『メグレと若い女の死』:パトリス・ルコント監督が語る、映画作りという仕事への愛
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60年ぶりに銀幕によみがえる名刑事
「メグレ警視」シリーズは、ベルギーの作家ジョルジュ・シムノン(1903-1989)が1931年から72年までに発表した一連のミステリ小説。短編を含め100作以上にのぼる。主人公のメグレ警視ことジュール・メグレが地道な捜査とすぐれた観察眼で難事件を解決していくストーリーだが、主人公のキャラクターと、真相が明らかになる過程で事件の背後に浮かび上がる人間模様も魅力で、世界中で長く愛読されている。
このシリーズから、フランスをはじめ各国で数々のテレビドラマや映画が作られ、個性豊かなメグレが何人も生まれた。中でも出色なのは映画史に残るフランスの名優ジャン・ギャバン。本国で56年、58年、63年に公開された3作でメグレを演じ、作者自身が「ギャバン以外の姿でメグレを想像できなくなった」というほどの“決定版”となった。そのせいもあってか、映画では以後60年近く、新しいメグレは生まれなかった。
その長き不在にピリオドを打ったのが名匠パトリス・ルコントだ。脚本家のジェローム・トネールと共同で企画を立て、銀幕にメグレを復活させるというチャレンジに乗り出した。トネールは、監督と『ぼくの大切なともだち』(06)や『暮れ逢い』(13)などで組んだ盟友。2人にはジョルジュ・シムノンのファンという共通点があった。
「新作の企画を話し合っていたとき、ジェロームは私に言いました。メグレを読み直してみないかと。それはとてもいい考えに思えました。メグレはテレビシリーズでもおなじみの名キャラクターでありながら、映画はもう何年も作られていません。ですから、うぬぼれに聞こえるかもしれませんが、ここで“われわれのメグレ”を見せたい、そう思ったのです」
名優ドパルデューとの初タッグ
2人で手分けして映画化に適したストーリーを探し始めると、ほどなくしてトネールから「見つけた」と連絡が入った。それが『メグレと若い女の死』だった。シムノンが50代に入った1954年に刊行された作品で、シリーズの中でも特にメランコリックな色調が濃いとされる。
「読んでみて感情を揺さぶられました。夜会服を着た若い女性の死体が夜の公園で見つかる。ナイフで何カ所も刺され、血だらけだった。彼女が誰なのか知る者はいない。この始まりで完全に心をつかまれます。誰が殺したかではなく、殺されたのは誰か。メグレ警視の捜査はまず、犯人よりも被害者を追う形で進んでいく。そこがユニークなんです」
ではメグレ役を誰に演じてもらうのか。映画監督がその考えなしに企画を立てるとは考えにくい。ジャン・ギャバンのイメージが強烈なだけに、“新しいメグレ”を一緒に作るにふさわしい俳優の名が最初から頭にあったに違いない。
「この企画は、私が長年切望していたジェラール・ドパルデューとの仕事を実現させる絶好のチャンスでもありました。彼とは1度か2度すれ違っただけで、ちゃんと話したこともなかったんです。もちろん、お互いどんな仕事をしてきたかはよく知っています。会ってすぐに2人の間に信頼が生まれるのが分かりました」
―実際にドパルデューが演じたメグレはどうでしたか?
「今回の主人公は、メグレであり、ドパルデューでもある。2人が融合した人物になりました。俳優の仕事として、これ以上のことはないのではないでしょうか。ドパルデューは役を通じて、自分の中に湧き上がる感情を表すことができていた。彼はこれまでロダンやバルザックなど、歴史上の偉人たちを演じてきました。ところがここ何年も、彼に見合う大物の役が来なかった。メグレは架空の人物とはいえ、久々の大役です。でもドパルデューがひるむはずはありません。彼は喜んで私たちが描いたメグレになってくれました」
―原作をかなり自由にアレンジしたそうですが、これまでのメグレ像と違うところはどのあたりですか?
「序盤に登場するメグレは、すっかり疲れて、仕事への情熱を失ってしまったかのようです。ところが発見された遺体を前にして、彼の瞳にまた炎がともる。被害者が若く、誰にも知られていない女性だったからです。ショッキングな事件に接して、彼はほとんど個人的な関心から捜査にのめり込んでいくように見えます。まずその変化を描きたかったのです」
手堅い仕事への愛着
―今の時代にあえてメグレのような古いタイプの人物を描くことに、どんな意義を感じましたか?
「最近のテレビや映画にも刑事物はたくさんありますが、最新のテクノロジーによる科学捜査を扱ったものが多く、すぐにDNAがどうのといった話になります。一方、メグレは地道な聞き込みを続けます。私が好きなのは、彼が常に疑い、確信できないところです。シャーロック・ホームズやエルキュール・ポワロは特別な才能の持ち主で、自分の推理に自信を持っている。ところがメグレはもっと私たちに近い。決して分かったふりはせず、自問自答を繰り返し、手探りで進んでいきます。口数は少ないが、人の話をちゃんと聞く、そういう良さを伝えてくれる人物ではないでしょうか」
―ストーリーは犯罪捜査を軸に展開しつつ、単なる謎解きで終わらない人間ドラマになっています。
「シムノンは犯罪の背後に、奇妙で複雑な人間性や人間関係を俯瞰していて、そこが面白い。彼は並外れた洞察力で人間を観察します。メグレの捜査は、人々を描き出すための口実なんじゃないかとさえ思わせる。そのくらい登場人物たちの感情が細やかに描かれ、私もそこに反応して、注目しないわけにはいかなくなるのです」
―『仕立て屋の恋』も、ジョルジュ・シムノンが原作でした。1933年の小説ですが、映画はあまり時代を感じさせませんでした。
「あの映画では、車や装飾品など、時代のディテールを細かく再現せず、できる限り普遍的に見せようとしました。それで時代を超越した感じになったのです。今回の『メグレと若い女の死』は50年代の話で、もう少し時代性を出しました。ただし基本的には、これも時代を超えた映画です。時代のディテールを詰め込み過ぎると、一番大事な感覚が失われるように思うんです。第一の目的は、人々の心に触れ、動かすこと。何が起こっているのか、どんな人なのか。私に関心があるのはそこであって、時代ではないんです」
―監督の作品作りからは、キャリアが終盤に近付いても、常に手堅さを心掛けているように感じられます。
「私に“集大成”という考えはありません。ラストを飾る盛大な花火を打ち上げようとか、そんな気にはなれません(笑)。『メグレ』をそれにするつもりはないし、他の作品もそんなつもりで作ったことはないです。小説の映画化というのは、とても個人的なプロジェクトです。その話に自分との関わりを感じ、心を動かされるからです。私はいつも映画の中に身を置かねばならないと考えています。距離を置いて映画を作ることはできません。私自身がすべての登場人物にならないといけない。ですから私もメグレ警視なのです。ドパルデューほど分厚い体ではないけれど(笑)。あらゆる登場人物の中に入り込んでいって、彼らの感情や疑念を理解しようとするんです」
―これまで何度か引退に言及していますが、そのたびに監督の仕事へと引き戻すものは何ですか?
「実は企画が白紙になって、非常に落ち込む時期があったんです。脚本を書き上げて、話が進んでいたのに、資金の問題で水の泡になってしまった。今までこんなことはありませんでした。そんな企画が4つもありました。多くの時間と労力を注いだのに、成果はゼロ…。前作から『メグレ』まで7年も間があいてしまいました。映画が作れなかった期間としては、私のキャリアの中で最長です。私はもう若くない。過ぎゆく年月に不安を感じました。映画作りをやめて、後進に道を譲るかと考えたこともあります。もう無理だ、大変すぎると。でもすぐに気が付くんです。映画をやめたら、何が残るんだって」
―小説も書いていらっしゃいますよね?
「小説の方が簡単だとは言いません。でもお金はかからない。そういう意味では、映画より簡単なのかも(笑)。まあ、映画作りは大変ですが、ほかにこれほど好きになれることはないですからね。何とか頑張って、新しい企画を生み出すしかないんです」
取材・文=松本 卓也(ニッポンドットコム)
作品情報
- 原作:ジョルジュ・シムノン
- 監督:パトリス・ルコント
- 脚本:パトリス・ルコント、ジェローム・トネール
- 撮影:イヴ・アンジェロ
- 音楽:ブリュノ・クーレ
- 出演:ジェラール・ドパルデュー、ジャド・ラベスト、メラニー・ベルニエ、オーロール・クレマン、アンドレ・ウィルム
- 製作年:2022 年
- 製作国:フランス
- 上映時間:89 分
- 配給:アンプラグド
- 公式サイト:https://unpfilm.com/maigret/index.html
- 新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開中
予告編
バナー写真:パトリス・ルコント監督の映画『メグレと若い女の死』でメグレ警視を演じるジェラール・ドパルデュー ©2021 CINÉ-@ F COMME FILM SND SCOPE PICTURES