歴史の闇「私宅監置」に迫る:映画『夜明け前のうた ~消された沖縄の障害者~』
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日本に生まれ精神を病む二重の不幸
かつて日本では、家族の中に精神疾患を発症した人が現れると、自宅の敷地内に部屋を設け、閉じ込めることが認められていた。「私宅監置」と呼ばれ、明治政府が1900年の「精神病者監護法」によって制度化した合法的な措置だった。「監置」の対象となる患者の家族あるいは後見人が届け出て、警察や保健所が監督した。
当時の日本では、精神医療が十分に発達しておらず、病院が不足していたために、私宅監置は広く行われていたという。その時代の医学者で、オーストリアやドイツで学び、帰国後、日本の近代精神医療の礎を築いた呉秀三(1865-1932)博士が、この実態を問題視し、調査結果をまとめている。1918年出版の著書で、「この病を受けたるの不幸の他に、この国に生れたるの不幸を重ぬるものと云うべし」と日本の精神医療と人権意識の深刻な遅れを指摘した。
出版の翌年には精神病院法が公布され、各地に公立の精神科病院の設置が進められはしたものの、私宅監置は1950年施行の精神衛生法によって禁止されるまで続けられた。さらに、それ以降も20年以上にわたって私宅監置が行われていた地域がある。1972年まで米軍統治下にあった沖縄だ。
写真でよみがえる監置された人々の姿
その実態を生々しく記録した写真が見つかった。1964年、日本政府から初めて米軍統治下の沖縄の視察に派遣された精神科医・岡庭武氏が、私宅監置の現場を訪れ、撮影したものだ。日本列島が東京五輪の開催に沸き立つ頃、当時は日本の統治外にあった沖縄で、家畜小屋以下の劣悪な環境の下、「合法的に監禁」されていた人々がいたとは衝撃的な事実だ。
映画『夜明け前のうた ~消された沖縄の障害者~』は2011年、ドキュメンタリー映像作家の原義和がテレビ番組の取材を機に、これらの写真に出会ったのが始まりだ。写真を岡庭氏に託され、保管していたのは、かつて国立精神・神経センター精神保健研究所の所長を務めた吉川武彦氏だった。吉川氏から写真の存在を知らされた当時について、原監督はこう振り返る。
「こんなもの、世に出せるわけがないと吉川さんは言いました。このドキュメンタリーをテレビで放映したとき、プライバシーへの配慮ということで、名前を伏せ、写真の顔にはぼかしを入れました。しかし振り返って考えれば、こうしてあえて放送したにもかかわらず、彼らの名前と顔はいぜんとして消されたままだったことになります。彼らの存在を隠されたままにしていいのか、世に出すべきなんじゃないかと、ずっと考えていたんです。このまま引き出しにしまっておいたら、それこそ排除する社会を容認することになりはしないかと。16年に今回の企画が持ち上がったときに、彼らに出会った人間としてはやるしかないと覚悟を決めたんです」
原監督は1969年生まれ。名古屋の高校を卒業してすぐに東京へ出て、しばらくしてテレビなどの映像制作現場に飛び込んだ。以来、企業のPR映像や博物館の展示映像なども手掛けつつ、報道や福祉の番組を中心に、ドキュメンタリーのディレクターとして映像作品を世に送り出してきた。「日の当たらない、みんなが見ようとしないところに、実は豊かさがあり、宝がある」という信条で、社会の影の部分にあえて注目し、それを映像化することに使命を感じている。
35歳のとき、これからの自分が表現者としてどんな作品を作っていくべきか悩んだ末、それまでに何度も訪れ、縁のあった沖縄に移住する。やがて、友人の紹介で沖縄の精神医療の現場を取材するようになる。
「社会正義がどうのという、かっこいい話ではなくて、社会の片隅に追いやられた人々に興味があるんです。まず、妄想の世界で生きる病気の人の言動って、非常にユニークじゃないですか。それを面白いと思ってよく観察すると、そこで育まれている仲間との友情とか、生きる姿がとても魅力的で、非常に豊かな世界が見えてくるんです。隠された宝と出会っている確かな感触があって、同時にこれを世に出す意義も感じられる。この15年間、マイノリティに目を向けた分野で、途切れることなく映像の仕事をしてこられたのは、そういうモチベーションのおかげだと思います」
「うた」が訴えかけるもの
『夜明け前のうた』は、原監督のそうした地道な仕事への向き合い方が初の映画として結実した作品だ。吉川氏によって明らかにされた写真をもとに、撮影した本人である岡庭氏、さらには私宅監置をされた患者の遺族や、当時を知る人々を訪ねる形で、ドキュメンタリーは進行していく。想像を絶するダークな世界に踏み込んでいきながらも、全編を通じて響くのは私宅監置を糾弾する激しいトーンではない。関係者の証言から、かつて小屋に閉じ込められた人々が、どのように生きてきたのか、その姿を思い描いていくのだ。
「社会的に行われた隔離ですから、社会が清算すべき問題として、検証は必要だと思います。ただ、僕は映像にたずさわる人間として、映像表現でできることを追求しているのであって、人が生きることの尊さや美しさを伝えたかった。もちろん、そんなきれいごとで済ませられる話ではないですよ。人間を家畜以下に扱って社会から排除した。この罪は何年経っても消えるわけではありません。でも、告発調で事実を訴えたとしても伝わらないことがあります。患者も、病気で混乱して手が付けられない状態があり、周囲の人は困り果てていたに違いありません。ですから単純に、あんなことをすべきでなかったとか、どうすべきだとか、結論付けられることではないと思うんです。苦しんでもがきながら答えを探し求めなければならないという点では、いまも変わらない問題です」
原監督が強く引かれたのは、石垣島からフェリーで1時間の離島で、1坪ほどの小屋に監置されていた藤さんという女性のエピソードだ。恋に破れて精神を病んだという彼女の小屋からは、よく歌声が聞こえてきたそうだ。沖縄が本土復帰し、私宅監置が禁止されて以後は、石垣市にある県立病院に入院した藤さんについて、原監督は当時の看護師らを訪ねて話を聞いている。
「小屋に閉じ込められた女性が歌っていたという話を聞いたときに、ガツーンとパンチを食らったような感じでした。ああそうか、歌ってたんだ。そうやって生きていたんだって。人はなぜ歌うかって、そこに理由なんてないですよね。歌うことは生きることそのものだと思うんですよ。実在した藤さんに出会えたような気がしました。私宅監置の問題について、精神医療政策の遅れとか、人権の侵害とか、むずかしい言葉を通して理解するのではなく、僕自身、強く心に響いたものがあったんです」
日本の闇に光を当てる沖縄
その監督の思いが、映画のタイトルとポスターのビジュアルに込められている。私宅監置という歴史の闇の彼方に、ほのかな光を見たいという強い希求だ。それは、かつて辺野古の新基地建設に反対する市民運動に参加し、沖縄との関わりを深めていった四半世紀前から一貫している。
「いますぐ基地をなくそうったって無理でしょう。でもいつかは、人類規模でこの問題を乗り越えて、軍事的な殺し合いなんかやめようっていう世の中を作りたい。その大きなゴールに向かって、一歩踏み出すことが大事なんじゃないか。沖縄というのは、地上戦があった場所なんですよ。4人に1人が亡くなったと言われている。戦争で家族を失った人たちの犠牲の声は、この世から戦争をなくしていくための大切な力です。それを映像で記録として残しておくために、いくつも番組を作ってきたんです」
太平洋戦争終盤の地上戦と、それに続く占領は、島民の精神に甚大な影響を及ぼしたと考えられる。岡庭氏が私宅監置の現場を視察した2年後の1966年、琉球政府厚生局は日本政府の支援の下、沖縄の精神衛生実態調査を行った。それによると、島民の精神疾患の有病率は本土の約2倍に上ったという。当然、病床数は足りず、これも私宅監置の存続を正当化しただろう。
当時、調査団長を務めた国立精神衛生研究所・中川四郎部長の総括が重く響く。前述したかつての呉博士の言葉を引用しながら、こう記したのだ、「沖縄の精神障害者は、(日本に生まれ、精神障害を負ったことに加えて)沖縄に生まれたという三重の不幸を背負っていると言って過言ではない」と。
注意すべきは、私宅監置が沖縄独自の問題ではなく、日本の歴史の中で埋もれていた闇であることだ。地上戦の犠牲となり、日本から切り離された沖縄という特殊な存在が、その闇に光を当てることになった。
「私宅監置は、元から沖縄にあったものではないんです。沖縄はかつて独立国だったわけで、日本は“琉球処分”という形で沖縄を併合した。むしろそれ以前の沖縄には、常軌を逸した言動の人を神と交信する者としておおらかに受け入れる土壌があった。それを病気だと言ったのは、明治政府なんです。それでいて、最後まで私宅監置が残ったのは沖縄だったというところに、歴史の皮肉があるんです」
日本が近代国家を形成していく中で、江戸時代までの「座敷牢」を制度化し、異常とされる者を社会から排除しようとしたのが私宅監置制度だった。それから120年を経た現在、精神障害者をめぐる状況は当時に比べて改善されたとはいえ、いまなお解決すべき問題は多い。
「精神障害者の監禁という問題は、古今東西を問わない普遍的な事象で、2000年前の新約聖書の時代にもあった。障害のある人々を隔離し、社会から排除するのは、いまも形を変えて行われている。おそらくこの先も人間社会が抱え続ける問題でしょう。さらに言えば、これは精神医療の問題にとどまらない。排除はそこら中にあります。こういう乗り越えなくてはならない問題を考えるときに、過去の出来事を手掛かりにする必要がある。いまこうして、監置された人々の生きた証しを共有しながら、感じてもらえることがあるのではないでしょうか」
取材・文=松本 卓也(ニッポンドットコム)
作品情報
- 監督・撮影・編集:原 義和
- 制作:高橋 年男 山田 圭吾 糸洲 のぶ子
- ナレーション:宮城 さつき
- 音楽:白川 ミナ
- 創作舞踏:Danzatakara.
- 製作協力:沖縄県精神保健福祉会連合会 沖縄YWCA
- 製作:障害者映像文化研究所 イメージ・サテライト
- プロデューサー:中橋 真紀人
- 配給:新日本映画社
- 製作年:2020
- 製作国:日本
- 上映時間:97分
- 公式サイト:yoake-uta.com
- 2021年3月20日より東京 K’s cinema、4月3日より沖縄 桜坂劇場ほか全国順次公開