記録映像とアニメのリミックスで伝説の熱戦を再現! フランスの異才が新たな視点で描く「東洋の魔女」
Cinema スポーツ- English
- 日本語
- 简体字
- 繁體字
- Français
- Español
- العربية
- Русский
2021年が暮れようとする中、夏にオリンピックが開催されたことを忘れかけていた人もいるのではないか。2度目の東京五輪は、やはり前回ほど国全体が高揚感に包まれるイベントにはならなかった。おそらくコロナ禍で無観客だったのが主因ではない。1964年の大会で人々が味わった「無垢の感動」こそ格別だったのだ。それは当時を知らない後世のわれわれが断片的な映像を見るだけでも想像できる。
開会式と並んで、国民の熱狂をいまに伝える出来事といえば、「東洋の魔女」が金メダルを獲得した試合だろう。その追体験を可能にしてくれる映像作品がフランスからやってきた。熱戦がよりドラマチックに体感できるだけでなく、文化的・歴史的な視点からあらためて「東洋の魔女」とは何だったのかを問う内容になっている。
勤務先がスポーツ記録映像の宝庫
タイトルもずばり『東洋の魔女』。監督のジュリアン・ファロは国立スポーツ体育研究所(INSEP)の映像管理部門に籍を置く。INSEPのフィルム・アーカイブには、膨大な資料映像が所蔵されており、その保存、整理、活用が彼の日常業務だ。
「私は映画狂で、スポーツ好きでもあります。スポーツの資料映像を片っ端から観るのが仕事なんて、まさにニワトリ小屋に入ったキツネじゃないかと興奮しました(笑)」
「映像制作のテーマが制限されていると感じたことはありません。むしろスポーツを切り口に、並外れた人生を語ることができると思っています。あるチームや選手に焦点を当てながら、時代背景や地政学的な状況に触れることもできる。親を喜ばせるために競技に打ち込んだ人もいれば、国家との戦いに挑む人もいる。物語が果てしなく広がるのです。これまで撮ってきた映画も、スポーツだけを語っているわけではありません。スポーツ映画であると同時に、“映画”なのです」
ファロ監督は過去2作で、1952年ヘルシンキ五輪の記録映画を撮った映像作家クリス・マルケルと、テニス選手のジョン・マッケンローを取り上げた。分野は違えど、ともにその世界の異端児として歴史に名を刻む2人だ。
「日常的にたくさんの映像を目にする中で、私の心に何かを訴えかけてくる映像に出会うことがあります。こうした映像が、作品づくりにエンジンをかける。テーマから出発して映像を探すのではなく、数々の映像の断片が、私にテーマを与えてくれるのです」
ファロ監督が次に着目することになるのも常識を覆した人たちだった。
「映像の美しさやどこか普通でないインパクトに引かれ、そこから文献を調べていきます。『東洋の魔女』の場合は、10年ほど前、ある人がシネマテークに提供した資料映像を見て驚がくしました。そして選手たちにまつわる逸話を知れば知るほど、これはすごい話だ、ぜひとも取り上げなければという思いを深めていったのです」
「魔女」と報じた欧米メディアの無知
『東洋の魔女』にも使用されている『挑戦』(1963、渋谷昶子[のぶこ]監督)は、東京五輪の前年に製作され、カンヌ国際映画祭の短編部門でグランプリを獲得した。ニチボー貝塚バレーボール部の過酷な練習風景を記録した映像だ。
東京五輪で日本代表として活躍したメンバー12人のうち、10人はニチボー(大日本紡績、のちのユニチカ)貝塚工場(大阪府)の従業員だった。彼女たちは朝早く出勤して仕事をした後、午後から練習を始め、特訓は深夜まで続いた。
「女性が“男性のように”ハードな練習をすることが普通でなかった時代です。欧米ではそんなことが許されませんでした。当時、女性のスポーツは、あくまでレクリエーションであり、健康目的だったのです。ですからニチボーの選手たちこそ、スポーツを人生の目的と捉えて過酷な練習に耐え、レベルアップをめざす女性アスリートの先駆けであったと思うんです」
ニチボー貝塚は、一社会人チームながら、欧州遠征で各国の代表を相手に連戦連勝をおさめ、現地のメディアから「東洋の台風」、やがて「東洋の魔女」とはやし立てられるようになる。中でも「鬼の大松」こと、大松博文監督によるスパルタ式の指導に好奇の目が集まった。
当時の文献を調べたファロ監督は、欧米メディアのセンセーショナルな取り上げ方について、2つの点で理解に欠けていたと指摘する。記者たちはハイレベルなスポーツの実態にも、日本の精神文化についても無知だった。監督は、日本が敗戦後に連合国の占領下に置かれ、その後10年ほどしか経っていない当時の時代背景にも注目した。
「戦後、米国は日本の軍国主義を徹底的に排除しようとしました。それで記者たちも、欧米の基準から外れた伝統的な日本式のやり方をよく思わなかったのです」
さらに日本の練習方法が、武道の精神を受け継いでいることを知らず、記者たちを面食らわせたのだという。
「日本には、野球であれ、柔道であれ、同じことを何度も繰り返すという稽古の文化があります。真剣に技の向上を目指すなら、疲れ切るまで全力を注ぐ。欧米とはまったく違います。例えばフランスの子どもたちは、何のためにその練習をするのか、コーチから理論的な説明を受ける。練習は、指導であり、教育なのです。ところが日本では、師範がやり方を示し、選手はそれを見て、真似て、繰り返し、体で覚える。なぜそれをするのか議論はしません。こうした日本の文化に記者は無知だったのです」
当時のメディアの論調に違和感を覚えたファロ監督は、それを選手たち自身が語るべきだと感じ、80代に近づく「魔女」を取材した。彼女たちの言葉やまなざしからは、目の前にいるのが普通の女性ではなく、偉業から半世紀以上を経ても、トップレベルの競技者であったことが伝わってきたという。
「ある選手は言いました。大松監督についていくと決めたのは、彼こそ自分たちが限界を越えることを可能にしてくれる人だったから。強くなるには、それだけハードに練習しなくてはならず、それなくしてライバルのソ連を倒すことはできないと彼女たち自身が感じていたのです」
もし大松が男子を指導していたら、欧米のメディアがここまで騒ぐことはなかっただろうとファロ監督は指摘する。
「欧米の側にこそ、女性は弱く、守るべき存在だという先入観があり、女性の尊厳を主張する一方で、女性はそこまでの練習に耐えられないと決めつけていた。彼女たちがトップレベルのアスリートになろうと決意したことに、メディアは目を向けようとしなかったのです」
敗戦からの復興という背景
選手の話から欧米では報じられていなかった事実もいくつか明らかになったという。その1つが、半数以上が戦争で親を亡くしていたことだった。大松監督は彼女たちにとって父親に代わる存在だったのだ。
「この物語に歴史的な背景を入れたのは、1964年の東京五輪が戦後復興のハイライトとして訪れたことを思い起こしてもらうためです。1945年の、ほぼ破壊し尽くされた東京の映像を使ったのはそのためです。それが19年後、別世界の姿に生まれ変わった。こうした歴史的背景を抜きにして、この物語を語ることはできないと思いました」
それは選手たちが繊維工場の従業員だったことにもつながっていく。繊維業は、戦後に再開した日本の輸出産業の要だった。ファロ監督は、工場で生産される繊維の映像に重ね合わせ、機械的、反復的な練習風景を見せていく。
大松監督と選手の関係を描き直すためにファロ監督が着目したのは、監督が一人ひとりにつけたあだ名だった。若い頃アイスホッケーのチームにいたというファロ監督は、団体競技の特性を熟知していた。
「ある集団内には、メンバーだけに通じるものがあります。団体競技では、チームメートをあだ名で呼び合うのが当たり前になっていますが、東洋の魔女にもそれがあったと知ったとき、団体競技を語る上で極めて重要な普遍的な要素であることを確信しました」
「ですから、選手のあだ名を紹介する場面は、単なるユーモアの要素として入れたわけではありません。あだ名にまつわるエピソードは、チームスポーツがどのような仕組みで動いているか、解明する役割もあるのです。現在でも機能しているこの仕組みが、60年代当時から存在していたことを実証しているのです」
大松監督は、年頃の女性をつかまえて、ウマ、フグ、チャビン、フーテン、チートロといった独特のあだ名で呼んだ。これには、短い音節で瞬時に指示が出せるという実用的な利点もあったという。
「ポケモンのキャラクターみたいですよね。『東洋の魔女』だって、漫画のタイトルのようですが、フィクションではありません。そこがこの話の面白いところです。あだ名によって、選手たちが物語の登場人物のように感じられて、現実と虚構が入り混じってくるのです」
実写とアニメを混在させた理由
現実と虚構が浸透し合うのを意識した見せ方は、この作品全体を貫いている。終盤のクライマックスは、東京五輪の決勝戦、ソ連と演じた一進一退の攻防だ。ファロ監督は試合を記録した映像に、『アタックNo.1』の場面を混ぜて使用するという大胆な演出を用いる。
「映像を見比べて、『アタックNo.1』が資料映像に非常に似ていることを発見しました。いくつかのショットは、スケールや構図など、かなり厳密に再現されていた。監督が練習で次々とボールを投げるショット、これもまったく同じでした。相互にほぼ入れ替え可能な映像であることに気付き、驚いたのです」
実写映像にアニメを織り交ぜたのは、必ずしも変わったことをやろうとか、面白く見せようと考えたわけではなく、技術的な問題を解決するという必然的な意図もあったという。
「手に入る資料映像の内容や長さには限りがあります。対ソビエト戦は、1962年の世界選手権と64年の東京五輪の2つの決勝を見せる必要があった。でも完全な映像がなかったのです。特に世界選手権の映像は4分しかなく、編集もおかしくて、試合の流れを理解するのが困難でした。ところが『アタックNo.1』は104話あり、ラストの2話は丸ごと日本対ソ連の試合で、50分の映像があった。これを使って資料映像の“穴”を埋め、2つの決勝戦をゲームの流れのまま見せることができたわけです」
こうしたテンポのよい編集によって、白熱する試合展開に映画の観客もいつしか没入していくだろう。五輪決勝の数時間前、「お家芸」の柔道無差別級で、神永昭夫がオランダのヘーシンクに敗れて金メダルを逃し、「東洋の魔女」にますます国民の期待がのしかかった事実もしっかり押さえてある。
熱戦の末、ついに勝利をつかんだ時の映像に、欧米メディアの報道に異を唱えたかったファロ監督の思いを読み取ることができる。放心したようにベンチに腰掛けたままの大松監督。監督に駆け寄り、胴上げする選手たち。監督に「ウマ」と呼ばれた河西主将が、表彰台上で膝を折り、金メダルを首にかけてもらう優美な姿。戦争で親を亡くしながら、自分たちの手で栄光をつかみとった選手たちの晴れやかな笑顔と涙…。
「私が最初に資料映像を観たとき、すぐにアニメを思い出したくらいです。監督のスパルタ指導に耐え、回転レシーブのような技が生まれ、王座に輝く。こうしたフィクションのような事実が、漫画やアニメに着想を与えた。そしてそのアニメが海を渡り、ヨーロッパでそれを観てバレーボールを始めた子どもたちがやがて選手になっていきました。そうした時間と空間を超えて現実と虚構が循環する現象もまた、『東洋の魔女』の伝説の一部を成しているのです」
取材・文:松本 卓也(ニッポンドットコム)
バナー写真:1964年東京五輪、女子バレーボールの表彰式 ©UFO Production
作品情報
- 監督・脚本:ジュリアン・ファロ
- プロデューサー:ウィリアム・ジェアナン
- 撮影:山崎 裕
- 編集:アンドレイ・ボグダーノフ
- 録音:レオン・ルソー
- 音楽:ジェイソン・ライトル、K-Raw
- ラインプロダクション:ドキュメンタリージャパン、橋本 佳子、角田 良子
- 製作年:2021年
- 製作国:フランス
- 上映時間:100分
- 配給:太秦
- 公式サイト:toyonomajo.com
- 2021年12月11日(土)より、渋谷ユーロスペースほか全国順次公開!