映画『長崎の郵便配達』:原爆の生存者から元兵士へ、親から子へ、時空を越えて伝わる平和のメッセージ
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今から5年前の2017年8月30日、谷口稜曄さんが88歳で亡くなった。長崎の原爆被害を伝える写真の中で最もよく知られたものに、「赤い背中の少年」がある。真っ赤に焼けただれた背中でうつぶせに寝た谷口さんの姿だ。撮影されたのは1946年1月31日。谷口さんは17歳になったばかりだった。あの生々しい傷ですら、原爆の熱線で大やけどを負った日から半年近く経っていた。
1945年8月9日午前11時2分、郵便局に勤めていた谷口さんは、自転車で配達中に爆心地から1.8キロの地点で被爆した。奇跡的に一命を取りとめると、うつぶせのまま1年9カ月にわたる治療に耐え、3年7カ月後にようやく退院できた。その後は、長崎原爆被災者協議会(被災協)会長や日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表委員を務め、全世界に核廃絶と平和を訴え続けた。
谷口さんの半生は、ノンフィクション小説という形で本になり、世界で読み継がれている。1984年に英国で出版された『The Postman of Nagasaki』だ。日本語版は翌85年に『ナガサキの郵便配達』というタイトルで刊行され、高校の国語の教科書にも抜粋されたが、長く絶版になっていた。
谷口さんは生前、その復刊を強く望んでいたという。知人の紹介で本人に直接会い、この本について聞かされたのが映画監督の川瀬美香だ。2014年にさかのぼる。
当時はまだ前作『あめつちの日々』(15)を制作中だった。沖縄県読谷村の陶工・松田米司さんを追ったドキュメンタリーだ。その前には染織史家・吉岡幸雄さんに密着した『紫』(12)を撮っており、2人には伝統工芸という共通点があった。だが被爆者となると....。谷口さんという人物に強く惹かれながらも、次作の企画として考えるには苦痛が伴った。
川瀬美香 戦争というテーマが大きすぎますよね。自分に向いていないのは分かっていました。知識も技術もない、それは認めざるを得ないなと。ただ、スミテルさんに出会ってしまった。そのことに深く動揺したのをおぼえています。どうしたものかと....。
心ではためらいながらも、体が動き出していた。翌年には国連の「核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議」に合わせてニューヨークで講演を行った谷口さんを追いかけ、その姿を撮影している。
川瀬 腹を決めるまでに1年かかりました。自分の持っている映像の技術や方法で何ができるか、自分は何が本当にしたいのか、考えに考えました。そしてこう思ったのです。力を抜いてみよう、怖がらずにやろうと。よけいな演出はせず、過去にあった事実を曲げず、素直にそのまま受け取ろうと。
ゆっくりと浮かび上がってきた構想は、あの本をめぐるドキュメンタリーだ。本に描かれた谷口さんの半生を劇映画にするのではなく、その作者がどんな気持ちで長崎を訪れ、谷口さんと出会い、この本を書くに至ったか。その記録を掘り起こそうという試みだった。
戦争の英雄から作家になった英国人
谷口さんもさることながら、作者のピーター・タウンゼンドにも強い誘引力があった。1950年代、英国王ジョージ6世に武官として仕え、その娘マーガレット王女と恋仲になって世界中を騒がせた人物だ。第二次大戦中に戦闘機のパイロットとして数々の敵機を撃墜した英雄だが、離婚歴があったために王女との交際は認められず、退官して別の女性と家庭を持った。やがて世界を旅して回り、作家として第2の人生を歩むことになる。
ベストセラーを含む5冊の作品を世に送り出してから、78年に初めて長崎を訪れたタウンゼンドは、4年後に再訪し、今度は6週間にわたって滞在した。谷口さんと親交を深めて根掘り葉掘り話を聞いたほか、長崎の町をくまなく歩き回って、『ナガサキの郵便配達』を書き上げる。
川瀬 戦争の英雄と称された人が、68歳という人生の終盤に一人で長崎にやってきて本を書こうとする。その覚悟だけでも感動しますよね。そんな人としての生真面目さが、作家としての緻密な取材力にもつながっていて、本の内容も素晴らしかった。
95年に80歳でこの世を去ったタウンゼンドには娘がいた。80年代に一流モデルとして雑誌の表紙を飾り、その後、映画や舞台で女優として活動してきたイザベル・タウンゼンド。川瀬は彼女に会えば何か見えてくるのでないかと思い立ち、フランスを訪れた。
川瀬からコンタクトを受けたイザベルはこう振り返る。
イザベル・タウンゼンド この本を初めて読んだ若い頃の記憶がよみがえりました。谷口スミテルさんが恐ろしい原爆の被害を生き延びた物語として、強く印象に残っていたのです。彼の忍耐強さ、人としての尊厳に感銘を受けたことを思い出しました。
その時、父を亡くして21年が経っていた。父の思い出に強い愛着を抱いていたイザベルは、彼の作品に興味を持つ映像作家との出会いを、父と再びつながることのできるチャンスだと感じた。
イザベル 家での父は、自分の仕事についてあまり多くを語りませんでした。私も若かったし、本を読んでも具体的には理解できていない部分があった。ミカが知ろうとしていたことは、私にも大いに関心がありました。父の仕事をより深く理解し、スミテルさんの人生や家族、彼が一生を捧げた闘いについて学ぶ機会にもなると考えたのです。
共通の思いが結ぶ友情
川瀬にとっても、イザベルとの出会いが作品の方向性を見つける決定的な道しるべになった。
川瀬 ピーターさんがこの世にいなくてもドキュメンタリーとして成立するのか、迷いがありました。でも伝記映画にするつもりはなかった。今生きている人たちに向けて作りたいという気持ちが強かったから。過去の歴史を扱っても、実は自分たちの身の回りの問題なんだという意識で作品を撮ろうと。イザベルとはその意識を共有できました。彼女となら一緒にやれると思ったんです。
こうして川瀬には、かつて父が取材した長崎を訪れる娘の物語として、おぼろげながら作品のイメージが見えてきた。しかし長崎での撮影を計画していた矢先、谷口さんがこの世を去ってしまう。
イザベル 今でも思い出して悲しくなります。スミテルさんと父の間には、美しい友情がありました。2人は長年にわたって連絡を取り続け、それは父が亡くなるまで続いていました。それぞれ違う立場で戦争を生き抜いた2人には、語り合うことがたくさんあったのでしょう。平和への強い願いが2人を結びつけていたのです。もっと早く日本に行っていたらよかった。本当にスミテルさんに会いたかった。でも小さな救いは、ミカと私がこの映画を一緒に作ろうとしていたのを、彼が知っていたことです。
川瀬 イザベルはタフでした。いろいろ問題が起きても、簡単にはあきらめない。いつも励まされました。
イザベルはその後、父の書斎から10本の取材テープを発見する。川瀬はじっくりとその声に耳を傾けながら、ストーリーを組み立てていった。テープの中には、タウンゼンドが出演したフランスのラジオ番組の録音もあった。川瀬はその中で、彼がフランス語で語るシンプルな言葉に胸を打たれる。
川瀬 私は戦争で人を殺した。作家として戦争について証言する責務があるのだと....。この言葉を聞いて、私たちももう逃げるわけにはいかないなと思った。ピーターさんから強く背中を押されている気がしました。
イザベル 2016年に私たちが出会ってから根気よく作業を重ねて、長い年月をかけて作り上げました。ミカと私は、文化の違いや言葉の壁を乗り越えて、信頼し合うことができた。私たちには平和のメッセージを伝えたいという共通の思いがあったからです。
次の世代へ手渡すバトンとして
2018年8月、谷口さんの初盆に合わせてイザベルは夫と2人の娘を連れて長崎を訪れ、父の足跡をたどった。行く先々でイザベルが父の存在を感じているのが表情から読み取れる。カメラは静かにそれをとらえていく。
イザベル 実際に長崎を訪れて父の本を読むと、すべてが形となって理解できました。彼自身がかつて戦争に参加し、不幸なことに、自分と祖国を守るために、人々を殺さなければならなかった。そんな彼の苦しみを私は理解したのです。それと同時に、父は日本で安らぎを得られたのだと思います。なぜあれほど日本の文化に夢中になったか、よく分かりました。日本人の精神性、他者への敬意、自然との向き合い方、多くのことが父を感動させたのです。
こうしてイザベルは、父が人知れず抱えた葛藤と、長崎の人々が負った深い傷に理解を深めながら、父と自分とのつながりを感じることができた。
イザベル この映画に参加して、個人としてだけでなく、アーティストとしても成長させてもらえました。私の仕事は舞台の上から、劇を通じてさまざまなテーマを観客に伝えることです。今回、父が書いた作品に関わることができたのは、強烈な体験でした。自分と父のライフワークがつながったのです。父は戦争の被害を受けた子どもたちを支援しました。私も演劇のワークショップを通じて、若者と関わっています。その意義をより強く確信することができました。
川瀬もまた、谷口さんとの出会いから8年間という歳月をかけて1つの作品に全身で向き合ったことが、映像作家という自分の立場を「地固め」する機会になったと振り返る。
川瀬 作り上げることへの覚悟が問われた日々でした。ピーターさんは当時、輝かしい経歴を持ち、すでに小説を書くという大きな仕事を成し遂げていたのに、さらに挑戦を続けていった。谷口さんもそれに応えた。そういう先達がいたのを知った時点で、そこからどうするかは私の責任ですよね。「知っちゃった」、「出会っちゃった」....、そうしたら今度はその人の番だよと。バトンを受け取って一歩だけでもいいから進もうという意識で続けられました。
「過去の人や出来事を知ろうとすると、未来にも行けるんです」と川瀬は言う。
川瀬 最初は、とても自分には無理だと思ったテーマでした。でも今回、過去をしっかり腹に入れれば入れるほど、前に進む力になるということが分かりました。私は瞬発力のある人ではないんですよ。じんわり、ゆっくりと伝わって、心のどこかでおぼえていてもらえるような、そういう表現なら自分にもできるかなと。この映画には、新たに掘り起こした歴史的な発見とか、ニュース性があるわけではありません。時間をかけて理解することがテーマだと思っています。
映画は完成したが、イザベルも川瀬も自分たちの仕事がここで終わったわけではないと話す。
イザベル 父の著書の中で、『ナガサキの郵便配達』は最も重要な作品だと、今なら言えると思います。ロシアがウクライナに侵攻して、戦争が続いている今だからこそ、核廃絶を訴えるこの本はとても重要です。私たちは今まさしく、核の脅威に直面しているのです。映画の公開は意義深い時期に重なりました。私の父とその親友が、絶対に伝えなくてはならないと感じたメッセージが込められています。ぜひ多くの若い人たちにそれを感じ取ってほしいです。
川瀬 ここからが始まりです。これから先、何世代にも届くような耐久性のある作品を目指しました。この映画がその仕事を果たしてくれるよう願っています。
取材・文=松本 卓也(ニッポンドットコム)
作品情報
- 監督・撮影:川瀬 美香
- 出演:イザベル・タウンゼンド、谷口 稜曄、ピーター・タウンゼンド
- 構成・編集:大重 裕二
- 音楽:明星/Akeboshi
- エグゼクティブ・プロデューサー:柄澤 哲夫
- プロデューサー:イザベル・タウンゼンド、高田 明男、坂本 光正
- プロダクション・アシスタント:坂本 肖美
- 企画制作:ART TRUE FILM
- 製作:長崎の郵便配達製作パートナーズ
- 配給:ロングライド
- 製作年:2021年
- 製作国:日本
- 上映時間:97分
- 公式サイト:https://longride.jp/nagasaki-postman/
- 8月5日(金)シネスイッチ銀座ほか全国公開