【書評】思考と行動をつなぐ:柴崎友香著『あらゆることは今起こる』
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ここ数年、「発達障害」という言葉はずいぶん知られるようになった。
2004年に定められた発達障害者支援法で、発達障害は「自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害であって、その症状が通常低年齢において発現するものとして政令で定めるものをいう」と定義されている。
大きくはこだわりが強くコミュニケーションに困難を持ちがちといわれるASD(自閉スペクトラム症)、じっとしていられない、集中しづらいなどのADHD(注意欠陥・多動性障害)、読み書きに困難を抱えるLD(学習障害)の3つに分けられているが、どれか一つというより複数の特徴が表れることも多い。
2016年には日本全国で48.1万人が発達障害だと医師によって診断を受けていて(厚生労働者による調査)、年々その数は増えている。多くの場合、両親や本人が日常生活を送る中で困難を感じたことが受診・診断のきっかけだ。
といろいろデータを紹介したが、「ちょっとこだわりが強い」とか「集団行動が苦手」「コミュニケーションが不得意」などという行動の特性として表出するため、「××が苦手な人」と言われるだけで、本人だけではなく周囲も発達障害の可能性に気が付かないまま大人になり、生きづらさにつながることが多いとも指摘されている。
本書の著書で芥川賞作家でもある柴崎友香さんが、自身が発達障害ではないかと思ったきっかけは『片づけられない女たち』という本を読んだことだった(少し長くなるが引用する)。
長らく「片づけられない女」として家では怒られ続け、小学校では常に忘れ物回数のトップランナーで机からカビの塊と化したパンがしょっちゅう出てくるし、事務職で勤めた会社でも書類を何十分も探し回っていた。「女たち」というタイトルによって自分だけではないのだと思ったし、「不注意」の特性を持つ人たちがいることを知ることができた。そこに書かれていたのは、まさに自分の日常生活で、明らかに「私のこと!」だった。
思考と行動を言葉でつなぐ
柴崎さんの場合、何に困っていたか。それは「一日にできることがとても少ない」ことだった。
その時点で、「多動」、いわばマルチタスクが特性とされる発達障害のイメージとやや異なり、「えっ?」となる。だからこそ、言葉のプロである著者が自らの発達障害について本を書く意味があると思う。
メディアなどではステレオタオイプ化されて扱われやすく(映画『レインマン』のような天才型とか)、「〇個当てはまると発達障害の可能性が高い」などという診断表も多く出回る発達障害だが、当事者の目に世界はどう映り、何に困っていて、どんなふうに考えているのか。柴崎さん自身の視点や感覚に加え、医師やカウンセラーとのやりとり、周囲からの関わりなども含めて丁寧に描かれる。
例えば柴崎さんが感じている「一日にできることがとても少ない」のはなぜか。
「多動」は頭の中で起きているのだった。(中略)とりあえず、常に複数の考えがランダムに流れ続けているし、なにか外からの刺激があるとさらに次々思い浮かぶ。それは必ずしも言葉や文章になっているわけではなく、身体感覚そのものだったりもする(あのときのあの暑さ、とか)。
その結果として、
「身体は一歩も動けないまま時間が経って、そして洋服の山も片づかない」
頭の中で起きていることを言語化してもらうことで、読み手には自分とは遠く離れたところで起きている誰かの障害の話ではなく、自分と同じ世界にいる他の人の物語としての納得感が生まれてくる。
例えば、旭川駅から美瑛(びえい)駅に向かう時。余裕があるからと旭川駅でのんびりした後、電光掲示板で確かめたはずが(おそらくきちんと確認できていなくて)なぜか同じ時刻に出発する別の電車に乗ってしまい、反対方向に行ってしまうとか。
出かける準備をしていると、雨が降ったらとか、エアコン効きすぎて寒かったらなどいろいろ気になってあれこれ詰め込み、肝心のおみやげを入れ忘れてしまうとか。
点で切り取ると「遅刻が多い」とか「忘れ物が多い」とか、発達障害の特性とされることが多い事象が、柴崎さんの思考と言葉でつながれると、「ああ、そう考えるからこういう結果につながるのか」とか、「あっ、そこでミスってるわけか」と、ぐっと距離が縮まってくる。
「あんた、ずっと大変そうやったもんな」
柴崎さんは、発達障害の診断を受けたことを家族に伝えたとき、弟にこう言われたそうだ。
「そうなんや。あんた、ずっと大変そうやったもんな」
“大変”。
それは、周りと同じように行動できないから。社会の規範を守れない時があるから。「こうしなければいけない」の型に合わずに四苦八苦する姉の様子を、弟はそう見ていた。
柴崎さん自身、発達障害が「できない」ことばかりを、その要素に挙げられていると指摘する。そしていつしか自らも、自分が困っていることを「できないこと」と考えてしまい、恥じて隠そうとしてきた、とも。
発達障害という言葉が広がるのと同じタイミングで、多様性(ダイバーシティ)とかインクルージョンという言葉も広がってきた。これらは、実は関係があるのではないか。
人の行動の特徴を、目に見える「点」で捉えて周囲と比較するから、「できる」と「できない」という分類になる──たとえば時間に間に合うと間に合わない、部屋がきれいと汚いなど──とすると、点ではなく、思考と行動を結んだ線を捉えていくことでこの二分法も変わっていくんじゃないか。本書を読み、そう感じた。
そして、「できる・できない」の二分法から自由になった先に、ダイバーシティ&インクルージョンが待っているような気がする。