映画『ウクライナから平和を叫ぶ』:写真家の目で見つめ、被写体に語らせる戦争の不条理と悲惨
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ロシアがウクライナへの侵攻を開始して5カ月以上が過ぎた。私たちはこの間、専門家の分析などを通じて、この戦争がなぜ起こったか理解しようと努めてきた。明快な答えはいまだ見つからず、それを導き出すことに難しさを感じる一方だ。ここで少し視点を変えてみるのも必要かもしれない。
『ウクライナから平和を叫ぶ~Peace to you All~』は、東部ドンバス地方での紛争開始当初、どちらの側にも属さない外国人の目で現地をレポートした2016年のドキュメンタリー映画だ。スロバキアの若手写真家ユライ・ムラヴェツJr.が、戦争で生活を奪われた人々が語る体験に耳を傾け、その表情をフィルムカメラで撮影し、モノクロのポートレートに焼き付けていく。
スロバキアといえば、ウクライナの西隣。冷戦時代はチェコと連邦を成し、「鉄のカーテン」の東側にあった。1987年生まれのムラヴェツJr.は、チェコスロバキアの共産党政権が崩壊したビロード革命の時、まだ2歳だった。ソ連時代へのノスタルジーなどまったくない世代だ。しかし14歳の時、米国の有名な報道写真家アンソニー・スアウが旧東側諸国で撮った写真集に衝撃を受ける。自分も彼のような仕事がしたいと感じ、2010年からカメラを手にシベリア鉄道で旅して回り、周辺に暮らす人々の生活風景を収めてきた。
突然置かれた“国境”による分断
その1つ、ウクライナで2013年11月から14年2月にかけて、大きな市民運動が起こる。欧州連合への接近を求めるこの「ユーロマイダン」運動は、親ロシア派ヤヌコーヴィチ大統領の追放と親欧米派政権の誕生をもたらした。その一方で、これがロシアの反発を招き、クリミア半島併合やドンバス地方の紛争へとつながっていく。
ムラヴェツ監督は、いても立ってもいられなくなり撮影に向かった当時の気持ちをこう振り返る。
「これは間違いなく、ソビエト崩壊後の旧ソ連諸国で起きた最も重大な出来事でした。私はそれ以前から片足を突っ込んでいて、逃れようにも逃れられなかった。東部の分離派支配地域は、私にとって未知の世界だった。面白いものが撮れるに違いない。それ以上の深い考えはありませんでした。どんなことがあっても行かなくてはと思っただけです」
15年4月にキーウからウクライナに入ると、東部のドネツク州に向かい、撮影を開始する。1年前に親ロシア分離派勢力が「ドネツク人民共和国」の建国を宣言した地だ。以前は自由に往来できていた道路に突然“国境”が置かれた。
国境といっても、双方に検問所があり、その間に長い中間地帯が続く。車列が並び、2カ所の検問所を越えるのに2日かかることもあるという。この時すでに住民の多くが州外へと避難しており、残った人の大半は親ロシア派だった。
ここで得られた住民たちの証言は、ウクライナ側を非難する声がほとんどだ。ウクライナ軍に事実無根のスパイ容疑で拘束され、暴行を受けて収容所に送られた炭鉱夫もいる。同じように連行され、捕虜交換の要員にされた同僚が何人もいたという。キーウの政府をネオナチ呼ばわりする人、プーチンに助けを求める人は現実に存在したことが映像によって確かめられる。
映画が公開された後、分離派住民の声を取り上げたといって、多くのウクライナ人から批判されたとムラヴェツ監督は振り返る。
「でも私は、彼らが自分の意見を表明できたのはよいことだったと思っています。これらの民間人を責めるべきではないと。彼らは戦争の被害者です。どちらの側の声も聞くべきだと思います。あの地域に行けたのはとても貴重でした。いまとなっては、西側のジャーナリストが行くことはできませんから」
いまや消滅した町での記録
16年2月、ムラヴェツ監督は再びウクライナ東部を訪れるが、ドネツク人民共和国側から「NATO側のプロパガンダ・ジャーナリスト」として入国を拒否されてしまう。
「当初のプランでは、1年後に同じ場所を訪れて、人々の暮らしが戦争によってどれほど停滞しているか、定点観測を行うつもりでした。ところがドネツク側は、私を入らせてくれなかったのです。それでウクライナが支配下に置く地域で取材をすることにしました」
取材は、ドネツク空港の近くでウクライナが支配するピスキという町、ドネツクのウクライナ側やマリウポリ、その間にあるヴォルノヴァーハなどで行われた。
老婆や少女が苦しみに耐えながらカメラの前で語ったのは、手りゅう弾や地雷がすぐ近くで炸裂し、目の前で人々の命が奪われた恐怖の体験だ。しかしその6年後、ロシア軍の侵攻が始まり、これらの町はより激しい爆撃にさらされることになる。
「私が撮影したこれらの町は、もう存在しません。映画の中で住民が『みんなに平和を』と歌ったヴォルノヴァーハの教会もありません。町全体が破壊されてしまいました。私がいた場所、人々と過ごした場所がもう存在しない。これはとてもつらく悲しいことです」
フォトドキュメンタリーが接近する真実
ヴォルノヴァーハ近くの村に配備されたウクライナ軍第41大隊の前線基地を取材することもできた。
「なぜ紛争が始まったと思いますか」というムラヴェツ監督のシンプルな問いに、ルハンシク州出身の大佐もまたシンプルに答える。「誰もちゃんと歴史から学ばなかったせいだ」と。大佐は「誰が戦っているか分かっている」とも言った。炭鉱夫などの志願兵もいるが、指揮を執っているのは経験を積んだプロの軍人、つまりロシア軍だと。これはロシアがウクライナ侵攻を開始する6年前の話だ。
「あの大佐はとても聡明な人でした。これが一部の分離派が起こした紛争ではないと見抜いていたのです。親ロシアの炭鉱夫が命を捨てて戦った、単にそれだけではないんだと。彼の視点がこの映画にもたらしたものは大きいと思います」
あれから6年が経ち、大佐の見方は裏付けられたとも言える。それでもロシアがこれほどまでに理性を欠いた暴挙に出るとは、想像しがたいことだったに違いない。侵攻について監督はこう語る。
「ロシアがなぜ侵攻したか、私には理解できません。論理的な根拠がまったく見出せない。ノルドストリーム2(ロシアからドイツへ天然ガスを送るパイプライン)の運用開始直前だったのに、多くの金を失い、国際的に孤立し、自国のダメージになるようなことをするなんて…。反対に、ウクライナ人が自分たちの領土のため、自由のために戦うのは、ずっと理解しやすい。彼らをナショナリストと呼ぶのは簡単ですが、そこに至る歴史的な背景があるのです」
もちろんウクライナ人の中にもいろいろな考えがある。映画の中で、ある男性は飼い犬のロシアン・スパニエルをウクライナ兵から「分離派の犬」と呼ばれたことを引き合いに出して、「愚か者たちの戦争」だと言っていた。6年後の今、彼は何と言うだろうか。やはり同じことを言うのではないか。
監督もまた、戦争の愚かさを深く心に刻んでいる。しかしこの作品では、声を大にしてそれを訴えるのではなく、映像そのものに静かに語らせる、写真家らしい方法論を選んだ。だからこそ、戦争の悲惨さと不条理が、観客の心にじんわりとしみてくる。そんな彼の謙虚な姿勢は、画面に時おり登場する振る舞いからも見て取れる。そして何より作品全体から伝わってくる。
「カメラの前で悲しみをこらえながら語る相手に、人間的な反応をせずにはいられない瞬間もありました。でも自分の仕事に徹したつもりです。戦争を止めるのは、政治家にまかせておけばいい。私の仕事は歴史を記録すること、それだけです。いまこのタイミングで、日本でこの映画に関心を持ってもらえるのはうれしい驚きです。2014年から起こっている出来事の歴史的な段階について、これらの映像から学んでもらえるのなら、個人の仕事を超えた喜びを感じずにはいられません」
取材・文=松本 卓也(ニッポンドットコム)
作品情報
- 監督・脚本・撮影:ユライ・ムラヴェツJr.
- 配給:NEGA
- 配給協力:ポニーキャニオン
- 製作年:2016年
- 製作国:スロバキア
- 上映時間:67分
- 公式サイト:peacetoyouall.com/
- 渋谷ユーロスペースほか全国順次公開中