『明日になれば アフガニスタン、女たちの決断』:タリバン復権前のカブールで撮られた“最初で最後”の国産独立系映画
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米国にとって史上最も長い戦争となったアフガニスタン紛争。始まりは2001年9月11日の同時多発テロから4週間後に開始されたタリバン掃討作戦だった。これによってイスラム主義組織タリバンの政権は崩壊したが、組織の壊滅には至らず、戦乱は約20年に及んだ。
20年2月、米トランプ政権はタリバンと「和平合意」を結び、駐留米軍の撤退を決める。しかしそれは、タリバンが各地で攻勢を強める事態を招き、21年8月の首都カブール制圧とともに、全土がタリバンの支配下に置かれてしまう。同月末に米軍の撤退が完了し、バイデン大統領が戦争終結を宣言したものの、タリバン政権の復活をゆるす苦い幕切れでしかなかった。
それからおよそ9カ月になるが、欧米メディアを通じて伝わってくるのは、ますます混迷する情勢だ。タリバンによる市民の弾圧が進む一方で、敵対する過激派組織ISのテロ攻撃も相次ぎ、多くの人々が隣国のパキスタンやイラン、ヨーロッパの国々に逃れている。
アフガニスタンの数少ない女性映画監督、サハラ・カリミもその一人。同国の国営映画会社「アフガニスタン映画機構」(アフガン・フィルム)で史上初の女性会長となった人物だ。タリバンの「報復リスト」に入れられ、制圧直後のカブールを命からがら脱出してウクライナへと逃れ、現在はイタリアに滞在している。
アフガニスタン出身の女性映画監督として
カリミ監督は1980年代にカブールで生まれ、イランのテヘランで育つ。高等教育はスロバキアの首都にあるブラチスラヴァ・パフォーミングアーツ・アカデミーで受け、在学中の2007年から09年にかけて、最初の長編ドキュメンタリー『Afghan Women Behind the Wheel』を撮った。これが世界各地の国際映画祭で次々と賞に輝き、その数はおよそ20にのぼる。
「私はドキュメンタリーとフィクションの両方を学びました。先生たちは2つの境が分からないような作品を撮っていて、私が影響を受けたのもそういうスタイルの映画でした。ドキュメンタリーにも、どこかにフィクションの要素、ストーリーテリングの要素があります。私の撮り方のベースにあるのは、観察です。よく見て、人々と語り合うこと。私は長い間、故郷を離れて暮らしてきましたから、ドキュメンタリーを撮ることで、母国の文化や人々との結びつきを取り戻す必要があったのです」
2012年に博士号を取得、そのまま大学で教えることもできたが、アフガニスタンに戻ることを決意した。
「観光客のように、アフガニスタンで映画を撮ってスロバキアに帰る、そういうのはいやでした。実際に暮らして、人々と直に触れ合いたかった。カブールでの生活はゼロからの再スタートでした。ライフスタイルから態度まで、ヨーロッパ式が身についていましたから、簡単ではなかった。私は言いたいことははっきり言う。アフガニスタンでは、高学歴でずけずけものを言う女性なんて、めったにいません。女性のアーティストや映画監督もほとんどいないんです。私はここで女性たちの物語を撮らなければいけないと信じていました」
16年には、アフガニスタンの女性人権活動家ソラヤ・パーリカについてのドキュメンタリー『Parlika』を撮る。ドキュメンタリーを撮りながら、観察と対話を続け、それを次作のフィクションの構想へと役立てていった。
「2016年から17年にかけて、私は国内を旅して回り、さまざまな地方を訪れました。仕事をしている人や主婦など、さまざまな背景の女性たちと話をしました。やがてアフガニスタン社会の主な問題が見えてきた。それは、極めて因習的で、女性を軽視する社会だということでした。私はこういう結論に至りました。因習的で父権的な社会に属し、その置かれた状況に対峙している女性たちは、みな同じ闘いに挑んでいるんだと」
3人の女性の「母性」をめぐる物語
こうして生まれた物語が『明日になれば』だ。タリバンの支配下に置かれる以前の19年にカブールで撮影された。アフガニスタン人のキャストとスタッフのみを起用し、製作を国内で完結させた同国初の独立系映画といわれる。英題は『Hava, Maryam, Ayesha』。登場する3人の女性の名前がタイトルになっている。
ハヴァは郊外の家で、夫とその両親と暮らしている。義父は身重の彼女をいたわることなく、口うるさく用事を言いつける。認知症になった義母の世話をしながら、夫が連れてくる客の食事まで用意させられ、忙しい日々を送る。ミリアムはニュースキャスター。都心の集合住宅で現代的な生活を送る。夫の浮気に愛想をつかし、7年間の結婚生活の末に離婚を決意するが、妊娠検査薬で陽性反応が出てしまう。アイーシャは父を自爆テロで亡くした5人きょうだいの長女。まだ10代だが、母の希望で父の妹の息子と結納を交わす。しかし彼女には母に言えない秘密があった――。
「3人に共通して起こったのは、妊娠という出来事です。彼女たちは母性と向き合うことになります。そこでそれぞれ決断を迫られる。私が母性について語ろうと思ったのは、それが素晴らしい感覚でありながら、アフガニスタンにおいては、女性が社会に受け入れられる一条件となっているからです。私はさまざまな女性の現実を観察して、この着想を得ました」
監督が言うように、映画も3人の女性たちをじっと見つめる観察スタイルだ。それでどのようにストーリーテリングをするか。登場するのが携帯電話だ。彼女たちは電話を使って、その場にいない相手と話すのだが、その内容から彼女たちの置かれた状況が少しずつ明らかになってくる。
「この映画は、フィクションですが、ドキュメンタリーの要素も見出すことができるでしょう。また、たくさんのメタファー(暗喩)や記号が使われています。例えば生き物の描き方がそうです。そして電話を現代的なコミュニケーション・ツールとして登場させています。これは新しい生活様式と、古い因習的な社会との闘いを表しているのです。3人が使っている携帯電話のモデル、呼び出し音についても意図があります。また、彼女たちが電話で話すとき、相手の声が聞こえてこないのもあえてしていることです」
アフガニスタンを見捨てないでほしい
カリミ監督は18年の終わり頃からこの映画の制作に取り掛かった。その際、前述のアフガン・フィルムに援助を求めたという。
「アフガン・フィルムは国営で、独立系の映画制作者たちを支援すべき機関です。ところが何もしてもらえませんでした。それどころか、不正までしていたのです。国内で映画を作りたいと思っても、援助するはずのところがしてくれないなんて! これではどうやって国産映画が生まれるというのでしょうか」
何とか撮影を終えて、ポストプロダクションに入ったとき、アフガン・フィルムの会長選挙があると聞いた。
「私は友人たちと話し、会長に立候補すべきなのではと思いました。映画制作者を助けなければならないと。そうしなければ自分たちにも問題が降りかかってくるだろうと。この国で映画を作ることがどんなに気違いじみているかも知っていました。私が会長になれば、立て直すことができるかもしれないと考えたのです」
出馬したカリミは、見事当選した。同機構が1968年に創設されて以来、初の女性会長が誕生する。会長に就いた2年あまりの間、数々の企画を承認し、援助していった。こうした映画界の変化もまた、その数年前から国全体で起きていた前進の1つだった。
「2014年頃から、新しい世代の間に大きな変革が起きていました。自分たちで国を作っていくという希望が感じられました。特に女性たち。自立し、より自由な女性が増えていました。何百万という女子が教育を受けられるようになり、卒業して働いていました」
しかし状況は常に安定していたわけではなかった。
「政権内部には汚職が蔓延し、街では自爆テロや殺害が絶えませんでした。国際社会も、アフガニスタンへの支援から手を引こうという方向へ進んでいった。そうするうちにタリバンがアメリカと合意し、自信を持ってしまったのです。それ以来、ジャーナリストや女性の活動家、アーティストの殺害がさらに増えました。アフガン・フィルムの職員も2人殺されました。この国を再び支配したいというタリバンの野望に拍車がかかったのです」
いまにして思えば、この映画を撮った2019年から、ゆるやかにアフガニスタン崩壊のプロセスが進んでいたとカリミ監督は振り返る。
「でもそれを信じてはいませんでした。いまでも国際社会が私たちを見捨てたとは信じられません。20年かけてこの国の立て直しに努力してくれたはずでしたから。でも私たちは世間知らずでした。欧米が私たちを見捨てるはずがないと思い込んでいた。いまになって気付くのです。国際社会はそこまでアフガニスタンのことを気にかけていなかったのだと…」
アフガニスタンの人々はいま何を必要としているのか。日本には何ができるのか。同国を代表する女性文化人であるカリミ監督はこう語る。
「アフガニスタンの人々は全体主義体制やテロ組織と闘っています。タリバン政権を承認しないよう、日本政府に訴えかけてほしい。日本はアフガニスタンにとって主要な援助国です。その努力が実を結ぶのを見届けてほしい。実際それは実を結んでいたのです。しかし残念ながらタリバンの復権により失われました。私たちにはみなさんの助けが必要なのです」
カリミ監督は3年前に作られたこの映画が「もはや古典になった」と肩を落とす。タリバンが再び政権を奪取してから、あらゆる文化活動が禁止され、いかなる映画も作られていないからだ。これがアフガニスタンで作られたプロパガンダではない映画として、現時点で最後の作品の1つとなってしまった。しかし、だからこそ、いま日本で上映される意義はあるに違いない。
「女性たちの闘いは、世界中どこでも同じだと思います。闘いのレベルはさまざまですが、直面している問題は同じです。この映画は、アフガニスタン特有の物語でありつつ、母性、妊娠、中絶といった普遍的な問題も含んでいます。ですから日本の女性たちにも共感してもらえるはずです。そして自分たちの自由の尊さを実感することでしょう。また、不当な扱いに対しては声を上げるべきだ、沈黙していてはいけないと気付かされることでしょう」
取材・文=松本 卓也(ニッポンドットコム)
作品情報
- 監督:サハラ・カリミ
- 脚本:サハラ・カリミ、サミ・ハシブ・ナビザダ
- 撮影:ベッフルーズ・バドロージュ
- 出演:アレズー・アリアプーア、フェレシュタ・アフシャー、ハシバ・エブラヒミ
- 製作国:アフガニスタン・イラン・フランス
- 製作年:2019年
- 上映時間:83分
- 配給:NEGA
- 公式サイト:https://afganwomenmovie.com/
- 5月6日(金)アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開中