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映画『サントメール ある被告』:アリス・ディオップ監督が見つめた、黒人女性が内面を語る時間

Cinema

2005年以来、主にフランスのパリ郊外に暮らす“ありふれた人々”の日常をテーマにドキュメンタリー映画を撮ってきたアリス・ディオップ監督。その経験で磨かれた独特の映像哲学は、初の長編劇映画『サントメール ある被告』として実を結び、22年のヴェネチア国際映画祭で二冠に輝いた。実際の裁判記録を基に、ドキュメンタリーの手法で演出したサスペンスフルな展開に引き込まれるが、その奥には単なる法廷劇を超えた深い洞察が隠れている。7月14日の日本公開に合わせて来日した監督に話を聞いた。

アリス・ディオップ Alice DIOP

1979年、フランス・パリ郊外のオルネースーボワに生まれる。ソルボンヌ大学で歴史と視覚社会学を学んだ後、ドキュメンタリー映画作家としてキャリアをスタート。短編・中編映画が複数の映画祭で入選・受賞し、2016年の『Vers la Tendresse』はフランスのセザール賞で最優秀短編映画賞に選ばれた。21年の長編ドキュメンタリー『私たち』は、同年のベルリン国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞とエンカウンターズ部門最優秀作品賞を受賞。22年『サントメール ある被告』で長編劇映画デビュー。ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞(審査員大賞)と新人監督賞を受賞した。

タイトルのサントメールとは、フランス北端のパ・ド・カレー県にある小さな町の名前。英仏海峡に面した港町カレーから内陸に車で40分ほどのところにある。物語は2つの軸で構成されていて、その1つがサントメールの裁判所を舞台としている。そこで実際にあった裁判を再現したシーンがこの映画の大半を占める。

裁判は2016年6月に5日連続で行われた。事件が起こったのはその2年7カ月前の13年11月。生後15カ月の赤ん坊の遺体がベルクの海岸(サントメールから南西へ50キロほど)で発見された。

アリス・ディオップ監督の長編劇映画デビュー作『サントメール ある被告』は、実際に行われた裁判を基にしている © SRAB FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA – 2022
アリス・ディオップ監督の長編劇映画デビュー作『サントメール ある被告』は、実際に行われた裁判を基にしている © SRAB FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA – 2022

犯人は赤ん坊の母親で、当時パリ郊外に住んでいたファビエンヌ・カブー。セネガル生まれの36歳で、フランスに来て18年が経っていた。最初は大学に通っていたが、やがて学業を放棄し、アルバイトを転々としながら30近く年上の白人男性と暮らすようになった。12年8月、その男性との間にできた子どもを誰にも知らせずに生み、出生届を出さぬまま育てていた。

『サントメール ある被告』のアリス・ディオップ監督は、同じセネガルにルーツを持つ身としてこの事件に関心を抱き、裁判を傍聴している。

「この作品は必ずしも裁判映画ではありません。被告の罪を問うことに関心はなかったからです。私にとって、法廷という枠組みは社会のメタファー(暗喩)でした。一人の黒人女性が、フランスの地方の町の裁判所で、白人の判事らによって裁かれる。私たちがこれまでほとんど見たことのない光景、聞いたことのない出来事を通じて、何が描き出せるだろうと考えたのです」

ドキュメンタリーとフィクションの交差

映画では、被告をロランス・コリーという名の人物にし、パートナーの男性や犠牲になった女児の名前も変え、日付を現在に近く設定した以外は、裁判をほぼ忠実に再現している。ディオップにとって初の劇映画だが、これまでジャーナリスティックなルポルタージュとは一味違ったドキュメンタリー映画ばかり撮ってきた監督ならではの手法と言える。

「私にとって、ドキュメンタリーとフィクションの区別はありません。『サントメール』を構想したとき、この物語を語るには、フィクションの形式がより合っていると思いました。というより、裁判はすでに終わっていたので、実話に基づくフィクションの形で撮るしかなかったのです。劇中の法廷でのセリフは、ほぼ一語一語、裁判記録に基づいています」

ただし「裁判映画ではない」と言うだけあって、フィクションの要素もまた重要な役割を担う。主人公を被告とは別の女性にし、裁判を傍聴する視点とする。そして彼女の背景にある物語を、もう1つの軸として展開させるのだ。

「私がこの映画で焦点をあてたかったのは、事件の三面記事的な側面ではなく、母性をめぐる問いでした。それはフィクションによって可能になるだろうと考えたのです。そこで、ラマという架空の人物を登場させました。彼女の視点を通じて、観客に裁判を体験してもらいながら、母と娘の複雑な関係性を浮かび上がらせるのです」

主人公の作家、ラマ(カイジ・カガメ)はロランス・コリーの裁判を傍聴しにサントメールを訪れる © SRAB FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA – 2022
主人公の作家、ラマ(カイジ・カガメ)はロランス・コリーの裁判を傍聴しにサントメールを訪れる © SRAB FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA – 2022

セネガル出身の両親を持つラマは、フランスで生まれ育ち、白人男性をパートナーに暮らす小説家だ。受け持つ大学の講義では、ドイツ兵と関係のあった女性たちを、戦争後にユダヤ人迫害の復讐として公衆の面前で丸刈りにする記録映像を見せながら、マルグリット・デュラスの小説『ヒロシマ・モナムール』を引用する。

ラマは学生を前に「恥辱の対象となった女性が、作家の言葉によって、単にヒロインとなるだけでなく、恩寵を受けた主体となるのです」とデュラスの作品を分析する。小説家としてのラマは、ギリシア悲劇の主人公で我が子を殺す王女メディアを題材に新作を準備していた。これだけでもラマがロランス・コリーの裁判を傍聴する動機は明確なのだが、実はもっと個人の感情に訴える部分があったことが、次第に明らかになっていく......。

ラマにはアドリアン(トマ・ドゥ・プルケリ)というミュージシャンのパートナーがいた © SRAB FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA – 2022
ラマにはアドリアン(トマ・ドゥ・プルケリ)というミュージシャンのパートナーがいた © SRAB FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA – 2022

裁判が問いかけるもの

裁判の場面は、被告人の人定質問に始まって、参審員(裁判員)の抽選、起訴状の朗読と、長回しでリアルに進んでいく。

「法廷という閉ざされた場所で何が起きているか、ドキュメンタリー的に描き、時間をかけてじっくり見てもらうようにしました。短いショットをたくさんつなげてテンポよく進む映画ではありません。まず観客に、あなたはこれから裁判を傍聴しますよ、と注意を喚起する必要があったのです」

裁判長を演じるのはヴァレリー・ドレヴィル © SRAB FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA – 2022
裁判長を演じるのはヴァレリー・ドレヴィル © SRAB FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA – 2022

裁判長が起訴状の内容を読み上げた後、被告人に娘を殺した理由を問う。ロランスはこれに対して「分かりません。裁判で知りたいと思う」と答える。だが起訴事実は認めながらも、自身に責任はないとして無罪を主張するのだ。

「もしこの言葉の正直さがなかったら、この映画は成り立たなかったでしょう。私が試みたのは、彼女を裁くのではなく、なぜあのような行為に至ったか理解しようと努めることでした。だからと言って、彼女を許すという意味ではありません。彼女が愛し、世話した子どもを死なせた背景にどんな状況があったのか、知ろうと思ったのです」

ロランスと一緒に暮らし、子どもの父親でもあったリュック・デュモンテ(グザヴィエ・マリ)は証言台で何を語るのか © SRAB FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA – 2022
ロランスと一緒に暮らし、子どもの父親でもあったリュック・デュモンテ(グザヴィエ・マリ)は証言台で何を語るのか © SRAB FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA – 2022

裁判は、日本における審理のやり方と違い、裁判長が被告人に直接尋問しながら進む。ロランスは明瞭なフランス語でよどみなく答えていくが、肝心なところでは口をつぐんでしまう。年の離れたパートナーとの関係や、西アフリカの文化に特有の呪術についての言及もあり、事態はますます謎めいてくる。監督は単なる裁判映画という分類を拒否するが、法廷劇ならではのサスペンスに観客は引き込まれていく。

「ロランスの証言を聞くうち、何が真実か分からなくなっていきます。それは彼女を演じた俳優の力も大きいですね。彼女はほとんど抑揚をつけずに話しますが、これは私が指示したことではありません。その単調さの中には気付かないほど繊細なバリエーションがあり、しかもその使い分けには一貫性があるんです」

ロランス・コリーを演じたガスラジー・マランダ © SRAB FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA – 2022
ロランス・コリーを演じたガスラジー・マランダ © SRAB FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA – 2022

そんなロランスに観客は惑わされ、共感できると思ったら、冷たい視線に突き放される。その動揺は、ディオップ自身がかつて傍聴席で味わった経験だった。彼女のまなざしや息づかいに目と耳を集中させるうち、観客の胸中にはさまざまな感情が去来するだろう。

「彼女がしたことの暴力性を理解しようと努めながら、いつしか観客は自分の心の奥に潜む非常に内密な部分に触れ、自分と母との関係に立ち帰らされるのです。それは私が実際の裁判で体験したものであり、映画を通じて訴えたかったもの、観客に感じてほしかったものでした」

被告の弁護人ヴォードネを演じたオーレリア・プティ © SRAB FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA – 2022
被告の弁護人ヴォードネを演じたオーレリア・プティ © SRAB FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA – 2022

黒人女性を映し出すことの政治性

脚本は監督自身と、マリー・ンディアイ、アムリタ・ダヴィッドの女性3人による共同執筆。マリー・ンディアイはセネガルにルーツを持ち、フランス現代文学で最も重要な一人とされる作家だ。アムリタ・ダヴィッドはこの映画の編集も手がけている。

「脚本は聖なるものではありません。撮影ではあえて脚本から離れることもあります。あらゆる細部まで、観客が物語に入り込み、自分の内面の奥深くに降りていけるように配慮して演出しました。編集は執筆の延長です。編集と脚本を同じ人が担当するのは、あまり例がないですよね。最後にペンを入れるような興味深い作業になりました。脚本に書かれたことが、撮影と編集を経て、詳細に、厳密に、明確になっていくんです」

撮影では、クレール・マトンとともに、ダ・ヴィンチやレンブラントなど、古典的な絵画を参照しながら、画面を作り込んでいった。

「黒人女性を描くことに責任を感じていました。これまでフランス映画に登場する黒人女性は、メイドかその他のサービス業に従事する女性ばかりでした。知識層の黒人女性、彼女らが内面に抱える複雑さをほとんど扱ってこなかったのです。だから、どういうスタイルをとるべきか考え抜き、イメージの造形的な美を追求しました」

© SRAB FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA – 2022
© SRAB FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA – 2022

ディオップ監督にとってスタイルとは、ただの装飾ではない。黒人女性を画面いっぱいに映し出すことそのものが、政治的な行為であるという認識に基づいている。

「映画史の中に、それまで可視化されてこなかったこれらの顔や身体を刻み込むことは、私にとって、政治的な表象を考察する上で、ひときわ重要でした。フレーム、色調、光、コントラスト、肌の色合いや質感。これらに対して非常に厳密であることが要求されるのです」

監督は序盤の、ラマが大学で講義を行うシーンを例に挙げる。マルグリット・デュラスについて論じる黒人女性の知識人。その姿をヨーロッパのアカデミズムの中心、シアンスポ(パリ政治学院)の大教室を舞台に、固定カメラで絵画を思わせる構図で撮ったのも、単なる装飾的な意図ではないと主張する。

「こうした表象を私たちの現在時に記録するという意味で政治的なのです。不可視化との闘いなのです。フランス映画において、黒人女性の表象には空白がありました。私たちは目を向けられてきませんでしたが、決して不在だったのではありません。街を歩いていて、たくさんの黒人女性に声をかけられました。『私たちを存在させてくれてありがとう』と。家政婦として働き子どもを養う“肝っ玉母さん”ではない、複雑な内面を抱える女性として描いてくれたと」

© SRAB FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA – 2022
© SRAB FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA – 2022

『サントメール ある被告』は昨年、米アカデミー国際長編映画賞のフランス代表作品に選ばれた。その監督が、国内ではいまだに“黒人女性監督”という冠付きで呼ばれている。

「フランス社会だけでなく、欧米や日本でも、移民によって社会のあり方が変わりつつあります。バリケードを築いて閉ざそうとしても不可能です。フランスは多様な文化が混じって成り立っている国ですが、一部の保守的な人々はそれを受け入れられません。アイデンティティ・クライシスとは、移民家庭出身の若者たちの問題ではありません。そういう価値観をアップデートできない人たちの問題なのです」

インタビュー撮影=花井 智子
取材・文=松本 卓也(ニッポンドットコム)

© SRAB FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA – 2022
© SRAB FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA – 2022

作品情報

  • 監督:アリス・ディオップ
  • 共同脚本:アリス・ディオップ、アムリタ・ダヴィッド、マリー・ンディアイ
  • 撮影監督:クレール・マトン『燃ゆる女の肖像』
  • 編集:アムリタ・ダヴィッド
  • 出演:カイジ・カガメ、ガスラジー・マランダ、ヴァレリー・ドレヴィル、オーレリア・プティほか
  • 製作年:2022年
  • 製作国:フランス
  • 上映時間:123分
  • 配給:トランスフォーマー
  • 公式サイト:transformer.co.jp/m/saintomer/
  • Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下ほか全国順次公開中

予告編

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