映画『老後の資金がありません!』:前田哲監督の「キャスティングが8割」だからこそ残り2割にかける勝負
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ベストセラー小説を豪華キャストでコメディ満載に映画化
40万部を突破した垣谷美雨のベストセラー小説を原作に、『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』を手掛けた前田哲監督が豪華キャストを迎えて、うんちくとコメディ満載の極上エンタメ作品に仕上げた映画『老後の資金がありません!』。
天海祐希が演じる主人公は、4人家族の主婦・後藤篤子、53歳。家計を妻に任せきりのサラリーマンの夫(松重豊)の給料と、自身のパート代をやりくりしながら、フリーターの娘(新川優愛)と大学4年生の息子(瀬戸利樹)を育て上げた。
月謝5000円のヨガ教室に通うことを唯一の楽しみに、憧れのブランドバッグも買わず、擦り切れたバッグを抱えてコツコツ老後の資金を貯めてきた篤子だが、義理の妹夫婦に喪主を押し付けられて、舅(しゅうと)の葬儀代・約400万円を負担することに。さらにひそかに正社員登用を期待していたパート先をリストラされた上に、娘が年収150万円の売れないバンドマン(加藤諒)と「派手婚をしたい」と言い出す。
そんな矢先、今度は夫の会社が倒産の憂き目に遭い、住宅ローンの返済に充てるつもりだった退職金も水の泡……。家計簿を何度も見直し、削れるところはギリギリまで切り詰めるが、毎月9万円の姑(しゅうとめ)への仕送りが捻出できなくなった篤子は、義理の妹(若村麻由美)夫婦との話し合いの席で「姑を引き取ります」と啖呵(たんか)を切ってしまう。だが、老舗和菓子屋の女将だった姑の芳乃(草笛光子)は極度の浪費家で、オレオレ詐欺など予期せぬトラブルに見舞われる。とある“事件”をきっかけに嫁姑の距離が縮まるが、「老い先短い」と悟った芳乃が「生前葬をする」と言い出して、家族のために奔走してきた篤子の堪忍袋の緒が切れる。
前田哲監督「映画の制作現場は“異業種格闘技”」
監督の前田哲は、「自分の想像を超えたものにならないと映画をつくる意味がない。スタッフ・キャストの力を最大限発揮してもらうためにも、自分から相手の土俵に入るように心がけている」と話す。
『Wの悲劇』など角川映画の全盛期に、わずか19歳で東映撮影所の大道具や美術助手として映画の世界に飛び込み、伊丹十三監督をはじめとする名匠たちのもと、助監督として数々の実績を積んできた前田監督。映画制作の現場を「異業種格闘技」と表現する。
「ある人はボクシング、ある人は相撲、ある人は将棋……とみんなそれぞれ種目は違うし、時にはどう構えたらいいのかわからない競技もあったりしますけど、そこは捨て身でやるしかない。9歳だろうが、80歳だろうが、俳優さんとは同じ目線の高さで話す。よく言えば人懐っこく、悪く言えば図々しく、いかに壁を取っ払って、相手の懐に踏み込んでいけるかだと思っています」
『老後の資金がありません!』では、宝塚歌劇団の男役のトップスター出身で、“デキる女”のイメージが強い天海祐希を“地味に普通に”見せることをテーマに掲げ、あえて同じジーンズを着回しさせて庶民っぽさを出した上で、「いかに篤子に負荷をかけていくかを考えた」。自作のヒロインは「その映画を撮っているときは自分にとって一番愛しい人」だという。
「天海さんはまさに竹を割ったようなビシッとした性格だから、『だったらこういうのもありじゃない』『こっちの方がいいんじゃない』と、いろいろアイデアを出してくれました。僕からこうしてくださいとは言わず、こうすれば絶対に何かが起きるに違いないと予測した上で、天海さんたちに自然な反応を出してもらいやすいように、例えば若村さんに『もう少し大袈裟に泣いてみてください』と、直接でなく相手役の方に演出したりしました。芝居はリアクションだと思っているんです」
キャスト陣の名演をいかに引き出すか
ドキュメンタリー作品も手掛けている監督だけに、たとえ実話に基づいた原作でなくとも、映画にする上でリサーチは欠かさない。リアルな現状を踏まえた上で「いかに効果的に嘘をつくのかが作り手の腕の見せどころ」であり、脚本家やプロデューサーと共に「一字一句にまでこだわり、精緻にシナリオを練り上げる」という。
本作においても棺桶代や骨壺代など、葬儀にかかる費用を読経のリズムに乗せてコミカルに盛り込んだり、原作にはない「シェアハウス」や「生前葬」のエピソードを新たに取り入れたりすることで、観客に共感や驚きの感情を促しながら、物語を実に小気味よく展開させていく。
「よくぞここまで!」と言わんばかりの濃いキャスト陣の名演も、本作ならではの特徴だ。北斗晶と佐々木健介夫妻が娘の結婚相手の両親を演じているほか、演出家や監督としても活躍する三谷幸喜が、区役所の年金課の職員に扮して、草笛光子や毒蝮三太夫、柴田理恵らを相手にコントさながらの大芝居を繰り広げたりもするのだから、笑わずにはいられない。
「今村昌平さんや伊丹万作さんといった昔の有名な映画監督が言っていたように、映画はキャスティングが8割です。監督がどれだけ頑張っても2割しかない」と声を大にする前田監督。だからこそ「前田組」は、キャラクター作りの根幹となるスタッフを厳選する。中でも俳優に一番近いヘアメイクやスタイリストが重要な役割を担うという。
「ヘアメイクとスタイリストをメインスタッフ扱いしたのは、伊丹十三監督が最初ですよ。伊丹組の衣装合わせは、絶対に一度じゃ終わらない。『マルサの女2』(1988)の時の、三國連太郎さんと伊丹さんのやりとりなんてもう最高でしたよ! 三國さん、初回の衣装合わせはヒゲモジャだったのに、次はきれいさっぱり髭を剃ってきたんです。全く印象が違う。普通なら怒ってもおかしくないところを、伊丹さんは面白がるわけですよ。『そう来ましたね。じゃあこっちのパターンでさらに面白いものをやりましょうよ』って。あの駆け引きは本当に凄かった。僕はそれをゾクゾクしながら見ていました」
「デザインや舞台装置、美術、衣装は“1センチ浮かそう”というのが僕のテーマなんです。この映画で言うと、草笛さん扮する芳乃の衣装や、インテリアなんかをちょっとファンタジックにするということです。どんな家具に囲まれて、どんな服を身に着けている人物なのか。演じ手が五感で感じたものが、芝居にも影響すると思うので」
レジェンド草笛光子のとっておきエピソード
シナリオの一字一句に始まり、美術や衣装、編集の1フレームから音を入れるタイミングまで徹底的にこだわる前田監督。その上で「芝居はリアクション」とも語っていた。
「三國さんと伊丹さんの駆け引きのように、相手が投げてきたボールを自分ならどう投げ返すか。それが一緒に作っていくってことですからね。現場は生き物。メタモルフォーゼしていくものだから、セリフや動きが全て変わってもいいくらいなんですよ。僕が驚いたところで観客も驚くし、僕が思わず吹き出したところで観客も吹き出すわけだから、そのジャッジは常に大事にしています」
そんな現場で、主演の天海祐希とともに存在感を発揮したのが、10月22日に88歳の誕生日を迎えた芸能生活70年超のレジェンドである草笛光子だ。
「初めてお会いした瞬間から『あ、芳乃だ!』ってピンと来たんです。助監督時代からいろんな俳優さんとお会いしてきた長年の経験による“勘”ですね。草笛さんがお持ちの人柄と品格がそのままいけるじゃないかと思えた」
現場ではすべてを意のままにコントロールしないからこそ、映画の女神が降りてくる瞬間を呼び込むことができるのかもしれない。劇中、毒蝮三太夫演じる頑固おやじの身代わりをするべく芳乃が男装する場面を撮影中、草笛の差し歯が取れるというハプニングが発生した。あわてる草笛に「いや、面白いからそのままで行きましょう!」と機転を利かせて物語に取り込んでしまったというから驚かされる。果たしてどんなシーンになっているのか、ぜひとも劇場で確かめてみてほしい。
映画の終盤、芳乃が篤子にかける言葉がどことなくしっくりいかず、草笛と一緒にあれこれ考え、脚本家に相談してセリフを変えたこともあったという。その結果、この映画を象徴するような名フレーズが生まれた。そしてそれを体現するかのように、氷川きよしがエンディングで主題歌「Happy!」を歌い上げる。「老後の資金問題」というシリアスなテーマを、カラリと笑い飛ばす本作に見事にハマっている。
「天海さんと氷川さんの仲が良いのは僕も知っていたんですけど、実は草笛さんと氷川さんも大の仲良しで、二人が親しくなったエピソードがまたすごいんです。お二人に聞いたら、『犬の散歩中にたまたま会って、ああ、どうも、はじめましてと、連絡先交換したのよ』って。おかしいでしょ? 自由な人同士は引き合うんですよ。お互いにすごい引力を持っているんだと思います。磁石のようにね!」
取材・文=渡邊玲子
作品情報
- 監督:前田 哲
- 脚本:斉藤 ひろし
- 音楽:富貴 晴美
- 原作:垣谷 美雨「老後の資金がありません」(中公文庫)
- 出演:天海 祐希/松重 豊/新川 優愛、瀬戸 利樹/草笛 光子
- 主題歌:氷川 きよし 「Happy!」(日本コロムビア)
- 配給:東映
- 製作国:日本
- 製作年:2021年
- 上映時間:114分
- 公式サイト:https://rougo-noshikin.jp
- 10月30日(土)より全国公開中