞で主演男優賞(映画・ドラマ部門)にノミネートされた。(Photo : Steve Gripp)

映画『ムーンライト』、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』などで知られるアメリカの製作会社・A24は、人種や性別を問わず、さまざまな作り手のストーリーを発信してきた。その新作『インスペクション ここで生きる』は、ゲイであるがゆえに母親から見放され、10年にわたるホームレス生活を経て海兵隊に入隊したのち、強い信念で差別や暴力に打ち勝った男性の実話。監督・脚本のエレガンス・ブラットン自身が主人公のモデルである。

「この映画のように、自分によく似た人が力強く前向きに生きていく物語が、僕が子どもの頃にもあったらよかったのに」と話すのは、主人公の青年・フレンチを演じたジェレミー・ポープ。同じくクィア(性的マイノリティの総称)であることを公言しており、自らの経験も参考にしながらフレンチ役に臨んだ。

過酷な環境にあっても、フレンチは静かに他者を受け入れていく ©2022 Oorah Productions LLC.All Rights Reserved.
過酷な環境にあっても、フレンチは静かに他者を受け入れていく ©2022 Oorah Productions LLC.All Rights Reserved.

監督自身の物語を演じる

映画・ドラマ・舞台とメディアを問わず活躍し、その高い演技力で絶大な評価を得ているジェレミー。映画『あの夜、マイアミで』(2021)で歌手のジャッキー・ウィルソン、同名舞台を映画化した次回作『The Collaboration』で画家のジャン=ミシェル・バスキアなど、実在の人物を演じた経験も豊富だ。

本作は監督の実話だが、主人公を架空の人物に設定しているため、過去に出演してきた実話映画とはやや趣が異なる。そこで役づくりに対するアプローチの違いを尋ねてみると、ジェレミーは「演技の方法はあまり変わりません。どんな人物を演じるにせよ、僕はその人の情報をできるかぎり集め、その性格を表現するだけでなく、その心と魂を発見したいんです」と語った。

「観客に親近感を抱いてもらうため、性格を表現することが大切になるときもありますが、僕たちはその人の心を感じたい、真実を知りたいと思うもの。その人は何を恐れ、何を求めているのか……。たとえばバスキアのように、すでにこの世にいない人を演じる場合、疑問の答えを自力で見つけながら進んでいくしかありません。けれど今回は、監督から人生のストーリーを聞いて参考にすることができたし、詳しく質問することもできて助かりました」

エレガンス・ブラットン監督 ©2022 Oorah Productions LLC.All Rights Reserved.
エレガンス・ブラットン監督 ©2022 Oorah Productions LLC.All Rights Reserved.

ブラットン監督とジェレミーの間には、互いの人生に共通する経験がたくさんあったという。もちろん異なる部分も少なくはなかったが、撮影期間が18日間と短かったため、ジェレミーに悩んだり迷ったりしている時間はなかったそうだ。

「2人とも今のアメリカに暮らす黒人男性だから、それだけでつらいことをたくさん経験しました。クィアであるために見放された経験もあるので、同じトラウマを抱えるがゆえの絆ではないですが、家族やコミュニティのサポートや愛情が足りなかったこと、それが強さや忍耐力につながったことを共有できたんです。ただ、自分はブートキャンプを体験したことはないし、海兵隊に入ったこともない。入りたいと思ったこともないので、それは初めての感覚です。だからこそ、フレンチがそうしたいと思ったことを掘り下げる必要がありました」

フレンチは教官による過酷な試練で肉体的・精神的に追い込まれ、さらにゲイであることが周囲に露見するや、同僚たちからも陰湿な嫌がらせや暴力を受ける。それでも、フレンチは自らの思いをあまり語らない。ジェレミーは台詞の少ない役柄を演じるため、演技の中でも周りの声を積極的に聴くことを心がけたという。

「なぜなら、フレンチは初めての環境で周囲を観察しているから。誰が安全で、誰がそうでないのか、人々がどんな話をしているのか。自分が女っぽく見えるのか、それとも男らしく見えるのか。そんなことを考えながらも、彼は同時に周囲に溶け込むために努力しているのです。フレンチが自分の体験や気持ちを必要以上に言葉で説明しないのが本作の面白いところだと思います」

フレンチを肉体的・精神的に追い込む厳格な教官たち ©2022 Oorah Productions LLC.All Rights Reserved.
フレンチを肉体的・精神的に追い込む厳格な教官たち ©2022 Oorah Productions LLC.All Rights Reserved.

黒人のクィアの物語を、この世界に届けること

ジェレミーはフレンチ役を演じたことについて、「僕が自分一人でこの役柄を演じ、物語を担ったわけではありません」と言う。役柄のモデルであるブラットン監督との共同作業には大きな充実感があったようだ。

「監督が常に一緒にいてくれて、自らの物語を語り、弱みを見せてくれたから、こちらも安心して弱みを見せられたし、以前は怖くて話せなかったことも話せ、自分を癒すことができた。映画を通じて自らを解放し、自分の強さと美しさ、勇気を知ることにつながったんです。」

ジェレミー・ポープ(Photo : Steve Gripp)
ジェレミー・ポープ(Photo : Steve Gripp)

フレンチは周囲によって深く傷つけられるが、ジェレミー自身は共演者のサポートもあり、常に安心できる環境で演技に取り組めたという。自らを含む大きなコミュニティを象徴する役どころに挑むこととなったが、「時に力強く、時にはフェミニンな黒人のクィアを演じられて本当に光栄」と述べ、特にプレッシャーは感じなかったと語っている。

「芸術は届くべき相手に届くと信じています。この映画はホモフォビア(同性愛嫌悪)の人たちに向けられたものではないけれど、この作品に偶然出会ったことで人生観が変わる人もいるはず。人が苦しい状況を抜け出す様子を描き、“人生には意味がある、誰にでも価値はある、豊かさや栄光を手に入れ、願いを叶える権利はある”と説いているからです。確かに、観ていてつらい場面もあるかもしれません。しかし黒人にせよクィアにせよ、社会の隅に追いやられた人々にはそれが現実なんです。これは一人の人間の物語であり、人間の経験を描く映画。クィアではない方を含め、届くべき人に届くことを願っています」

フレンチは、ゲイという理由で自分を見放した母との関係を諦めない ©2022 Oorah Productions LLC.All Rights Reserved.
フレンチは、ゲイという理由で自分を見放した母との関係を諦めない ©2022 Oorah Productions LLC.All Rights Reserved.

ハリウッド、人種差別や雇用問題の今

近年のハリウッドでは、ジェンダーや人種など、多様なアイデンティティを有する人々を積極的に包摂する取り組みが行われている。A24のみならず、大手スタジオ各社もキャスト・スタッフの双方に多様性を確保し、マイノリティを描くストーリーを重視するようになった。雇用の状況も改善されてきたといわれる。

ジェレミーは業界の現状について、「今の時代は最前線に立つことを厭わない方々がたくさんいる。これまで、僕は共演者や監督に恵まれてきました」と話す。本作のブラットン監督のほか、フレンチの母を演じたガブリエル・ユニオンもクィア・コミュニティの地位向上を訴え、有色人種のためのヘアケア・ブランドを立ち上げた人物。ジェレミーが出演したNetflixシリーズ「ハリウッド」(20)を手がけたライアン・マーフィーも、様々なマイノリティの物語を描き続けている。

「彼らの行動は非常に力強い。時には批判されるかもしれないし、どう受け止められるかも分からないので恐ろしさはありますが、とても、とても大切なこと。僕もアーティストとしての立場を活かし、自分のためだけでなく、未来の世代や、現在までの道を切り開いた祖先のためにも声を上げていきたい。まだやるべきことは山積みなので、業界には安心してほしくないんです。女性の地位向上は道半ばで、クィアや有色人種もそれは同じ。(マイノリティへの)注目はありがたいけれど、それは一過性のものでなく、将来にわたる取り組みであるべきだと思います」

厳しい教官もまた黒人だが、歩んできた道のりはフレンチとは異なる ©2022 Oorah Productions LLC.All Rights Reserved.
厳しい教官もまた黒人だが、歩んできた道のりはフレンチとは異なる ©2022 Oorah Productions LLC.All Rights Reserved.

『インスペクション ここで生きる』の撮影が行われたのは2年前のこと。ジェレミーは、日本を含む世界各国で本作が上映されていることについて、A24や配給に携わる人々に感謝の意を表した。

「今、この映画をみなさんに観てもらえていることがうれしい。僕の状況は撮影当時とは違うかもしれないけれど、作品は今でも新しい観客に届いているんですから。ただし、僕たちが映画に出演し、その作品が世界で上映されるには、チャンスが与えられることや、資金面のサポートを得られることが不可欠。他の作品、他の人々への支援が、今後も続いていくことを祈っています」

取材・文=稲垣 貴俊

©2022 Oorah Productions LLC.All Rights Reserved.
©2022 Oorah Productions LLC.All Rights Reserved.

作品情報

  • 監督・脚本:エレガンス・ブラットン(初長編監督作品)
  • 出演:ジェレミー・ポープ、ガブリエル・ユニオン、ラウル・カスティーヨ、マコール・ロンバルディ、アーロン・ドミンゲス、ボキーム・ウッドバイン
  • 配給・宣伝:ハピネットファントム・スタジオ
  • 製作年:2022 年
  • 製作国:アメリカ
  • 上映時間:95 分
  • 公式サイト:http://happinet-phantom.com/inspection/
  • 8/4(金)TOHO シネマズ シャンテ、新宿武蔵野館ほか全国公開

予告編

バナー写真:映画『インスペクション ここで生きる』 ジェレミー・ポープ演じる主人公・フレンチ ©2022 Oorah Productions LLC.All Rights Reserved.

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