映画『狂猿』:デスマッチのカリスマ、葛西純はなぜ全身を切り刻み闘い続けるのか
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プロレス少年に刻まれた記憶
昭和の子どもたちの多くには、ビールを飲むお父さんと一緒にプロレス中継を観た記憶があるはすだ。昭和49(1974)年生まれの現役プロレスラー、葛西純もその1人。小学1年生の冬、地元の帯広にやってきた全日本プロレスの興行を初観戦し、さらにのめり込んだ。
高校を卒業して東京の警備会社に就職したが、格闘家の夢を捨てきれずに退社して帰郷、体を鍛え直す。再上京して門を叩いたのが、過激なデスマッチで知られる「大日本プロレス」だった。実家のテレビでプロレス観戦していた頃の父の言葉がよみがえる。「この技は効いてないな」「あのキックは当たってないよ」…。
「子どもながらにそれを聞くのが嫌だった。自分がプロレスラーになって試合をするなら、親父にそういうことを言わせないようなプロレスがやりたいと思っていました。だったら、誰がどう見ても痛みが伝わるデスマッチしかないなと」
ウェイトトレーニングで鍛え上げてはいたが、プロレスラーとしては小柄の173.5センチという上背で、23歳と遅めの入門、当初はあまり期待されていなかったらしい。しかし持ち前の「何でもやってやる」という姿勢が次第に観客の心をつかみ、団体内で存在感を発揮していく。
背中に負った150針の傷に母が泣く
やがて、大日本プロレスの興行に参加するため来日したアメリカの団体「CZW」のメンバーとして試合に出るようになり、コミカルな狂態で奇想天外に暴れ回る「クレイジーモンキー」というキャラクターを確立する。2001年にはCZWに招かれて渡米、初の海外遠征を経験した。
「アメリカのファンは日本の比じゃないですね。チケットに払った分以上に楽しんでやろうっていう熱気がすごい。こっちもそれに応えて、やってやるぞと気持ちが高揚しますよね」
初めてのアメリカで観客の熱狂に押されて無我夢中になり、背中に150針の裂傷を負った。帰国直後に北海道へと出向き、札幌で別団体の大会に出場すると、すぐに郷里の帯広へ。次回の興行のための営業回りの仕事だった。久々に帰った実家では、傷だらけの姿を見た母親に泣かれたという。
それでもやめる気はみじんもなかった。有刺鉄線を張りめぐらし、リング上に大量の画びょうをぶちまけ、蛍光灯を脳天に叩き込み、カミソリで切り付け合い、数メートルの高さからダイブする、壮絶な試合に明け暮れた。
「体を張って、命を懸けて試合をしているんですけど、そこで本当に大ケガしたり、死んでしまったりしたらプロじゃない。リング上で血みどろになって狂っているように見えても、どこかに冷静沈着な自分はいるんです」
だがもちろん、デスマッチにケガは付き物だ。さまざまな団体の興行を転戦し、負傷で何度も欠場する間には、引退を考えたこともなかったわけではない。膝のじん帯断裂という大ケガや、内臓疾患で長期離脱を強いられることもあったが、そのたびにデスマッチへの情熱が高まるのを感じ、リングへと戻っていった。
「最初からデスマッチが好きでこの世界に入ったわけではないんです。試合を重ねていって、ファンの方たちから、葛西純のデスマッチはすごい、と言われ続けるうちに、デスマッチに対する愛が芽生えていったような感じ。プロレスの技術や身体能力では、自分よりずっと上の選手たちがいますけど、デスマッチをいかに好きでやっているか、その気持ちでは誰にも負けていないです」
ケガで休養、そしてコロナ
しかしデビューから21年が過ぎた2019年、これまでのレスラー人生で最大の試練が訪れる。長年にわたって酷使し続けた首と腰にヘルニアが発覚し、長期療養を迫られたのだ。
「試合をするのが嫌になってしまいましたから。それまでの膝の大ケガや内臓疾患とは違いましたね。あのときはリングに上がることすらできなかったけど、今回は何とか頑張れば試合はできた、逆にそこが一番つらかったですね。いつまた激痛が襲ってくるか分からない、リング上で動けなくなるかもしれないというのを考えたら、怖くなってしまったんです」
それでも年末までは、痛みを押して出場し続けた。ドキュメンタリー『狂猿』は、その年のクリスマスに後楽園ホールで行われた、活動休止前の最後の試合で幕を開け、プロレス抜きの生活を送り始めた葛西純に密着していく。子煩悩な素顔を見せながら、これまでのプロレス人生を振り返る葛西。どことなく冴えない表情からは、一家の主らしく働けない苦悩が見てとれる。
しばらくの休養生活を経て、体が回復しつつあった葛西は、MRI検査を受けて、専門医から「まだやれる」とお墨付きをもらい安堵する。しかしリングに再び上がる気力はなかなか取り戻せない。かつてCZWで戦ったニック・ゲイジの誘いを受け、アメリカを復帰戦の舞台にすると決め、自らを半ば強引に奮い立たせていく。
「われわれプロレスラーは、大きい団体に所属していない限り、試合をこなさないと収入がなくなる。嫁さんと子どもがいますからね。モチベーションはあまり上がらないけど、首も腰もよくなったし、いつまでも家にいてもしょうがないから、まあアメリカで復帰というのは悪くないと気持ちを高めていったんですよ」
しかしその計画もコロナ禍で立ち消えとなる。
「映像で当時の自分を振り返ると、完全に自暴自棄になっていますよね(笑)。アメリカでの復帰戦が流れた後は、いつまたプロレスができるか分からないから、のんべんだらりと日中から酒を飲んだりして、自堕落な生活を送っていましたね」
デスマッチという生き方
一時は、「やり尽くした感がある」というセリフまで口にした葛西だったが、コロナ禍でプロレスの開催中止が続く中、所属団体が意を決して開催した興行を、自らの復帰の舞台とする考えを固めた。
こうして20年6月10日、葛西純の所属するプロレスリングフリーダムズは、入念な感染防止対策をした上で、プロレス興行再開の先陣を切った。だが映画にも収録されたその試合の光景は、異様なものだった。声を上げたい気持ちを抑え、ただただ拍手と手拍子で応援するしかない観客たち。
「あれはショックでしたね。今まで試合をやると、歓声が飛んだり、自分がピンチの時には葛西コールが起きたりしてたんですけど、それがまるっきりなくなって…。少なくとも、声にならない声が思わずもれてしまうくらいにはしたかった。お客さんはコロナという現実を忘れるためにプロレスを観に来てくれたのに、そういう熱狂空間を作り上げられなかった自分の力不足に不甲斐なさを感じましたね。これは現在進行形で、今も模索しています」
せっかくの復帰戦は苦いものとなったが、それでも葛西は観客の前に再び立てたありがたみを噛みしめる。自らの苦境に、世の中の混乱が追い打ちをかけ、一度は「やり尽くした」と言いながら、それでもリングに戻ってきたのはなぜなのか?
「やっぱり好きだからですよねえ。うーん、何だろうな、まあ、これしかないんですよ、正直。デスマッチをやめて、次に何の仕事をやるかといったら、何も思い当たらないんで。23年間、一番好きなことをやってきて、それで今こうして家族を食わせていけるのは、自分なりに誇りに思えるし、幸せ者だと思います」
『狂猿』のカメラが追った葛西純の姿は、力尽きて倒れ、再び立ち上がろうとしている人に、もう少し休めばいいと教えてくれる。映画の後半に差し掛かり、活動を再開してからの葛西が輝きを取り戻していくさまを見てほしい。その目の奥に明らかに生命の炎が燃え出したのがスクリーン越しにも感じられるだろう。
「生きるためにやっているんでね。リングに上がって、血を流して、痛い思いをする。それで生きている実感があるんですよ。普通に生活しているだけだと、そんな実感ってなかなか得られないじゃないですか。それがデスマッチのリングでは、ああ生きてるなあ、って感じられる。それがデスマッチの醍醐味じゃないですかね。試合を終えて家に着くと、無事に生きて帰ってきたなあ、って思うんですよ。だからやめられない。ジジイになっても、年齢を感じさせない動きができるように、まだまだ精進しなきゃいけないですね」
インタビュー撮影=五十嵐 一晴
取材・文=松本 卓也(ニッポンドットコム)
作品情報
- 出演:葛西 純、佐々木 貴、藤田 ミノル、本間 朋晃、伊東 竜二、ダニー・ハボック、竹田 誠志、杉浦 透、佐久田 俊行、登坂 栄児、松永 光弘 ほか
- 監督:川口 潤
- 制作:アイランドフィルムズ
- 製作:葛西純映画製作プロジェクト(スペースシャワーネットワーク+ポニーキャニオン+プロレスリングFREEDOMS)
- 配給:SPACE SHOWER FILMS
- 製作年:2021年
- 製作国:日本
- 上映時間:107分
- 公式サイト:https://kyoen-movie.com/
- 5月28日(金)シネマート新宿ほかにてロードショー!以降順次公開