
『グンダーマン 優しき裏切り者の歌』:炭鉱で働く人気歌手がスパイだった! ドイツを揺るがせた衝撃の事件が映画化
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昨年10月、東西統一30周年を迎えたドイツ。ベルリンの壁崩壊から歳月が流れ、ヨーロッパ随一の大国となった現在の繁栄を外から見ると、かつて政治・経済体制のまったく異なる2つの国家に分断されていたとは、なかなか想像しにくい。
しかし当時を生きた国民にしてみれば、まだそう遠い過去ではないだろう。特に、「統一」とはいえ正確には西に編入された東の人々にとって、消滅した国家に対しては、単なる過去の記憶以上の思いが残っているに違いない。東ドイツ時代を懐かしむ「オスタルギー」なる言葉もよく聞くが、その一方で思い出したくない過去を胸に秘めている人も少なくないはずだ。
映画『グンダーマン 優しき裏切り者の歌』は東西統一の前と後の東ドイツが舞台。1992年、主人公が仲間の前で閉鎖が迫る炭鉱の哀歌を披露する © 2018 Pandora Film Produktion GmbH, Kineo Filmproduktion, Pandora Film GmbH & Co. Filmproduktions- und Vertriebs KG, Rundfunk Berlin Brandenburg
恐るべき相互監視社会の実態
その苦い思い出の最たるものが、事実上の一党支配の下で張りめぐらされた相互監視の網ではないか。ナチスのゲシュタポに匹敵するとさえ言われた秘密警察、国家保安省(通称・シュタージ)が至るところに「非公式協力者」と呼ばれる情報提供者を配置し、監視対象の言動を密告させていたのだ。協力者もまた別の誰かに監視されていた。その規模は最大で20万人に達したとも言われる。職場の同僚や隣人同士が互いに密告し合う、陰湿極まりない監視社会だったのだ。
映画『グンダーマン 優しき裏切り者の歌』は、人気ミュージシャンがこの非公式協力者であったという衝撃の実話をもとに、その半生を描いた人間ドラマだ。監督のアンドレアス・ドレーゼンも東ドイツ出身。シュタージの影がいかに身近に迫っていたかを感じさせる自身のエピソードを話してくれた。
1976年、ドイツ社会主義統一党に入党を希望するも却下されるグンダーマン © 2018 Pandora Film Produktion GmbH, Kineo Filmproduktion, Pandora Film GmbH & Co. Filmproduktions- und Vertriebs KG, Rundfunk Berlin Brandenburg
「幼なじみの親友が3人いたのですが、そのうちの1人から、シュタージの非公式協力者だったことを打ち明けられたことがあります。ベルリンの壁が崩壊した後でした。友人は私のところにやってきて、こう言ったのです。以前、君のことを監視して、シュタージに報告していた。悪く思わないでくれと。小さい頃から一緒に過ごしてきた友達ですから、大変なショックでした。親友を失いたくはないので、理解しようと努めてはみたのですが、ダメだった。友情は壊れてしまいました」
自身もシュタージに誘われた経験があったそうだ。ベルリンの壁崩壊の数年前、20代前半でポツダムの映画テレビ大学の演出コースに通っていた頃だ。大学の構内で、ある人物からコーヒーに誘われた。それがシュタージの関係者で、同級生を監視し、報告してくれないかと依頼されたのだという。
グンダーマンに対し、ある人物の調査を依頼するシュタージのエージェント © 2018 Pandora Film Produktion GmbH, Kineo Filmproduktion, Pandora Film GmbH & Co. Filmproduktions- und Vertriebs KG, Rundfunk Berlin Brandenburg
「そんなことはできないと断りました。断ってからしばらくの間、映画が撮れなくなるのではないかと不安な時期を過ごしましたが、幸い何も実害はなかった。私以外には、もっと強く圧力をかけられた例もあったのかもしれません。必ずしも表現活動にたずさわる人々に対する監視が特に強かったわけではないんです。当時の東ドイツでは、あらゆる階層、年齢層の、さまざまな分野の人たちが協力を依頼されたり、監視の対象になったりしていました」
矛盾の半生を送ったミュージシャンの肖像
物語の主人公は「グンディ」こと、ゲアハルト・グンダーマン(1955-1998)。東ドイツのホイエルスヴェルダで炭鉱労働者として働く傍ら、東ベルリンを拠点にバンド活動をしていたシンガーソングライターだ。東西統一後には、ザイルシャフトというバンドを率いて全国的に知られる存在となり、ボブ・ディランのドイツ公演では前座を務めた。シンプルな曲調に詩情あふれる歌詞をのせて聴衆を魅了し、「東ドイツのディラン」の異名をとったという。
グンダーマン役のアレクサンダー・シェーアが本人そっくりに怪演。劇中の全15曲を自らカバーして歌う © 2018 Pandora Film Produktion GmbH, Kineo Filmproduktion, Pandora Film GmbH & Co. Filmproduktions- und Vertriebs KG, Rundfunk Berlin Brandenburg
グンダーマンは音楽で成功して以降も、鉱山で露天掘りの巨大な重機を操る労働を続けた。生活費を稼ぐために音楽活動をしたくなかったのと、仕事を心から愛していたからだ。共産主義の信奉者で、支配政党であるドイツ社会主義統一党に入党したものの、労働者の権利意識と正義感が強く、仲間を思うあまり党幹部に反抗し、除名されることもあった。そんな情の深い人物が、なぜシュタージに協力したのだろうか。映画は、単純そうな見かけをしたグンディという男の、複雑な心理と行動を追っていく。
党の幹部に労働環境の改善を訴えるグンダーマン © 2018 Pandora Film Produktion GmbH, Kineo Filmproduktion, Pandora Film GmbH & Co. Filmproduktions- und Vertriebs KG, Rundfunk Berlin Brandenburg
「私自身は経験上、協力者にならない人間だという確信がありました。でもこの映画を制作しながら気付いたんです。自分の場合は、幸いにも相手の狙いが見え見えだったから、断ることができたのかもしれないと。グンディは、国を愛する気持ちと、父親に対する憧れが強かった。シュタージはそこを利用しつつ、バンドの仲間を連れて西側へツアーに行けると誘ってきたのでしょう。相手の心を見抜いた上で、うまく乗せて協力させてしまうんです。私もこれほど巧みに誘われていたら、うっかり協力してしまったかもしれません」
これまでも、冷戦下の東ドイツを舞台にし、シュタージが登場する映画はいくつかあった。しかしこの『グンダーマン』には、単純に歴史的事実をドラマ化して抑圧的な旧体制を糾弾するものではないところにオリジナリティがある。90年の東西ドイツ統一を境に、その前後の時代を往き来する手法を用いながら、精神と歴史の深奥に迫ろうとするのだ。
グンダーマンが愛した露天掘り重機の操縦室 © 2018 Pandora Film Produktion GmbH, Kineo Filmproduktion, Pandora Film GmbH & Co. Filmproduktions- und Vertriebs KG, Rundfunk Berlin Brandenburg
「90年以降のドイツに出てきたいくつかの作品とは違うやり方で、シュタージと市民の関わりを描き出そうと思いました。そこで、グンダーマンという矛盾のある人生を送ったアーティストに着目したのです。彼はシュタージの非公式協力者として、加害者であると同時に被害者でもあった。ほかの国ではめったにないケースですが、東ドイツには大勢いた中の1人です。それを、特異なアーティストを主人公にすることで、当時のありふれた出来事とは一線を画すものにできました」
東西統一後しばらくして、メディアは著名人をターゲットに、かつての非公式協力者を暴露するキャンペーンを展開した。グンダーマンも情報を掴んだジャーナリストたちから、謝罪を迫られたという。それに本人がどう反応したかは、この映画の見どころであり、グンダーマンという謎めいた人物の本質に迫る部分だ。
「グンダーマンは、ジャーナリストの協力を得て、自分が書いた報告書を読むことができたのですが、こんなにたくさん書いていたのかと自分で驚いたそうです。私も読んでみましたが、実際のところ大した内容ではありませんでした。一方で、彼の『被害者』の側面、つまり彼を監視していた同僚が書いた報告書は公表されていません。ですから、両方を読んでみないことには、グンディがどこまで本気で『協力』していたか、実態は分からないのです」
非公式協力者の報告書を保管したアーカイブを訪れ、失われた記憶を探ろうとするグンダーマン © 2018 Pandora Film Produktion GmbH, Kineo Filmproduktion, Pandora Film GmbH & Co. Filmproduktions- und Vertriebs KG, Rundfunk Berlin Brandenburg
圧倒的な支持を得た理由
映画化を着想してから完成までに10年を要した作品は、東西統一30周年を2年後に控えた2018年にドイツで公開され、大ヒットを記録した。翌年、同国で最も権威のあるドイツ映画賞で作品賞や監督賞など6冠に輝いている。映画が話題となったことで、忘れられかけていたシュタージと非公式協力者の問題をめぐり、国内で再び議論が盛り上がったという。
「映画を作るにあたって私がまず念頭に置くのは、映画が娯楽であるということです。この作品についても、観客に映画館へ足を運んでもらって、楽しんでもらいたいという思いが根底にあります。若い世代にとっては、ストーリーを追い、良い音楽を聴いて楽しみながら、同時に歴史を学べるところに、この映画の価値があると思います。グンダーマンという人物についてだけではなく、東ドイツが実際にどういう社会だったのかをあらためて正しく見直そうという動きが出てきました。幅広い年齢層の人々に、歴史を考えてもらえるきっかけになった。この映画から得られたものは予想以上でした」
グンダーマンは炭鉱の同僚で音楽活動を共にするコニー(アンナ・ウンターベルガー)に思いを寄せる © 2018 Pandora Film Produktion GmbH, Kineo Filmproduktion, Pandora Film GmbH & Co. Filmproduktions- und Vertriebs KG, Rundfunk Berlin Brandenburg
確かに東ドイツという国の興亡を考えてみると、ナチスの台頭から独裁、敗戦、ソビエトの占領とめまぐるしい20年を経て誕生し、その後わずか40年で消滅するという、極めて特殊な運命をたどったことに、あらためて驚かされる。市民はまさしく歴史に翻弄され続けた。旧東ドイツの人々にとって、グンダーマンの矛盾に満ちた態度こそ、複雑な胸中を代弁してくれるものなのかもしれない。
「グンダーマンは自分の非を認めましたが、誰にも謝罪することはないと言い切りました。非公式協力者の問題をめぐっては、東のドイツ人が、よく西のドイツ人から、謝罪する気はないのかと言われることがあります。でも東の人からすれば、西に住んでいたことで何か謝罪することはあるんですか、と言い返したいんですよ」
とはいえ、グンダーマンの過去に失望した人は大勢いただろう。しかし、それによって、彼の音楽そのものまで否定されることにはならなかった。ふと、昨年の米大統領選のさなか、日本のツイッター上で巻き起こった議論を思い出し、監督にどう思うか最後に尋ねてみた。複数の著名ミュージシャンがトランプ支持を打ち出したのに反応して、あるインフルエンサーが、もはや「作品と本人は別」とは考えられないと表明したことについてだ。
炭鉱での労働の合間に思いついた詩をレコーダーに吹き込むグンダーマン © 2018 Pandora Film Produktion GmbH, Kineo Filmproduktion, Pandora Film GmbH & Co. Filmproduktions- und Vertriebs KG, Rundfunk Berlin Brandenburg
「人と作品はやはり別にして考えるべきでしょう。グンダーマンは政治的な人間でしたが、彼の歌は非常に詩的なものでした。エンゲルスはバルザックについて論じながら、バルザックは政治的には反動主義者だったが、彼の小説には革命的なリアリズムがあった、と称賛しています。よく言うように、作品は芸術家自身よりも賢いのです」
取材・文=松本 卓也(ニッポンドットコム)
© 2018 Pandora Film Produktion GmbH, Kineo Filmproduktion, Pandora Film GmbH & Co. Filmproduktions- und Vertriebs KG, Rundfunk Berlin Brandenburg
作品情報
- 監督:アンドレアス・ドレーゼン
- 脚本:ライラ・シュティーラー
- 音楽:イェンス・クヴァント
- 出演:アレクサンダー・シェーア『ソニア ナチスの女スパイ』/アンナ・ウンターベルガー
- 提供:太秦/マクザム/シンカ 配給・宣伝:太秦
- 製作年:2018年
- 製作国:ドイツ
- 上映時間:128分
- 公式サイト:https://gundermann.jp/
- 5月15日(土)より渋谷ユーロスペース他全国順次公開