映画『CLOSE/クロース』:セクシュアリティとメンタルヘルス、実体験を映画にすること ルーカス・ドン監督に聞く
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「この映画は自分の中に長い間あったもの。子どもの頃、まだ自分自身がどうありたいのかが分からなかった時期を描きました」。自身がゲイであることを公言するルーカス・ドン監督は、「幼少期や10代前半の頃、自分が不安に思っていたことを探求してみたかった」と企画当初の思いを振り返る。
物語の主人公は、花き農家の息子であるレオ。幼なじみのレミとは兄弟のように仲良しで、昼間をともに過ごすだけでなく、夜も一緒に眠る日々を送っていた。しかし中学生になった2人は、その仲むつまじい様子を見たクラスメイトから「付き合ってるの?」と尋ねられる。レオは親友だと否定するが、学校でからかわれるうち、レミとの距離を置くようになった。ある朝、レオはレミを置いて先に登校し、2人は大げんかになる……。
ドン監督がこの物語を着想したきっかけは、故郷の小学校を訪れた際、幼い頃の記憶が蘇(よみがえ)ってきたこと。「当時は素の自分でいることだけでも大変だった」といい、自身の実体験が物語の根幹に横たわっていることを明らかにした。
「(学校では)男女がそれぞれ別の行動をとっていて、私はいつも自分がどのグループにも属していないと感じていました。女の子のようだった私はからかわれることが多くなり、特に男の子との交友関係に不安を感じるようになったのです。男の子と仲良くなることが、私のセクシュアル・アイデンティティに対する他人の思い込みを証明するように思えて」
自分の体験を広く届けるために
兄のいるレオは、同級生とサッカーをしたり、アイスホッケーのクラブに入ったりと活発な少年。一方のレミは一人っ子で、オーボエを演奏し、男の子の輪には入ろうとしない大人しい性格だ。表面的には対照的な2人だが、お互いに違った顔を見せることもある。
監督は、「私はレオであり、レミでもある。それぞれの中に私自身がいると感じます」と語る。「執筆の出発点は、“大切なものを壊してしまう”というアイデアでした。若い頃には、結果や影響を考えず、つい何かを壊してしまうことがあります。そうさせる背景には、一人でいられずに、集団に属したいという思いもあるのではないか。そんな発想から始めてみたかったのです」
前作『Girl/ガール』に続き、監督は今回もパーソナルなテーマと物語に取り組んだ。しかし、脚本を執筆する上で大切にしたのは、物語により大きな普遍性をもたらすことだったという。
「自分自身のことはどこかに置いて、どうすれば私たちみんなに関係するものになるかを考えなければなりません。そこが難しいのですが、人々をつなぐために不可欠な要素です。若い頃は誰でも、自分の責任を初めて認識したり、友人に裏切られて傷ついたりするもの。そういう視点から、様々な世代に通じる作品にしたいと思いました」
物語の中盤には、ある大きな事件が待ち構えている。レミと大げんかしたレオは、仲直りできないまま、彼との突然の別れを知らされるのだ。
「子どもたちの優しい世界、子ども同士のつながりを描いてから、後半で無邪気さや親密さの喪失を扱おうと考えました。作品が(前半と後半の)2つに分かれ、大きな変化を遂げる展開は最初から頭にあったのです」
画面の色で物語を語る
ドン監督にとって、脚本を書くことは「言葉にできないものをイメージで正確に表現しようとする」作業だという。執筆段階で最初に思い浮かんだのは「闇」のイメージだった。それは映画冒頭、レオとレミの“ごっこ遊び”の場面に表れている。2人は敵の軍勢に包囲された地下壕(ごう)にいて、そこから脱出しようと試みるのだ。
「地下壕の暗闇から、少年2人が花畑へ飛び出していく。戦争をイメージさせる暗闇に、生命、優しさ、色彩を対置することで、解放を感じさせるのです。粗暴さと脆(もろ)さを対比するドラマツルギーが、映画のスケールをより大きくしてくれると考えました」
映画の後半、こうした色彩のアプローチはより前面に押し出される。レオが喪失を経験し、季節が移ろう中で画面の色が変化してゆくのだ。レオ一家の花畑は、秋になると花が切られ、彩りが失われる。かわりに現れるのは、土や大地の茶色、あるいはアイスホッケーの練習場に広がる人工的な寒色だ。
「物語は夏から始まり、秋、冬、春へと移り変わります。映画の前半は少年時代の暖かい夏……彼らが時間を持て余し、走り回り、ベッドに横たわり、ともに過ごした時間ですが、後半はトーンを落とし、影のある雰囲気で撮ろうと考えました。花が落ち、夏が終わり、何も変えられないまま時間が流れる。映画の焦点が人物の内面に向かうにつれて光は弱まりますが、最後には再び光が戻るのです」
ドン監督の狙いは、画面の色彩によって物語を観客に伝えること。「この映画にとって、季節の変化や時間の流れは贈り物でした。悲しみの過程を描くため、(色彩の)コントラストを強調したかったのです」と語った。色彩と“解放”のイメージが当初からあったためだろう、ラストシーンも早い段階で執筆されたという。
若き俳優たちとの共同作業
難役であるレオとレミを演じたのは、エデン・ダンブリンとグスタフ・ドゥ・ワエル。堂々たる演技を見せるが、ともに本作が映画デビューの新星だ。
レオ役のエデンは、監督が自らオーディションに誘った。冒頭のシーンを書き終えた直後、電車内で友人と話すエデンを見て、その場で声をかけたという。オーディションで最終候補に残った2人は、自分たちが役を射止めるため、こんな策略まで練っていたそうだ。
「事前のアンケートに“世界で一番好きな人は?”という問いがありました。その答えに、2人はお互いの名前を書いていたのです。彼らは大人たちを操ろうとするほど賢く、私たちの求めていた特別な資質を備えていることがわかりました」
エデンとグスタフの才能を引き出すべく、ドン監督は2つの作戦を立てた。1つは、長い時間をかけてコミュニケーションを重ね、彼らという人間を深く理解すること。もう1つは、たった1度しか脚本を読ませないことだった。
「2人に映画の内容をすべて知ってほしい一方、すべて脚本通りに演じなければならないと思わせたくはありませんでした。書かれたことをただ実行するのではなく、創造的に探求し、物事を解釈して初めて、役柄は命を宿すもの。私は彼らに問いを投げかけても、答えを与えることはしていません。大切なのは、彼らが自分自身の答えを見つけることだったからです」
自身のテーマを社会に問う
自らの経験を題材に、子役を起用して、少年のセクシュアリティや、喪失がもたらすメンタルヘルスの問題を描く。デリケートなテーマをはらみ、物議を醸しうる作品だが、ドン監督は「観客が映画をどう観るかはコントロールできません」と語った。
もっとも監督が望んでいるのは、あくまでも先入観なく、フラットに映画を観てもらうこと。創作の出発点であり、本作の主題となった個人的なテーマについてもその姿勢は変わらない。
「私たちはセクシュアリティというレンズで人間の親密さを測りがちです。たとえば少年2人がベッドで横になっていたら、すぐに彼らがゲイかどうかを考えてしまいます。この映画で描いたのは、まさにその問題でした。レオとレミのセクシュアリティそのものではなく、人々が彼らの親密さをどう見ているか、いかに図式化して理解し、特定のラベルを貼りたがっているかを描こうとしたのです」
意外にも、学生時代は大作映画に憧れていたというドン監督。『Girl/ガール』、『CLOSE/クロース』と個人的な物語を紡ぎ出す創作を続けてきた今、もはや娯楽映画を撮ることにあまり関心はないようだ。現在の彼にとって、映画とは「言葉にすることなく何かを語ることができるものであり、細かな属性で分断される世界で人々をつなぐもの」だという。
「私が大作を撮りたがっていたのは、目の前の現実から逃避し、自分の人生とまったく別の、スクリーンに広がる壮大なフィクションの世界に没入したいと思っていた時期でした。当時は自分ではない誰かになりたくて、そのために他人を見つめ、その行動を研究していたのです。もちろんいつかは、また大作映画を撮りたいと思う日が来ないとも限りません。しかし今はまだ、自分の目で見つめるべきものがほかにあると思っています」
取材・文=稲垣 貴俊
作品情報
- 監督:ルーカス・ドン(『Girl/ガール』)
- 脚本:ルーカス・ドン、アンジェロ・タイセンス
- キャスト:エデン・ダンブリン、グスタフ・ドゥ・ワエル、エミリー・ドゥケンヌ
- 製作年:2022年
- 製作国:ベルギー・オランダ・フランス
- 上映時間:104分
- 配給:クロックワークス/STAR CHANNEL MOVIES
- 提供:クロックワークス 東北新社
- 公式サイト:closemovie.jp
- 7月14日(金)より全国公開
予告編
バナー写真:映画『CLOSE/クロース』の主人公レオ(右、エデン・ダンブリン)とレミ(グスタフ・ドゥ・ワエル) © Menuet / Diaphana Films / Topkapi Films / Versus Production 2022