映画『森のムラブリ』:日本の異才2人の奇跡的な出会いで実現、山岳地帯の少数民族を訪ねる映像人類学の冒険
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テクノロジーが発展し、グローバル化が進んだ21世紀にあって、いまなお森の中で狩猟採集生活を送る人々がいる。その1つ、タイ・ラオス国境の山岳地帯に暮らすムラブリ族は、現在400人ほどしかいない超少数民族だ。
ムラブリについては、20世紀前半に活躍したオーストリアの人類学者、フーゴ・アードルフ・ベルナツィーク(1897-1953)の著作『黄色い葉の精霊』(1939)で世に知られることとなったが、いまだ謎が多い。
森の中に、竹を組んで屋根と地面にバナナの葉をのせた簡素な寝屋を作り、一定期間を過ごすと別の場所へと移り住む。東南アジアで唯一とされる「遊動民」だ。彼らが立ち去った後には、黄色くなったバナナの葉が残されるという。ベルナツィークの書名は、タイ人がムラブリをこう呼んだのにちなんでいる。
映像、人類学、言語学の出会い
この本を読んで、80年後のムラブリがどうなっているか見に行こうと思い立ったのが、映像作家であり、幅広い分野で批評活動を行ってきた金子遊だ。近年は、人類学的なフィールドワークとして各地を撮影して回る。2017年には、国際交流基金のフェローシップを受け、2カ月にわたって東南アジアの少数民族を調査した。
金子 遊 中国雲南省からインドシナ半島にかけての山岳地帯は「ゾミア」と呼ばれ、多くの種類の少数民族がいるんです。原始的なアニミズムとかシャーマニズムが残っていて、本を書くために調査をしていました。ゾミアの中でも、「遊動民」はムラブリだけなんですが、ガイドを探しながら情報を集めていたら、ムラブリもいまは定住化が進んでいて、タイ北部にその村があると。そこだったら連れていけると言われ、行ってみたら何と、小屋を建てて寝泊まりしながら調査している日本人がいたんですよ。
それがムラブリ語を研究する言語学者、伊藤雄馬だった。大学3年生の時に、人類学の授業でムラブリ族の映像を見て、その言葉の響きに魅せられて以来、現在まで15年以上にわたって研究を続けている。ムラブリ語をはじめ、タイ語やラオ語など6言語を操る。
伊藤 雄馬 日本人が来ないところだったので、びっくりしました。映像を撮られていたので、僕もラオス側に行こうと思っていますが一緒にどうですかとお誘いしたんです。自分でも素人ながら、彼らの会話とか、体の動きを研究目的で映像に記録してはいましたけど、ドキュメンタリーの制作までは考えませんでしたから、興味を引かれて。
金子 伊藤さんにお会いして、まだラオス側に森の中で生活しているグループがいると聞いて、これは面白そうだと。どちらからともなく、何かやってみようという話になりました。
金子は伊藤から、2人が出会った村以外に、タイ側にもう1つ集団があるとも聞かされた。ラオス側を含むその3グループは、どうやら100年以上にわたって、互いに忌避し合っているらしい。
伊藤 お互いに存在は知っているんですけど、祖父から話に聞いたことがあるとか、そういうレベルなんです。その話の中で、相手が「凶暴」だとか、「人食い」だという言い伝えになっている。だから怖がって、長い間、会わないようにしてきたんですね。
金子 最初は映像人類学的な研究資料になるかなと思っていたんですけど、伊藤さんの話を聞くうちに、これは構成できる、物語になるなと。もうちょっと本格的にドキュメンタリーを作ってみようかという流れになりました。
別々のグループを会わせてみたらどんな反応を示すのか、それぞれの言語にはどんな違いがあるのか…。専門分野は違えど関心領域の重なる2人が意気投合し、共同作業を計画していった。そこから1年の準備期間を経た2018年2月、タイ北部とラオスを巡る、およそ1カ月の撮影の旅が始まる。
伊藤 それ以前にも、ラオス側には何回か行っていました。映画にも出てくるムラブリが町の近くに出てきたときに会ってはいたんですが、あんなに山の奥に入っていったのはこの撮影が初めてでした。
金子 ラオス側の、森の中でノマド生活をしているムラブリは、まだ映像に記録されたことがなかったんです。これだけ世の中に映像があふれている中で、そんな人たちがいるのかと。これは是が非でもやらなきゃという気になりました。
タイ、定住化するムラブリ
伊藤が拠点にしていたのは、約400人のムラブリが住むタイ北部のフワイヤク村だ。遊動民であったムラブリだが、およそ20年前から、少数民族の保護に乗り出したタイ王室の呼びかけで山を下り、定住を始めたという。政府は村を作り、教師を派遣して子どもたちにタイ語を教えるなど、「同化政策」を進めていった。
映画の前半は、ここでの暮らしや人々の話を中心に進んでいく。昔を振り返る証言の端々から、純粋に原始的な狩猟採集生活は、現在の年長者たちの親の世代で終わり、いままさに過渡期を迎えていることが分かる。
伊藤 現在、タイのムラブリは住所を与えられて、国民カードを持ち、無料で医療を受けられたり、ちょっとした補助をもらえたりします。収入は、焼畑農業を営んでいるモン族の仕事を手伝って、日雇い労働という形で得ている人たちが多いです。
村の年長者に森の生活を再現してもらうと、慣れた手付きで竹とバナナの葉を使って家を作ってみせる。イモを掘り、たき火で焼いて食べる姿を見れば、若い頃はこれを普通にやっていたであろうことが推察できる。
村長の家にだけはテレビがあって、夜になるとみんな集まってくる。ムラブリたちは、興が乗ると、「人食い」や妖怪の伝説を語り出す。村の長老は、祖父や父がラオス側を訪ねたことがあったと話す。ムラブリの中に入れ墨をした恐ろしい別の種族がいて、凶暴で、人を殺して食うと聞かされていたそうだ。
金子 ベルナツィークの本にも、「人食い」に関する話はまったく書かれていなかった。現地で彼らの話を聞いて初めて知ったことです。長老によると、元々はラオス側にいた集団が、山から降りてきてタイ側にいたところを定住化させられたと。昔は国境もなく、山の中を行き来していたんでしょうね。
伊藤 ムラブリ語には文字がないので、歴史について分からないところはたくさんあります。ただ、彼らがどういう風に分かれていったのか、言語学的にヒントが得られるんじゃないかと思っています。僕はムラブリの3つのグループの方言の違いを研究しているんですが、タイ側の小さな集団とラオス側とは言語的に近い。この2つは比較的最近分かれたのではないかと推測できますね。
タイ側の小さな集団とは、映画の冒頭に登場する、緑豊かな山中のドーイプライワン村に住むムラブリのことだ。年齢もばらばらの、血縁のない3人の男性が暮らしている。3人とも家族とは死別したらしい。
金子と伊藤は、長老らフワイヤク村の人々を、このドーイプライワン村に連れていき、おそらく1世紀にわたって交流の途絶えていた集団同士を会わせるという大胆な試みを実行する。
金子 ところが、ほかの村からムラブリが来るというのを聞いて、年長の2人は森に逃げてしまったんですよ。若い人は寝ていたみたいで、たまたま家にいた。「人食い」伝説のせいなのかは分からないけれども、やはり警戒心が強いんですね。
伊藤 訪ねていった長老が「私たちは良いムラブリで、怖いムラブリじゃないよ」というのをまず諭すのが印象的でした。「私たちは敵じゃない、同じ言葉を話す仲間だよ」と。それがすごく自然で、かつて森の中を遊動していた時代にも、こういうことが起こっていたのではないかと思わされました。
金子 過去によほどのことがあったんじゃないでしょうか。それこそ「人食い」に近いような。あるいは戦争か、殺し合いだったかもしれない。ラオス側の山から分かれて下りてくるような何らかの出来事があって、あちら側に行ってはいけないと、口頭で代々伝えていったんでしょうね。
ラオス、未知の奥地へ
ラオス側のフィールドワークでは、さらにたくさんの新しい発見があったという。国境を越えてムラブリ同士を会わせることはパスポートの問題などでかなわなかったが、今回初めて入り込んだ奥地には、80年前のベルナツィークの記述にあるような遊動民らしい生活があった。
金子 彼らは名前だけで苗字はなく、生年月日も分からない。ラオスという国家に登記されていない、無国籍者の形でまだ森の中にいる。もちろん税金もなく、国民としての義務は何もないわけです。基本的には交易で生活していて、山で採れたものを米やたばこと交換する。でも何も採れなくても下りてきて、当然のようにもらっていく。そこに卑屈さがまったくないんです。村の人たちも自然に受け入れている。
伊藤 もち米をもらいながら「うるち米はないの?」とか(笑)。あげる方も恩を着せるでもなく自然でしたね。タイには徳を積むために善い行いをする文化があるので、ムラブリにお金がなくても、タイ人が服や食べ物を施してくれる。ラオス側では施しという形ではなく、もっとフラットな関係で、見ていて気持ちよかった。
金子 狩猟採集民って、もっと敏捷(びんしょう)で、弓矢かなんかを持って動き回る人たちを想像していたんですけど、ムラブリは基本的に昼間からゴロゴロして、一日中おしゃべりして過ごす。お腹が空くと起き上がって、魚を獲ってきたり、火をおこして料理したり、急に働き出す。時計に縛られない生活で、うらやましいですよね。もちろん、明日どうなるか分からない不安定さはありますけど、未来への強迫観念から自由になると、こんな生き方ができるのかと、目を見開かされました。
伊藤 子どもに「なぜ学校に行かないの?」と聞くと、「森の方が涼しいから」と答えが返ってくる。やっぱり森で生まれ育った彼らにとって、居心地がいいんだなと。義務もない、お金のために働く必要もない。まさに森が彼らの家なんですね。
映像に記録された、ムラブリの調理や食事の仕方など、生活の場面1つ1つが興味深い。家族や仲間についての考え方も垣間見える。
『森のムラブリ』は、いわゆる「未開の部族」の生活圏へとカメラが潜入するタイプのドキュメンタリーとは、だいぶ趣きが異なる。伊藤がムラブリを単なる研究対象として観察するのとは違う、共感のこもったまなざしで見つめ、歌うように言語を操ってコミュニケーションを成立させ、両者の間に親密な関係が生まれているからだろう。
伊藤 たくさんの方々にムラブリを見てもらえるのは感慨深いですね。伝説的な民族になってしまっていますが、僕らが会っているのは普通の人たちで、ムラブリの中にもいろいろな人がいる。それが感じられて、彼らのチャーミングな部分が見えるドキュメンタリーになっていると思います。生活様式は僕らとまったく違うけれども、意外と身近に感じられるんじゃないかな。僕は言語をきっかけにムラブリの世界に入りましたけど、彼らが好きだし、彼らといることで自分が変わっていくのが心地よいんです。この感じをほかの方々とも共有できたらうれしいですね。
一方の金子は、伊藤という稀有な人材と出会ったことで、アジア、フォークロア、ドキュメンタリーというライフワークを1つの形にまとめてみせた。そこには千載一遇のチャンスをものにした刺激と手応えがあったに違いない。
金子 ムラブリの話に、どうして何度も人食いの話が出てくるのかなと思いましたけど、考えてみたら昔からあの辺りは、中国の圧政や戦乱を逃れてきて、少数民族化した人々が暮らしてきたところです。元々は農耕生活を送っていたのが、徴兵や徴税を逃れて山の中に入ってしまった。そういう人たちのトラウマが語り継がれてきたような気がしますね。そう考えるとムラブリは、新石器時代のままの原始生活をしているというよりは、意識的に狩猟採集民に戻っていって、それによって自由を獲得していったのかもしれない。そんな風に無政府主義的な、反国家的な存在としてムラブリを捉え直すと、面白いんじゃないかと思いますね。
撮影=花井 智子
取材・文=松本 卓也(ニッポンドットコム)
作品情報
- 監督・撮影・編集:金子 遊
- 出演・現地コーディネーター・字幕翻訳:伊藤 雄馬
- 配給:オムロ 幻視社
- 製作年:2019年
- 製作国:日本
- 上映時間:85分
- 公式サイト:muraburi.tumblr.com
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