【書評】重い障害の将軍徳川家重と忠臣、その真実を隠密が見ていた:村木嵐著『まいまいつぶろ 御庭番耳目抄』

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8代将軍吉宗の跡を継いだ嫡男(ちゃくなん)で、手足と言語に重度障害を抱えた徳川家重と、その言葉が聞き取れた忠臣。この主従を描いた1年前の時代小説『まいまいつぶろ』は感動を呼び、直木賞候補にもなった。前作で語りきれなかった二人と、周辺の秘話を、本作は吉宗に仕えた隠密が明かしていく「完結編」である。

江戸幕府の中興の祖となった吉宗だが、改革が仕上がるかは次の将軍にかかっていた。もし後継者がしくじれば、吉宗の目指したものは水の泡となる。それぐらい9代将軍は難しく、大事だった。

前作を振り返ると、家重(幼名・長福丸)は歩いた後に尿を引きずった跡が残るため、「まいまいつぶろ」(カタツムリ)とさげすまれた。何を言っているのか不明で、元服が近い長福丸の廃嫡が噂されていた。そんな時、長福丸の言葉を聞き取る少年が現れる。江戸町奉行の大岡越前守忠相(ただすけ)の遠縁にあたる大岡忠光だ。長福丸の言った言葉を、後ろに控えた忠光が反復して周囲に伝え、長福丸が聡明な若者だと理解されていく。

今回の作品は、吉宗が将軍になって2年、生母の浄円院が和歌山から江戸城にやってくるところから始まる。お供の中に吉宗が特別に手配したのが、主人公で御庭番の青名半四郎(別名・万里)だ。御庭番とは、将軍の命を受け秘密裡に諜報活動をした隠密(忍びの者)である。

8歳になる長福丸は浄円院の予想より重い障害を持っていた。母を早く亡くした長福丸を祖母の浄円院はとてもかわいがったが、語り合える相手もおらず、不憫(ふびん)だと長福丸の廃嫡を吉宗に訴えた。そして浄円院は吉宗をしかりつけた。

「そなたが将軍などになったゆえ、長福丸は悩みが増したのじゃ。そなた、後先も考えずに将軍に就いたのであろう」

それから7年ほどして、長福丸が2歳上の小姓を連れて祖母の所にやってきた。長福丸の言葉がわかる忠光だ。初めは疑ったが、「この小姓はたしかに長福丸の言葉を伝えている」と浄円院にはわかった。長福丸が将軍となることに反対し続けた浄円院だが、病の床に就くようになって、枕元に来た御庭番の半四郎にこう告げた。

「吉宗が将軍となる時、そなたにはさぞ苦労をかけたことであろう」「それゆえ次は、家重殿を頼みますぞ」。眠るように旅立つ5日前のことだった。

家重の言葉がわかる忠光を遠ざけよ、と主張する老中

忠光の出現で言葉を伝えられるようになった家重は、自分で人を差配できる将軍後継に変わった。将軍在位30年の吉宗は幕閣たちを集め、「次の将軍は家重だ」と宣言した。だが、吉宗の下で15年にわたり老中首座を務めた松平乗邑(のりさと)が反対した。

「家重の何が不足じゃ」と吉宗が言うと、乗邑は「それがしは忠光を信じておりませぬ。家重様が将軍となられますならば、忠光を遠ざけてくださいませ」と応えた。乗邑は、忠光が老中と将軍の間に立ち、将軍の命を老中に伝達する側用人(そばようにん)のような権力を持つのを恐れていたからだ。

吉宗から促されて家重は語り出す。「忠光を遠ざける、くらいなら、私は将軍を…」。ここまで伝えた忠光は突っ伏した。

乗邑は老中罷免となり、蟄居(ちっきょ)させられた。権勢を失った乗邑のもとにあの隠密が現れ、「大御所様(吉宗)が内々にお召しでございます」と江戸城に案内した。享保の改革を共に進め、今は第一線を退いた二人が語り合う。

乗邑は以前に浄円院から、家重を廃嫡せよと命じられていたことを明かした。吉宗は苦笑しながら、「母者(ははじゃ)は途中から考えを改めたようであったぞ」と告げた。そして、かつて家重を「汚いまいまいつぶろ」と言った乗邑に、吉宗は「まいまいがはった跡は尿のしずくではなく、汗や涙だと思わないか」と諭した。

「大岡家は紙一枚受け取れぬ」

忠光の家庭のことも明かされていく。実に潔癖な男だった。家重が将軍になって5年のことだが、大岡忠相が忠光の妻、志乃と息子を招き、語り始めた。

「忠光はただ一人、上様(家重)の御言葉を解す身だ。忠光の一存で政(まつりごと)はいかようにも歪むことになる。それゆえ皆がこの二十余年、来る日も来る日も忠光を疑うてな」

「上様ほど危うい道を歩まれた御方もない。そのご苦難をともに乗り越えたのが忠光であった」

志乃はその帰り道に知人と会い、その孫娘から手作りのお姫様の紙人形をもらった。明くる日に帰宅した忠光は、「大岡では紙一枚受け取れぬと申して、返してまいれ」と志乃に命じた。後日、忠光の母は志乃にこう話す。

「忠光は生涯、家重様の御身代わりを務めなければなりませぬ。そのためには、どこからも誰からも、どのような疑いの目を向けられてもならぬのです。忠光が法度に触れて御側を遠ざけられたら、家重様はどれほどお困りになられましょう」

問題があれば父をいさめよ、と遺言した吉宗

吉宗は家重の嫡子を5歳で元服させ、家治(いえはる=10代将軍)と名乗らせた。幼い頃から父よりも祖父といる時間が長かった家治は、非の打ち所がない子に育った。

将軍を退いて6年の吉宗は68歳、家治は15歳になった。吉宗は家治に、父(家重)と忠光の関係を見つめ続け、もし問題があれば父をいさめよと遺言する。そして、別れ際に家治に言った。

「そなたが家重を将軍に押し上げたのじゃ。そのことだけでも、わしにとってもそなたほどの孝行者はいなかったぞ、家治」

来年のNHK大河ドラマは、将軍家治の時代の話だ。家治が『まいまいつぶろ』の2冊に描かれた吉宗、家重の大きな期待を背負った将軍であることを知っておくのも参考になるだろう。

『まいまいつぶろ御庭番耳目抄』

『まいまいつぶろ 御庭番耳目抄』

幻冬舎
発行日:2024年5月20日
四六判264ページ
価格:1760円(税込み)
ISBN:978-4-344-04277-3

書評 本・書籍 大河ドラマ 徳川吉宗