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映画『国境の夜想曲』:名匠ジャンフランコ・ロージの映像詩を読み解くために

Cinema

ドキュメンタリー/フィクションの枠を超え、世界を詩的な感性で切り取ってみせる映像の名手、ジャンフランコ・ロージ。最新作『国境の夜想曲』では、中東の紛争地域を巡り歩き、そこに暮らす人々の姿から浮かび上がるドラマを静かに見つめ続けた。説明に頼らない独特の語りの手法を用いる奇才が、自ら「到達点」とする本作についてじっくりと語る。

ジャンフランコ・ロージ Gianfranco ROSI

1964年、エリトリア(当時はエチオピア領)のアスマラ生まれ。13歳の時、父の親族が住むイタリアへ移住。その後、米国に渡り、ニューヨーク大学映画学科を卒業。1993年に短編『Boatman』でデビュー。サンダンス映画祭の正式出品作に選ばれる。2013年、長編3作目の『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』がヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞。2016年、『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』でベルリン国際映画祭金熊賞を受賞。いずれもドキュメンタリー作品としては初の快挙。

旅のはじまり

『国境の夜想曲』は、紛争の爪痕が生々しく残る中東のさまざまな国境地帯で撮影された映画だ。しかし中東とその紛争をめぐる映画と聞いて多くの人が抱くイメージは、実際に作品を観れば覆されるに違いない。

監督のジャンフランコ・ロージは、ドキュメンタリーでありながら、単なる観察や記録とは異なる、独特の映像作品を手掛けてきた。30年近いキャリアで短編1本、中編1本、長編5本と寡作だが、それぞれが圧倒的な密度と強度をそなえている。

前々作の『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』(2013)がヴェネチア国際映画祭の金獅子賞に、前作の『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』(16)がベルリン国際映画祭の金熊賞に輝くなど、ドキュメンタリー/フィクションの枠を超える評価を世界的に確立した、稀有な映像作家と言えるだろう。

©︎ 21 UNO FILM / STEMAL ENTERTAINMENT / LES FILMS D’ICI / ARTE FRANCE CINÉMA / Notturno NATION FILMS GмвH / MIZZI STOCK ENTERTAINMENT GвR
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最新作は、数行のプロローグで幕を開ける。この映画が歴史的に戦乱の犠牲になってきた中東の地を舞台にしていること、3年以上をかけてイラク、クルディスタン、シリア、レバノンの国境で撮影されたことが説明される。

説明はこれだけだ。あとはテロップもナレーションもない。およそ100分の間、スクリーンの前で私たちはただひたすら、黄昏と夜と夜明けの風景に目を凝らし、人々の身振りやまなざしを見つめ、彼らが発するわずかな言葉や歌、その空間に響く音、あるいは沈黙に耳を傾けることになる。

前作は、ロージ監督が暮らすイタリア本土から、シチリア島を越えてさらに南下したランペドゥーザ島で撮られた。地中海のチュニジア沖に浮かび、アフリカや中東を逃れてヨーロッパを目指す人々がボートでたどり着く、イタリア最南端の島だ。

映画『国境の夜想曲』ジャンフランコ・ロージ監督
映画『国境の夜想曲』ジャンフランコ・ロージ監督

「人々が戦争から逃れ、海を越えてこの島へやってきた。そうさせる現実とはどんなものか、今度はこちらから海を渡って確かめる必要があったのです。出会った人々が、一体どんな場所からやってきたのか、この目で見なければならなかった」

監督は中東へと旅立ち、何カ月もの間、さまざまな場所を巡って、何を撮るべきかリサーチを重ねた。

「まず重要だったのは、その土地に入り込んで現実を知り、そこで“絶対的なもの”を見つけることでした。カメラを持たずに、その土地の強力なアイデンティティが表れている地点を探しました。そして旅の終わりに、それらの場所とそこで出会った人々を撮影しようと決めたのです」

唯一無二のドキュメンタリー手法

ロージ監督は、今回の『国境の夜想曲』について、デビュー以来築き上げてきた自身のドキュメンタリー的手法の一つの到達点と考えている。監督にとって、ドキュメンタリーとフィクションの間には、一つ一つの瞬間にどう対応できるかの違いがあるに過ぎない。

「現実は私たちの目の前でどんどん進行していきます。それをフレームに収めると、何か別の形に姿を変えてしまう。ですから私は、ドキュメンタリーにおいて視点を大切にするのです。それは倫理に関わることです」

ロージ監督にとってドキュメンタリーとは、観察し、記録し、情報を与えるだけであってはならない。対象に限りなく接近し、心の奥深くに潜むものをとらえ、その人生のさまざまな要素を総合して物語るようなものを見つけねばならないという。

©︎ 21 UNO FILM / STEMAL ENTERTAINMENT / LES FILMS D’ICI / ARTE FRANCE CINÉMA / Notturno NATION FILMS GмвH / MIZZI STOCK ENTERTAINMENT GвR
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「私は前もってシナリオを書いたりはしません。その場所で、出会った人々について何を感じるか、つまり“絶対的なもの”を見つけることが重要なんです。撮る前に書いておくと、実行すべき予定表を手にして現地に行くことになる。それはやりたくないんです。『El Sicario, Room 164』(2010)でメキシコの麻薬カルテルを一緒に取材した、ジャーナリストのチャールズ・ボーデンが私の師匠です。彼は言いました。書くなら、マッチ箱に書き留められるくらいでないといけない。それ以上書けば、嘘が始まると」

監督はそれゆえ、撮影する対象に質問することは一切ない。人物を追いかけていくこともない。ひとたびフレームを決めてカメラを据えると、そのフレームの中でストーリーが完結するのを待つ。完璧なフレームには、撮られる前にそこにあったもの、撮られた後にやってくるもの、カメラの背後にあるものさえも含まれるのだという。

「それを可能にするには、まず、私にとって深い意味をもつ場所と出会うことが必要です。そしてその場所で長い時間を過ごし、人々と出会わけなければならない。その場所にどんな意味があるのか、彼らのストーリーを通じて、表しているような人々です」

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こうして監督は出会った人々を映像に収めていく。廃墟と化した牢獄で処刑された息子に哀悼の歌を捧げる母、油田から燃え上がる炎を頼りに夜の沼で釣りをする男、精神病棟で祖国を題材にした演劇の稽古をする患者たち、見えない敵の襲来に備える兵士たち、ISIS(イスラム国を自称する過激派組織)の虐殺から逃げ延びた少年少女、オレンジの獄衣をまとった囚人たち、夕暮れと夜明けに出かけて狩りを手伝う寡黙な少年…。

監督は、自身の作品づくりにおいて重要な3点とは、一つの始まりから別の始まりへとイメージの断片を組み上げていく「構造」、メタファー(暗喩)を用いてイメージを「変換」すること、そして俳句のように情報を「引き算」していくことだと語る。

「芭蕉のような日本の俳人は、少ない言葉で強い語りの要素を作り上げることができます。観察は、細かければ細かいほど独自性を持つ。しかし観察だけでは十分ではありません。イメージのメタファーを作り上げ、何か別のものへと変えなくてはならない。ですから、私がストーリーを語るときに重要なのは沈黙に語らせること。沈黙の間(ま)が必要なのです」

©︎ 21 UNO FILM / STEMAL ENTERTAINMENT / LES FILMS D’ICI / ARTE FRANCE CINÉMA / Notturno NATION FILMS GмвH / MIZZI STOCK ENTERTAINMENT GвR
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国境を越える出会い

一つのストーリーが生まれるには、時に3年を要すると話すロージ監督。撮影のこんなエピソードを明かしてくれた。

イラク北部の最大都市モスルから120キロほど西にあるシンジャールでのこと。訪れたのはISISの残忍な支配が終わった頃だった。サダム・フセインの時代から迫害を受けてきたクルド人のヤジディ教徒コミュニティーは2014年以降、ISISの侵略で新たな暴力の犠牲になった。男性は虐殺され、女性は性奴隷にさせられた。

©︎ 21 UNO FILM / STEMAL ENTERTAINMENT / LES FILMS D’ICI / ARTE FRANCE CINÉMA / Notturno NATION FILMS GмвH / MIZZI STOCK ENTERTAINMENT GвR
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破壊し尽くされた街にやってきた外国人を珍しがって、ロージ監督に一人の若者が話しかけてきたという。彼はその2年前、ISISによって妻を連れ去られていた。彼は監督を家に招き、携帯電話に残された妻のボイスメッセージを聞かせてくれた。

監督は3年にわたって、何度もその場所に戻り、この悲劇をどのように物語ればよいか悩んだが、とうとう答えは見つからなかった。最後に訪れたとき、彼は再婚して子どもをもうけ、新しい生活を始めていた。そして前妻の母親がドイツに逃げ延びたことを教えてくれた。

監督は、彼からメッセージの入った携帯電話を譲り受け、母親を訪ねた。しかし、娘が目の前でISISから受けた虐待を生々しく語る母に、カメラを向けることはできなかったという。代わりに撮影したのが、彼女が携帯電話で娘のメッセージを聞く姿だった。

「何年もの月日が流れ、娘が絶望の中で発した声は、こうして母へとたどり着いたのです。母の頬を一筋の涙がつたい落ちました。私はそこでカメラを止めた。それ以上、何も撮る必要はなかったから。こうして3年をかけて一つのストーリーが完結しました。それはたった一瞬でした。しかしその一瞬に、苦痛に満ちた生のすべてが含まれていた。私はまさにそういう瞬間を求めていたのです」

©︎ 21 UNO FILM / STEMAL ENTERTAINMENT / LES FILMS D’ICI / ARTE FRANCE CINÉMA / Notturno NATION FILMS GмвH / MIZZI STOCK ENTERTAINMENT GвR
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ロージ監督は、間をおいて繰り返し訪ねては出会いの強度を高め、それらの土地との接点を深めていった。そんな自らの試みを「心理地理学(サイコジオグラフィー)」と呼ぶ。こうして完成した国境なき地図が『国境の夜想曲』という作品だ。

「私が訪れた土地は、国境によって分断され、出来事や記憶が堆積し、層を成していました。国境は紛争の原因を生み出し、生と死を分かつ線でもあります。私はそこを出会いのチャンスに変えようと考えた。特定のどこかとせず、匿名の地としたのはそのためです。それは、この映画がある種の寓話として機能するよう望んだからです」

ロージ監督はこの名もなき土地の物語を通じて、人々を分断していた国境が、目に見えない余白となったのだと語る。

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「私が訪れた中東の一帯は、物質的にも、精神的にも破壊し尽くされていました。私はそこで、歴史によって欺かれた人々の運命の悲劇について、ストーリーを語ろうと思い立った。それがシリアであるか、イラクであるかは重要ではなかった。母親の悲嘆や少年の沈黙が物語る、全世界に共通する痛みや、中断された未来について伝えたかった。しかし彼らは、黙って耐え忍んでいたわけでも、あきらめていたわけでもありません。私がこれらの場所で見つけたストーリーは、破壊に直面しながらも保たれていた、偉大な尊厳にほかならなかったのです」

取材・文=松本 卓也(ニッポンドットコム)

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作品情報

  • 監督・撮影・音響:ジャンフランコ・ロージ
  • 製作国:イタリア・フランス・ドイツ
  • 製作年:2020年
  • 配給:ビターズ・エンド
  • 上映時間:104分
  • 公式サイト:https://bitters.co.jp/yasokyoku/
  • Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開中

予告編

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