
『共に生きる 書家金澤翔子』:天才書家の初ドキュメンタリー映画で振り返る母・泰子と歩んだ軌跡
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『共に生きる 書家金澤翔子』は、写真家・宮澤正明の監督2作目となる映画。着想からわずか1年半というスピードで完成させた。説明的なナレーションを排し、音楽に乗せて躍動感あふれる映像に仕上げた。書の力強さやエネルギーを、高画質の大スクリーンで世界の人々に言語を超えて届けたいとの思いが込められている。
宮澤が翔子の書に出会ったのは2021年12月。東京・六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーで開催された個展「つきのひかり」だった。躍動する筆さばき、和紙と墨の作り出すコントラストに圧倒され、単なる書を超えたアートだと確信した。
「なぜこのような書が生まれるのか?」。その謎に迫ろうと翔子に密着するうちに、母・泰子との二人三脚による歩みを映像作品として表現した。
映画『共に生きる 書家金澤翔子』完成披露上映会で登壇した金澤翔子と母の泰子(左)、宮澤正明監督 © nippon.com
母娘の新生活に密着
2022年4月、宮澤のカメラは、思い出の詰まった生家を離れて新居に引っ越す母娘を捉える。2人は近所の久が原銀座商店街(東京・大田区)に住居を兼ねたビルを構え、活動の拠点を移すことになったのだ。
翔子は8年ほど前に、スープの冷めない距離とはいえ、泰子の元を離れ1人暮らしを始めた。今回の引っ越しで、母と娘の生活は新たなフェーズに入る。1階にギャラリー「書廊・翔子」、2階に泰子さんの書道教室が入ったビルは、上階が2人の生活スペースとなっている。母娘は別々のフロアで暮らし、翔子の1人暮らしは形を変えて続けられることになった。
「障害のある子どもの母親が思うことはただ一つ。自分が死んだ後に、この子が生きていけるかどうかです」と泰子は言う。
感受性の強い翔子は、「娘を自立させなくては」という母の思いを感じ取り、「30歳になったら1人暮らしをする」と自分から言い出したのだという。
長続きしないだろうという予想を裏切り、翔子は母に教わることなく、周りの人に助けられながら、1人暮らしを身に付けていった。大きなスーパーには行かず、小銭を握りしめて商店街の店々を駆け回る翔子のありのままを、街の人々が受け入れるようになった。この街なら娘を託せる、いま泰子はそう確信する。
始まりは「涙の般若心経」
映画は、翔子が初めて筆を手にした頃から、昔の写真と泰子の語りで振り返っていく。翔子が生まれた1985年当時は、障害者の置かれた状況が今よりずっと厳しかった。泰子は翔子が5歳の時、小学校に通う前に友達を作ってあげたいとの思いで書道教室を開いた。
普通学級に入った翔子は、理解ある担任の先生に恵まれた。「翔子さんのいるクラスは優しく、穏やかになる」と言われた泰子は救われる思いがした。しかし、それも長くは続かなかった。10歳の時、特別支援学校への転校を求められ、存在を否定されたような苦しみを味わった。
その感情をどこかへぶつけるために、泰子が思い立ったのが、般若心経を翔子に書かせることだった。
「無謀だったと思います。4年生で、しかも文字も書けない障害者に書かせたのですから」
翔子は母の気持ちを静めようと、泣きながら朝から晩まで何千字も書いた。涙がポトリポトリと紙に落ちる。それでも毎日、経文に書かれた272文字を繰り返し写した。翔子の集中力と楷書の基本は、こうして出来上がった。それは母娘の師であり、江戸時代から楷書の美を追究してきた名門・柳田家の4代目、柳田泰山も認める。当時の作品は、のちに『涙の般若心経』と呼ばれることになる。
「最初で最後」の個展
翔子が14歳の時、父・裕が突然の病で亡くなった。それから数年後、翔子の就職活動がうまくいかず2人して落ち込んだ時、泰子は生前の夫の言葉を思い出した。「20歳になったら一生に一度のお披露目をしてあげよう」
こうして2005年、初の個展「翔子 書の世界」を銀座で開催した。泰子が「最初で最後」と考えた個展だったが、予想に反して大勢の人が訪れ、「ダウン症の天才書家」としてメディアの脚光を浴びることになる。
無心の書
映画には、翔子が揮毫(きごう)する迫力のシーンが満載だ。筆を持つ前には正座し、天国の父に祈りをささげる。凛(りん)とした空気、何かが降りてきたような瞬間、大人でも重い特大の筆を一気に走らせる。「皆さんに元気とハッピーと感動をあげたい」という翔子。大観衆の前でも緊張したことはないと言い放つ。
「私たちはどうしてもうまく書こうという意識がありますが、あの子には全然それがない。実に無心な字なのです」。鎌倉・建長寺の吉田正道管長をして、座禅の道に通じる「鑑(かがみ)」と言わしめた。
仏の道を追求し、翔子の書に魅せられた者は多い。毎年個展を開催する龍雲寺(静岡県浜松市)の木宮行志住職もその一人。般若心経が教える「空(くう)の世界観を体現する存在」であり、「仏様がまさに筆をとって書いたようだ」と翔子を評する。龍雲寺は、翔子が30歳を機に書いた巨大な般若心経を収めるために、お堂を新築した。縦横4×18メートルの書は、「世界一大きい般若心経」と言われている。
母と子に伝わる共感
伊勢神宮、奈良の法隆寺や東大寺、京都の建仁寺、鎌倉の建長寺など日本を代表する神社仏閣で奉納揮毫を行ってきた翔子。そんな場面でよく見られる光景がある。子ども連れの観衆だ。ダウン症の子どもと一緒の母親も少なくない。
京都・建仁寺所蔵の国宝『風神雷神図屏風』の横に奉納された「風神雷神」の書(提供:大本山建仁寺)
泰子から語りかけられた若い母親たちが目を潤ませる。傍らには、畳の上で赤ちゃんや子どもたちの頭をなで、抱きしめる翔子の姿がある。
「私たちは子どもが泣くと、何とか泣きやませようとするでしょう。翔子さんは近づいて子どもたちの頭をなでながら、『すなおになあれ、すなおになあれ』と自分も一緒に涙を流すのです」と木宮住職が語る。「書の素晴らしさ以上に、彼女の心の世界を学んでいかなくてはいけないと強く思いました」
未来の金澤翔子
美術界からも、翔子の書に対する賛辞が寄せられる。東京藝術大学学長や文化庁長官を歴任した金属工芸家、宮田亮平は「まさしく芸術」。ニューヨーク在住の日本画家、千住博も『涙の般若心経』を前に、「ブランクーシやイサム・ノグチといった巨匠の彫刻と同じような迫力を感じる」と話す。
映画の終盤、翔子の書について語る千住の言葉は、示唆に富んでいる。不安にあふれ、生命が萎縮していくような時代だからこそ、求められている芸術だと説く。温かい気持ちで翔子の姿と作品を見つめてきた観客は、千住が放った厳しい言葉に一瞬ひやりとさせられる。
それが何なのか、映画館で確かめてほしい。芸術家の先輩が翔子に愛情をこめて贈ったエールにほかならない。その一言で観客はこれからの翔子の生きざまや、まだ見ぬ作品に思いをはせることになるだろう。
龍雲寺「世界一大きい般若心経」が掲げられたお堂の広間で、揮毫の前に手を合わせる2人 © マスターワークス
バナー写真=© マスターワークス
予告編
作品情報
- 監督:宮澤 正明
- 出演:金澤 翔子 金澤 泰子
- プロデューサー・構成:鎌田 雄介
- 音楽:小林 洋平
- 編集:宮島 竜治
- 撮影:宮澤 正明 大田 聖子
- アーカイブ映像監督:小島康史
- 製作:マスターワークス
- 制作:GENERATION11
- 配給・宣伝:ナカチカピクチャーズ
- 製作年:2023年
- 製作国:日本
- 上映時間:79分
- 公式サイト:shoko-movie.jp
- 6月2日(金)全国公開