映画『冬薔薇』:阪本順治監督が太鼓判、伊藤健太郎の「アップに耐える顔」
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「伊藤健太郎で撮る」という異質なオファー
人気と実力を兼ね備え、主役を張れる若手俳優として、映画界から大きな期待を集めた伊藤健太郎。その前途に暗雲が立ち込めたのは、話題作への出演が相次ぎ、トップ俳優の仲間入りを果たそうとしていた矢先だった。
2020年10月、主演映画の公開を控えたタイミングで、伊藤は道路交通法違反(ひき逃げ)などの疑いで逮捕され、活動休止を迫られてしまう。翌年3月、事件が不起訴処分になると、周囲は再起に向けて動き出した。その1つが復帰第1作となる主演映画の企画であり、「伊藤健太郎で1本撮ってみませんか」と声を掛けられたのが阪本順治監督だった。
1989年に赤井英和主演の『どついたるねん』で監督デビューして以来、近作『弟とアンドロイドと僕』(2022)に至るまで、主演の俳優を想定した「当て書き」を得意とし、書き下ろしのオリジナル脚本をもとに数々の傑作を生んできた。
ただし今回、これまでと勝手が違ったのは、主役の年齢だ。最近の作品でいえば、監督にとって『半世界』の稲垣吾郎が15歳下、『一度も撃ってません』の石橋蓮司が17歳上。このくらいであれば、まだ共通する経験や感覚があるというが、話を受けた時点(21年5月)で、伊藤は23歳という若さだった。
「僕とほぼ40も年が違う。彼が出た映画はほとんど観ていなかったし、はっきり言えば一生縁がないと思っていた。20代前半の人たちがどんな言葉を使うのか、どんなことを考えて、どういう行動をとるのか、分からないし、分かったふりをするのもつらいなあと。だからまあ、避けてきたんでしょうね」
さまざまな題材、人物を撮ってきた阪本監督でさえ、毎回現場に入るまでは緊張と不安があるというが、今回は異質の不安に立ち向かわねばならなかった。
「若者たちを演出して、お互いに共通項を持って現場をやれるのかという不安ですよね。でもまあ、不安があるからこそ、やってみようという気になるわけですよ、毎回ね。逆に、自分はこれならやれる、これは得意だというところは避けるんです。自己模倣は嫌いだし、以前の手練手管をそのまま使ったら、自分が面白くない。だから毎回違うジャンルになるんですよ」
脚本に着手する前に、伊藤と2人きりで話す機会を設けた。生い立ちや家族関係に始まって、どんな思春期を過ごしたか、どんな友人たちとどんな付き合いをしてきたか、さらには「彼が答えにくいこと」にまで監督の質問は及び、伊藤もこれに真摯に答えたという。
「世代が異なり、時代が変わっても、親がいて、学校に通って、ナーバスな思春期を過ごして…、というのは大体の人が通り過ぎてきたことですからね。彼と2時間くらい話してみて、自分の若い時の記憶とか、親との関係性とか、自分の幼さ、そういったものを投影すれば、何か書けるんじゃないかという手応えが得られました」
父と子のすれ違い、大人と若者の溝
阪本監督には、物語をイメージするにあたっての「作法」があるという。まず考えるのは、「物語をどこに落とし込むか」だ。主人公が最後にたどり着く地平を想定し、それに合わせて、主人公や周りの人々の設定を考え、人物たちの相関図を描いていくのだ。
「今回はどこにもたどり着かず、漂流したままだなと。それなら主人公は、考えることをやめ、愛し方も愛され方も分からない、人との関係性をきちんと紡げない若者にしようと。ここで主役を誰がやるのか分からないまま脚本を書くのと、演じる人が決まっているのでは全然違いますね。常に健太郎の喜怒哀楽の表情とか、声色を思い浮かべながら、主人公を描き込んでいきました。そうするうちに、周りにどんな人たちがいれば、彼の人物像がよりうまく描けるか、物語が面白くなるか、おのずと浮かんでくるんですよ」
こうして生まれたのが、伊藤が演じることになる淳(じゅん)という主人公だ。服飾の専門学校に入ったものの、授業にはほとんど出ず、将来の見通しもまともに考えぬまま25歳になった。地元の不良グループとつるんで虚勢を張り、金に困っては誰彼の見境いなく無心する、不誠実で中途半端な若者だ。
父・義一(小林薫)は、埋め立て用の土砂を運ぶガット船の操業を営み、母・道子(余貴美子)はその会社の事務を取り仕切っている。父と息子のやり取りはぎこちなく、互いに相手の気持ちを理解することも、自分の思いを伝えることもあきらめている。冷え切ってはいるが、完全に断絶しているわけでもない、ねじれた関係だ。
「『半世界』がそうでしたけど、映画の中に父子関係を含める、あるいはそれを中心に描くというのは、自分が親父を亡くしてからというのもあるんですよね。多くを対話せずに別れた親父だったので、今から思えば、あの時にこういうことが言いたかったんじゃないかとか、後悔もありましたから。今回は父と子の関係をもっとクローズアップしてみようと。息子にはどうしても父から受け継いでしまう部分がある。父の方もそんな息子をどう叱っていいか分からない。そういう父親像で小林薫さんの役を作っていきました」
父から家業を継いだ義一、その後継者となることを求められなかった淳。父子ともに素直に胸の内を打ち明けることができるのが、先代からガット船の機関長を勤めてきた沖島(石橋蓮司)だ。彼は弱気になった相手を安易に励ますでもなく、問わず語りに静かに耳を傾け、言葉少なに応じるだけだ。
沖島や航海士の永原(伊武雅刀)、義一と妻の道子ら、人生の荒波をくぐってきた大人たちの淡々とした表情が印象に残る。その一方で、淳とその周りの若者たちはどこか不安げだ。これは阪本監督の目に映った現代の若者の姿なのだろうか。
「いつの時代も、大人は『いまの若者は…』と言ってきた。批判するのは簡単だけど、僕がいま彼らの年だったら、頼れる大人がいないんじゃないか。だったら自分で考えて、アクションを起こすしかない。そうしないと、やりたいことは見つからないし、将来、自分がどういう人間になりたいのか、ビジョンが見えてこない。今回描いたのはそこに至らなかった若者たち。世間的には敗者ですよね。僕にとっては、うまく生きる人より、生き方のへたな人の方が映画的だし、観客のみなさんも、そういう人の陰影を見に来るんじゃないかと思うんです」
俳優の顔を撮るとは
コロナ禍が長引く中で脚本を書き、撮影を行ったこの作品には、世相の閉塞感が間違いなく入っていると監督は語る。
「こんな時代だからこそ、映画を観た人が少しでも元気になるような映画を作ろうと考えそうなのですが…(笑)。僕の場合はずっと、路地裏の日の当たらない世界、人間の悪や業(ごう)みたいなものを描いてきましたからね。今の日本がそのまま感じられるような世界観になっていると思います。映画は人の人生の途中から始まって途中で終わる。この作品の“読後感”は切ないかもしれないけど、主人公のその先が、観る人それぞれに感じられるんじゃないかな」
起伏に富んだ出来事が連なって、スリリングな展開もあり、観終わった後、2時間を超えていなかったことに驚くほど、濃密な物語に仕上がっている。これは余分な要素を削ぎ落しながらも、緩急や濃淡をつけた阪本監督ならではのストーリーテリングと演出のなせる業(わざ)に違いない。しかし本人は、監督の仕事はあくまで“俳優の顔を撮る”ことだと言う。
「やっぱり映画は役者ありきなんだという意味でね。物語に伏線が張られていて、最後にどんでん返しが待っているとか、それはそれで映画の面白さかもしれないけど、僕は俳優の魅力であるとか、おかしみであるとか、そういうものが真ん中にあってほしいと思っているので」
この“俳優の顔を撮る”には、監督にとってもう1つの意味がある。文字通り、カメラを顔に近づけてクローズアップを撮ることだ。『冬薔薇』でもスクリーンに大写しになった伊藤健太郎の顔に注目してみてほしい。
「これを撮ったときに映っているものがうまくいったかどうかで、映画の強度が変わってくる。要するに、カメラが迫ったときに役者が耐えられるかということなんです。それを健太郎にも遠回しに伝えました。“耐える”というのは、カメラに寄られても何もせずにいられること。カメラが寄れば、それだけ分かりやすくなってしまうんですよ。嘆いているのか、悲しんでいるのか、怒りを含んでいるのか…。そこに表面的で分かりやすい感情を作らないでいいと。それができるかどうかなんです。健太郎は十分に耐えてくれました」
インタビュー撮影=コデラ ケイ
取材・文=松本 卓也(ニッポンドットコム)
作品情報
- 脚本・監督:阪本 順治
- 出演:伊藤 健太郎 小林 薫 余 貴美子
眞木 蔵人 永山 絢斗 毎熊 克哉 坂東 龍汰 河合 優実 佐久本 宝 和田 光沙 笠松 伴助
伊武 雅刀 石橋 蓮司 - 製作:木下グループ
- 配給:キノフィルムズ
- 製作年:2022年
- 製作国:日本
- 上映時間:109分
- 公式サイト:https://www.fuyusoubi.jp/
- 6月3日(金)より、新宿ピカデリーほか全国ロードショー