【書評】戦国武将と宗教との関わりを論じたユニークな宗教史:本郷和人著『宗教の日本史』
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「富士山信仰」にも武士階級の影響が
神話の時代から仏教の伝来というように、本郷氏は日本の宗教史をオーソドックスに説き起こしていくが、本書における著者の真骨頂は、まさに戦国武将と宗教との関わりについて論じているところにあるだろう。
平安から鎌倉時代にかけて、現代の県知事に当たる「国司」は「大狩」と呼ばれる一大イベントを主催した。国司が狩猟で得た動物は「神々からの贈り物」とみなされ、この大狩への出席が許されることが「一人前の武士」として認められる証であった。鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』によれば、源頼朝は富士の裾野で大巻狩を行い、息子の頼家が見事に鹿を射止めたことで後継者として認知されるようになったという。
日本人の「富士山信仰」にも武士階級の影響を見る。鎌倉幕府の主要な担い手は、駿河、伊豆、相模、武蔵の出身者が占めた。いずれも富士山が見える地域である。著者は「富士山に近いエリア出身であること自体が、幕府内では一つの影響力を成立させていたのではないか」と推論する。江戸幕府を開いた徳川家康は、最晩年、静岡の駿府に移り住むが、その地は富士山に近く、江戸の町には「富士見坂」という地名が多かった。
特権階級と結びついた日本の宗教
奈良時代、朝廷は「仏教を通じて国を守る『鎮護国家』という思想」から、華厳宗(東大寺など)と法相宗(薬師寺)に代表される南都六宗を重用するが、平安京に遷都後は、最澄を開祖とする天台宗と空海の真言宗が貴族社会に根付き、平安から室町時代にかけて権威を持つようになる。著者の背景説明は納得できる。
しかし、特権階級と結びついた宗教に「民衆の救済」という理念はなかった。救済をうたうキリスト教と比べ、同時代の宗教であっても「その目的や役割に大きな隔たりがあるのは歴史的に興味深いポイント」と著者は指摘する。
鎌倉時代、日本でもようやく「民衆の救済」に目を向けた法然を開祖とする浄土宗や親鸞の浄土真宗、日蓮宗が民衆の支持を集めて勢力を伸ばしていくが、武家に人気があったのは禅宗であったという。何故なのか。著者によるその謎解きは興味深い。
行きつくところ、民衆に支持される宗教と武士階級とは相性が悪かったようである。織田信長は、浄土真宗を源流とする一向宗を目の敵にし、勢力の強かった伊勢長島や越前で門徒を虐殺した。「戦国武将の戦いの根底には現世での成功や豊かさ」があり、「一向宗はそれを全否定する来世の教え」を目指している。「その教えは、戦国大名にとっては厄介なもの」だったのである。
「デウス」に充てた単語が「大日如来」
武士と異教徒との関りを論じた章も出色である。豊臣秀吉の治世、今度はキリスト教が脅威となっていく。1949年、フランシスコ・ザビエルが来日、急速に信者を獲得していくが、著者によればその理由は翻訳の問題であったという。「デウス」に充てた単語が「大日如来」。日本人はあっさり受け入れた。
当初、秀吉は融和的だったが、次第に警戒心を深めていく。戦国大名のなかにも熱心な信者が出現し、日本の富が海外へ流出していく。貧しい日本人が奴隷として売られていく状況もあり、秀吉は伴天連(バテレン)追放令を出すに至ったという。
1600年、家康は関ケ原の戦いで勝利してから、大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼすまで、実に15年の歳月を要した。それはどうしてなのか。背景にキリスト教徒の存在を指摘する著者の視点は独特であり、その後のキリスト教への弾圧が過酷なものになっていくのもうなずける。
そこから著者の解説は明治維新へと進み、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)はなぜ起こったか。神道は本当に宗教なのかという考察を展開する。伊勢神宮のお伊勢参りを支えていたのは遊郭だったという指摘も面白い。そうした市井の生活史にも視野を広げるところがこの歴史学者の強みである。
さて、年末年始、神社仏閣にお参りする機会もあるだろう。日本人にとっての宗教とは何か。本書を手に取って考えてみるのもまた一興であろう。