映画『せかいのおきく』:糞尿まみれの青春時代劇を通じて伝えたいもの 企画・プロデューサー原田満生が語る
Cinema 環境・自然・生物- English
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デビュー作の『どついたるねん』(89)以来、30年以上も第一線で活躍してきた阪本順治監督。ほぼ毎年のように映画を撮り続け、『冬薔薇』(22)の次作となる『せかいのおきく』でついに30作目を迎えた。
モノクロの時代劇で、かつての標準的な画面比だったスタンダードサイズ(1.33:1)。昨今の流れに逆らうフォーマットをあえて選んだあたりに、これまでの作品と一線を画す意気込みが感じられる。ところが元をたどると、特に30作目を記念した企画ではなかったようなのだ。通常の映画作りとは異なる発想から生まれ、阪本監督はそのプロジェクトに“巻き込まれる”ような形で参画することになる。
未知の分野の科学者と出会う
それがこの企画の発信元となる「YOIHI PROJECT」で、発起人は監督と長年にわたり仕事を共にしてきた美術監督の原田満生。まずは阪本監督に声を掛けるまでを振り返ってもらおう。
「僕が2019年に大病を患って、自分の生き方や映画との向き合い方をあらためて考えました。その直後コロナ禍になり、世の中も価値観の転換期に入りましたよね。映画の仕事も止まってしまった。そんな時期に学者の方々に話を聞いたのがプロジェクトの発端でした」
世界のバイオエコノミー研究者とネットワークを持つ藤島義之氏、東京大学大学院の農学生命科学研究科でバイオマスを研究する五十嵐圭日子(きよひこ)教授と出会った原田は、彼らが専門とする分野の存在を初めて知り、率直にその驚きをぶつけてみた。
「世界で活躍されている方々だというのですが、職業を聞いても何だかよく分からない。で、今やっていらっしゃる活動は、申し訳ないけど、世の中にまったく伝わっていないですよと。僕みたいな庶民に理解できるところまで伝わらないと、意味がないんじゃないですかって」
伝わらなければ意味がないというのは、長年、商業映画に携わってきた原田にはなじみの発想だ。
「環境問題と言われても、自分には無縁の世界だと思っていました。映画を作ることしか頭になかったから。でも伝えることの難しさ、これはよく分かる。映画とコラボすれば面白いことができるかもしれないと話したら、共感してもらえて。ちょうど自分のためだけに突っ走るのは終わりかなと考えていた時期だったので、何か始めてみる気になったんです」
盟友・阪本監督に断られる
こうして原田が代表となり、前述の藤島、五十嵐の両氏に学術的な役割を担ってもらいながら、映画人と自然科学者のネットワークを結び合わせて、さまざまな活動を試みる「YOIHI PROJECT」が立ち上がった。地球環境の危機的な状況が改善しない今、様々な時代の「良い日」を現在から未来へとつなぎ、100年後にも「良い日」が訪れることを多角的に目指すプロジェクトだ。
その第一弾となる作品を撮ってもらおうと決めていた相手が阪本順治監督だった。ところがいざ話をしに行くと、断られてしまったという。
「そういうきれいごとの言葉を並べても世の中は変わらないし、そもそも僕はその問題に関しては何も分からない。ごめんね、僕にはできないと言われました」
それでも、コロナ禍で映画制作がストップする中、撮りたい気持ちは自分と同じはずだという確信があった原田は、具体的なプロジェクトをいくつか持ち込んで食い下がった。その中で阪本監督が「これならできるかもしれない」と関心を示したのが、江戸時代に「汚わい屋」と呼ばれた商売があり、人の糞(ふん)尿を肥料として農業に利用する「循環経済」が成立していたという視点だった。
「うんちだし、地べたから世の中を見ているから、きれいごとじゃない。それに、うんちをテーマに映画を撮ったヤツなんていないからねって。まずはその切り口で、『江戸のうんち』という15分くらいの脚本を書いてもらったんです。ただ、頼みながらも、内心はさあどうしようか、お金がないぞって感じだったんですけどね(笑)」
それでもプロジェクトを前に進めようと、公開のメドすら立っていないことを承知してもらった上で、黒木華、寛一郎、池松壮亮の出演を取り付ける。スタッフもそうそうたるメンバーが手弁当で集まってくれた。こうしてまずは3年前に、1日だけの撮影が行われた。費用は原田の自腹だ。これが後に『せかいのおきく』の第7章になった部分だという。
おきくのせかいの幕が開く
万延元年(1860年)の冬、江戸の長屋の朝。下肥(しもごえ)買いの中次(ちゅうじ、寛一郎)が厠(かわや)に溜まった糞尿を汲みにやってきて、顔見知りの住人で武家育ちの娘おきく(黒木華)と挨拶を交わす。さまざまな商売を営む住人が、鼻をつまんで中次を見送り、一日の仕事に出かけていく。しばらくして意を決したおきくが中次の暮らす長屋を訪ねる。中次が言葉にならない思いをおきくに伝えようともがく間、あたりに雪が降り積もっていく美しいシーンが印象的だ。
次に、原田がどうしてもほしかったという小舟で糞尿を運搬する場面を2年前に撮影。『せかいのおきく』では第6章に当たる。中次が着物に付いた臭いを気にするのを見て、櫓(ろ)をこぐ兄貴分の矢亮(やすけ、池松壮亮)が、「ほれた女でもできたのか」とからかう。軽口を叩きながら運んだ糞尿を肥溜めに移し、帰り道に言い争いになるが、結局は仲直りをして、若者らしい夢を語る。糞尿の描写を忘れてしまうほど、晩夏の一日がさわやかに暮れていく。
「ここまで撮って、僕の予算が尽きるわけです(笑)。でもともあれ、30分弱のものはできた。お金がないから小さなモニターで編集をしていたんですが、監督とカメラマンと数人で、一度大きなスクリーンで観てみようと。終わったらみんなずっと無言。すごく感動したんですよ。横を見たら監督もフリーズしている(笑)。『やばい、泣きそうなぐらい感動してるわ、これはエエな』って。素晴らしい、やっぱり長編を作りましょうとなって」
この2話をつないで長編とするストーリーを書くよう阪本監督に依頼した原田は、できた映像で資金集めに動く。
「映画の成り立ちとしてはかなり特殊です。でも僕はそれをやりたかった。これまで普通の映画作りをしてきて、そこはリスペクトしながら続けていますけど、今回はそうじゃないやり方をしよう。映画業界で通常お金を出す会社ではないところから集めようと。同じルーティンの中でやって、お金の流れが一緒だと、僕らが考える価値観の映画は生まれないと思っていたので。ビジネスは忘れてください。こういう活動を支援することが、これからの企業の立ち位置になっていく。単にモノを作って売るという時代はもう終わりなんですと」
そう主張して理解してくれる出資者を見つけるのは、当然ながら至難の業だった。「さあ参ったぞ」と思いながらも、メイン3人のスケジュールを押さえ、他のキャスティングも進めていく。阪本組の常連、眞木蔵人、佐藤浩市、石橋蓮司も出演に応じてくれた。
こうして、映画作りの法則を熟知した人物が、常識を逸脱した方法論で企画・プロデュースを進め、ついに出資者や配給会社に手を挙げさせるに至った。
「従来の映画製作って集客、興行収入がメインなので、事前にある程度の計算ができるものしかやろうとしませんよね。その結果、人気漫画が原作のものとか、キャストは誰とか、音楽はこの人とか、出てくるデータで大体決まってくるんですよ。それじゃあ、本当にモノを作っていることにはならないなと。もっと映画の可能性を広げておかないと、次の世代が自由に作れないですよね」
映画公開のその先を見る
映画が完成し、公開しただけで満足してはいけないと原田は語る。人々に観てもらった後、何が伝わるかが大事だと。
「お金もうけしようとは思っていませんと。これは最初に出資者に言いました。サステナブルって、要は持続するってことですよね。物事は持続しないと変わっていかない。僕にとってのサステナブル事業は伝えることで、持続して伝えていくために、何が必要かを考えてきました。だから大ヒットよりも、次につながる結果がほしい。メッセージが伝わらないと嘘っぱちのプロジェクトになってしまう」
メッセージを込めるだけでは伝わらない。そこが難しいのだという。
「オランダ(ロッテルダム国際映画祭)で上映した後、学者ではない一般の女性に『循環型社会をベースにしながら、ラブ&ホープを描いた素晴らしい映画でした』と言われた。それで十分だと思いましたね。頭でっかちにならないエンタテインメントで、テーマ性のあるものを作る意味はそこにあります」
物語の時代設定は幕末。安政から万延へと元号が変わる前後の時期だ。震災が相次ぎ、200年以上続いた鎖国が解かれ、幕府が反対勢力を弾圧し(安政の大獄)、権力者が暗殺された(桜田門外の変)。『おきくのせかい』はそんな、今に通じる時代の転換期を生きる若者たちを描いた物語でもある。
「日本の庶民が“世界”を初めて意識した時代ですよね。そこはプロジェクトのコンセプトを反映した重要なテーマです。お客さんには、まずは人間ドラマを楽しんでもらって、こんな時代があったのか、こういう問題があるんだというのを気付いてもらう。それから諸問題に対して、自発的に興味を持つきっかけにしてもらえればいい。過去の知恵を、必ずしも直接、現代の生活に生かせるわけではありません。でも100年後、そういう技術が簡単に使える時代が来るかもしれない。映画は100年以上残ってきた実績があります。続けていく、残していくことが大事かなと思います」
取材・文=松本 卓也(ニッポンドットコム)
作品情報
- 出演:黒木 華 寛一郎 池松 壮亮 眞木 蔵人 佐藤 浩市 石橋 蓮司
- 脚本・監督:阪本 順治
- 企画・プロデューサー・美術:原田 満生
- 製作:近藤 純代
- 音楽:安川 午朗
- 撮影:笠松 則通
- 録音:志満 順一
- 照明:杉本 崇
- バイオエコノミー監修:藤島 義之 五十嵐 圭日子
- 製作:FANTASIAInc. / YOIHI PROJECT
- 制作プロダクション:ACCA
- 配給:東京テアトル/ U-NEXT /リトルモア
- 公式サイト:http://sekainookiku.jp/
- 2023年4月28日(金)GW 全国公開