台湾の伝染病との戦いの道:1895年から2020年までの経験

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大航海時代、台湾近くを航行したポルトガルの船乗りは「Ilha Formosa(イーリャ・フォルモーザ=美しい島)」と称賛したという。1939年に台湾詩人協会が発行した文芸誌のタイトルは『華麗島』だった。台湾は美しさをたたえられる一方で、長きわたって伝染病の深刻な脅威にさらされてきた。台湾人のDNAには、冒険の遺伝子や平穏な時にも災難を予想して備える警戒心が存在するのかもしれない。

民意は政策を支持

政府は総統選前から、新型肺炎に対する戦闘態勢を取り、一般の人も次第にそれに加わっていった。疾病管制署のLINE公式アカウントの「疾管家」を通じて、流行状況指揮センターの記者会見のインターネット中継を見たり、発表情報や当局からの指示をリアルタイムで受け取ったりできるようになった。公安部門(警察部門)はこの時期、保険カードを利用して、第一線の医療関係者が自らを守るなど、迅速な判断ができるようにした。

また2月14日には、入境検疫システムと個人照会システムを結合させ、在宅検疫と入境後に隔離された人の在宅状況を把握できるようにしたと発表された。衛生福利部資訊処の王復中副処長は取材に対して、同システムは公安部門の10人にも満たない精鋭チームが開発したと述べた。チームは「敏捷開発」の能力を発揮し、着想から稼働までに費やした時間はわずか7日間だったという。

王副処長はまた、最も難しかったのは航空便の照会であり、政府各部門にある情報とさまざまな通信業者の資料を接続することだったと説明した。このシステムでは、在宅隔離者と在宅検疫対象者が入境時に記入した情報をただちに政府民政部門のシステムに表示させる必要があった。時間差があってはならなかった。IT関連における方針決定の鋭敏さと行動力は、民間も参加して開発された「マスク地図」で発揮されただけでなく、公安部門も全面的に行動を開始した。

ちょうど総統選を終えたばかりの台湾では、817万の民意の支持を得た政府が、主に医師と公衆衛生の専門家で構成されたグループに牽引させることで、全国民を「一蓮托生」のチームとした。政府は図表に簡単な説明を添えることでネットを通じて重要な情報を発表した。迅速に展開された事実検証システムはデマの被害を低減し、科学的な立証で民衆を説得した。また、法に基づいて感染が確認された人のプライバシーを保護し、感染発生状況が確認できない場合に限って、携帯電話に一斉配信するセルブロードキャストの方法で情報を伝達し、グーグル・マップを使って感染リスクが存在する地域を示した。17年前にSARSと戦った医師や公衆衛生の専門家の多くが、再び医療の最前線に戻り、明確な医学上の指示を発した。台湾の人々が今回、心を一つに団結できた大きな原因は、互いの信頼だった。

流行状況中央指揮センターのトップになった陳時中衛生福利部長は3月4日に、「台湾社会は感染拡大を避けられないのか」と尋ねられた際、指揮官としてのあるべき姿を示した。「現在の感染者数は相対的に少数に抑えれている。しかし、台湾にも、無症状の感染者は存在しており、この先も大丈夫だろうと無邪気に考えるわけにはいかない」と明確に述べたのだ。さらに、陳部長は、「もちろん感染拡大避けられればベストだが、より厳しい態度で準備をせねばならない」とくぎを指した。

歴史を振り返れば、台湾は国際的な孤立状態にずっと置かれてきた。台湾人はこのことで、他者から軽んじられることを望まず、自らが自らを救うという気迫と覚悟を養うことになった。新型ウイルスに直面した今回も、遺伝子に深く刻まれた強靭さが発露されることになった。特に中国とは長年に渡り政治上の対立状態が続いている。

台湾海峡の両岸は、台湾ビジネスマン、航空機や船舶の航行、通婚などで往来が頻繁だ。各種の感染経路に対して、常に警戒心を持たざるを得ない。そして、この島にやってきた順には関係なく、先住民族であれ新たな住民であれ、ほぼ共通する台湾人の性格の特徴が形成されることになった。すなわち、危機に対してとりわけ敏感で、不公平な圧力には必ず反撃する一方で、善意に対しては必ず報いるという性格だ。これは、華麗島と呼ばれる台湾が長きにわたって伝染病と向き合ってきた態度であり宿命だ。今回の新型コロナウイルス感染症の危機も無事に乗り切れるに違いない。

バナー写真=SARSが流行した2003年、マスクをして搭乗手続きをする台湾のフライトアテンダント(ロイター/アフロ)

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