映画『狼をさがして』:韓国のドキュメンタリー監督が描く、東アジア反日武装戦線の爆弾闘争とその後
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連続企業爆破事件の犯行グループ
東アジア反日武装戦線は、1970年代前半、「日本帝国主義」の打倒を掲げ、無差別爆弾テロを行った日本の武装集団である。組織というよりは、“狼”、“大地の牙”、“さそり”といった名前を持つ小グループが、共通の「反日思想」で結びついていた形態のようだ。その思想は、爆弾の製造法や非合法活動の心得などとともに『腹腹時計』(「都市ゲリラ兵士読本VOL.1」)なる小冊子にまとめられ、74年3月に地下出版された。
これを執筆したのが、“狼”のメンバーで三菱重工爆破事件の主犯格として逮捕され、死刑判決を受けた大道寺将司である。48年、北海道・釧路に生まれた大道寺は、アイヌ居住区の近くで育ち、差別を目の当たりにしたことで早くから政治意識に目覚め、高校生で数々のデモに参加した。その後、法政大学に入学して学生運動に本格的に取り組みながら、思想を急進化させていった。
出発点には、強烈な自己否定がある。自身を「アイヌモシリ(アイヌ語で人間の大地)を侵略した植民者の末裔」と認め、その贖罪意識から「日本帝国主義の本国人」に対する武装闘争の意義を確信していく。具体的なターゲットは、敗戦後に急速な復興を成し遂げた日本経済の中枢。朝鮮戦争、ベトナム戦争を機にアジア進出を拡大していた旧財閥系企業や大手ゼネコンだ。
大道寺らのグループ“狼”は74年8月30日、三菱重工業東京本社ビルに時限爆弾を仕掛け、爆発により8人が死亡、376人が重軽傷を負う大惨事を引き起こした。東アジア反日武装戦線の各部隊はその後も、主要メンバー7人が一斉逮捕される翌年5月まで、およそ8カ月間に9件の爆弾テロを実行した。
それから半世紀近くが経ったとはいえ、企業の連続爆破という重大性や、いまなおメンバー3人が手配中(うち2人は人質事件を起こした日本赤軍の要求で、超法規的措置により釈放され、国外に逃亡)であることを考えれば、もっと語り継がれてもいいはずだが、ともすると昔の出来事として忘れられている感も否めない。
ドヤ街での発見
そんな中、これに注目したのが韓国人のドキュメンタリー映像作家、キム・ミレだ。韓国の観客に届けることを想定して、東アジア反日武装戦線の思想が生まれた背景とその後を追いかけた。日本の観客にとっては、やや特異ともいえる視点から出来事を見直す機会になる。
「韓国には、大企業が東南アジアに進出して、現地の労働力を搾取しているという深刻な問題があります。国内でも食堂や農家などで外国人を安い労働力として使っていて、彼らがいなければ経済が回らないほどです。時代が変わっても、東アジア反日武装戦線が過去に投げかけた問題提起と共通するものがあるのではないかと思い、韓国社会に向けて、これを伝えたいと思いました」
とはいえ、監督が東アジア反日武装戦線について知ったのは、2000年代前半、大阪の釜ヶ崎を訪れ、日本における日雇労働者の実態を取材したときだった。
「最初は、労働運動のドキュメンタリーを撮ろうと思っていました。父の仕事に関心を持ったのがきっかけです。私の父は、建設作業員でした。韓国の建設現場は、日本の植民地時代から2000年に至るまで正規職がなく、誰もが日雇労働者だったのです。過去の労働運動について取材をしていくと、50~60年代に盛んだった運動が70年代に入って下降気味になった一方で、社会の変革を求めて武装闘争に身を投じる人もいたと聞きました」
釜ヶ崎には、使い捨てにされ、死んでいった仲間たちの無念を胸に刻み、資本家や警察に敵対する活動家たちがいた。キム監督が東アジア反日武装戦線の名前を耳にしたのは彼らを通じてだった。
爆弾魔を生んだ時代と土地
主要メンバーの大道寺将司も、釜ヶ崎で1年間暮らしたことがあるのを知った。彼は高校卒業後、大阪に出て大学受験に失敗すると、翌年に上京するまで、この労働者の街に居ついたのだった。
「彼が20歳になった60年代末、世界的に若者たちの間で社会運動の機運が高まっていました。それに加えて、彼には北海道に生まれ育ったというきっかけもあった。釜ヶ崎で過ごす間、どうしたら社会の変革が可能かという問いを突き詰めていったのでしょう。人が若い時にどういう時代を生きたかということは、その後の人生への影響を考える上で非常に重要です」
キム監督も釜ヶ崎を何度も訪れ、合計すると3、4カ月ほど過ごしたという。日本社会を労働者の視点で眺めるとともに、大道寺が生きた時間をさかのぼるように、生まれ故郷の釧路を訪ねてもみた。
「彼がなぜ自分を侵略者の末裔だと考えるに至ったか、それを知りたくて北海道に行きました。アイヌモシリの痕跡は北海道の至るところにありました。地名も、生活様式も残っています。彼らの土地が奪われただけでなく、いまでも差別されて、貧しい生活を送っている人々がいる。これは現代につながる問題でもあります。もし自分が北海道に生まれていたら、大道寺さんと同じような考えを持ったかもしれない。いろいろと理解できた部分があって、それがまさにこの映画作りの原動力となりました」
狼のその後
大道寺将司は本作撮影中の2017年、多発性骨髄腫により収監中の東京拘置所で亡くなった。キム監督が直接会うことは叶わなかったが、拘置所の待合室まで面会者についていき、そこから彼の胸中に思いをはせたこともある。
「獄中で何を思って日々過ごしていたのだろうかと。重い病に冒されながら俳句を詠んでいた彼の心情を、彼の立場になって考え、探っていきました。彼は爆破によって犠牲者を出した過去を何度も思い返し、反省しています。直接の対面はできませんでしたが、そういう人間的な大道寺将司に出会うことができたという実感はあります」
本人に会えなかった代わりに、彼を知る多くの支援者たちと接し、話を聞いている。彼の友人たちは、ほう助罪で投獄されたり、公安から執拗にマークされたりしながらも、支援活動を通じて真の仲間たちに出会い、心の通った付き合いを得たことに幸せを感じていると口をそろえる。
「私は彼らが40年以上にわたってずっと支援を続けていることに驚きました。受刑者の苦しみに寄り添うのを当然のことと考えている。尊敬に値する人々だと思います。韓国のように大勢集まって大規模に行う運動と違い、こうした支援活動のように長い地道な運動もあるのだなと、新たな視点を与えられました。支援者の大半は、爆弾テロという手段は間違っていたと考えていますが、問題を提起したことには共感しています。それによって提起されたのは自分たちの問題だととらえ、その思いを支援という形で実行し、それが人生の一部になっている。そこに感銘を受けます」
韓国人が活動家に抱く共感
大道寺は獄死したが、“大地の牙”のメンバーだった浴田(えきた)由紀子はその2カ月前、20年の刑期を終えて釈放された。支援者たちと再会を喜ぶ姿が、本作に収められている。“大地の牙”が実行した爆破事件で死者は出ていない。浴田は1975年の逮捕後、77年の日航機ハイジャック事件で、日本赤軍の釈放要求を受け、大道寺の妻・あや子とともに超法規的措置で国外に逃亡した。その後95年にルーマニアで再び身柄を拘束され、日本で収監されていた。
「浴田さんとは釈放前から手紙のやりとりをしていました。彼女は韓国に大きな関心を持っていて、70年代初めに旅行したこともあります。民主化運動に連帯する意識があったそうです。それを聞いて親しみを抱いていました。釈放されて実際に会ってみると、思っていた以上に活動家らしい印象でした。彼女は日本以外にパレスチナなどでも活動してきた経験があるので、その言葉はとても重要だと考えます」
80年代に学生だったキム監督も、軍事独裁政権に終止符を打って民主化を実現した1987年の市民運動に参加しただけに、運動によって社会を変えられると信じる浴田への共感はとりわけ強い。キム監督は、浴田が2002年の裁判で被告人として読み上げた最終意見陳述を、反日武装闘争の「総括」として重く受け止め、本人が朗読した一節を映画の中に再録している。
「東アジア武装戦線の戦いに最も欠けていたのは、いま現在から革命後の社会を、物的に、人的に、思想的に、あらゆる領域から作っていく創造の戦いとして考え、実践することだった(…)。敵を打倒し、破壊することよりも、味方を増やし、味方の力を育て、作り出す戦い方をしたい。それは『もう誰も死なさない革命』でもあるはずです」(浴田由紀子)
=文中敬称略=
取材・文=松本 卓也(ニッポンドットコム)
作品情報
- 監督・プロデューサー:キム・ミレ
- 出演:太田 昌国、大道寺 ちはる、池田 浩士、荒井 まり子、荒井 智子、浴田 由紀子、内田 雅敏、宇賀神 寿一、友野 重雄、実方 藤男、中野 英幸、藤田 卓也、平野 良子ほか
- 企画:藤井 たけし、キム・ミレ
- 撮影:パク・ホンヨル
- 編集:イ・ウンス
- 音楽:パク・ヒョンユ
- 配給・宣伝:太秦
- 公式サイト:eaajaf.com
- 製作年:2020年
- 製作国:韓国
- 上映時間:74分
- 3月27日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開