【書評】第3次政権、「愛子天皇」も語る:岩田明子著『安倍晋三実録』
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総理返り咲きの夢
2022年7月7日夜、著者の携帯電話が鳴った。安倍(以下敬称略)からだった。安倍はその2年前に総理大臣を辞任しているが、2人はコロナ禍でここ数年、電話でのやり取りが日課となっていた。
旧統一教会のことで質問すると、安倍は「私自身は、さほど関与していないから…」と答えた。当時は参院選中で、選挙情勢などの話を終えると、安倍は「もうこんな時間だ。明日も遊説がある。また明日」と言って電話を切った。これが最後の電話となる。翌日、暗殺事件は起きた。
安倍には「見果てぬ夢」があった。もう一度、総理大臣の座に返り咲くことである。(中略)「第三次安倍政権」の発足があるとしたら、2024年を念頭に置いていた。国内外で同時多発的に波乱が起きると踏んで、着々と準備を進めていたのだ。
台湾有事は24年から25年に起きる可能性がある、と安倍は認識していた。バイデン米大統領と台湾の蔡英文総統の任期が切れて交代すると考えていたからだ。世界中の首脳と交渉するため、また首相となって日本の陣頭指揮を執る覚悟だった。
「3度目の総理」に向け安倍が最重視したのが、21年9月の自民党総裁選。女性が総裁選で本命候補として絡んだことはないから、高市早苗氏を推すことでどれだけ票を集め政治力を示せるか、それが首相返り咲きの試金石と安倍は思っていた。
「高市総理に、上川陽子官房長官(現外相)。女性が2人並ぶのも国際的で新鮮」と政権構想まで話していた。総裁選は岸田首相が勝ったが、高市氏の高得票に党内には衝撃が走った。
「女帝を認め得る形に」
皇室に関する章には、安倍の「従来のイメージを覆すような」発言が書き留められている。安倍は長年にわたり、「男系男子」の皇位継承に強いこだわりを持つと見られてきた。
しかし、20年にわたり安倍を取材してきた中で、その時々の安倍の言葉から見えてくる皇室像は、「男系男子」以外を完全に否定するものではなかったと感じている。
「安倍内閣の体力があるうちに、有識者会議を立ち上げる。そして将来、愛子天皇誕生への道筋に向けても責任ある論議を進めなければならない」
ここ数年、安倍が何度かそう口にするのを私は聞いている。
愛子さまの記者会見を見て、安倍は「素晴らしいご成長ぶり」と喜んだ。だが、「女系も認めてしまえば、あらゆる人が天皇家に関わることになる」と女系天皇(母方に天皇の血筋を持つ天皇)には反対した。
少し矛盾しているが、「あくまでも秋篠宮さまや長男の悠仁さまへの皇位継承を前提とする」とも考え、また「愛子さまがいらっしゃるうちは、女帝(女性天皇)を認め得る形にすればいい。それで皇統は50年、60年は保たれるだろう。その間に男系(旧皇族の子孫)の家を新たに立てて、皇位を継承する流れを作ればいいのではないか」とも語り、男系継承を維持する姿勢は変わらなかった。
幻の「維新」との合流
自民党が野党だった2011年から翌年にかけて、安倍は大阪維新の会の橋下徹代表(大阪府知事、大阪市長)と接触を重ねた。維新の勢いはすさまじく、次の衆院選で国政進出の新党立ち上げを画策していた。
「今すぐ自民党を出て、私たちと一緒にやってほしい。300ある選挙区の公認もすべて自由にやってください」と維新側は三顧の礼で安倍を迎えようとした。
「ありがたい話でよく考えた。だが、私が病に倒れ、政権を投げ出したことで自民党を壊してしまったようなもの。野党になった自民党を捨てて、自分だけがいい思いをすることは、とてもできない。先祖にも申し開きができない」。安倍の決断次第でその後の政治史が変わる可能性もあった。
対中政策で岸田首相への忠言
中国の習近平国家主席を国賓として招く計画が進むなど、安倍政権下で日中関係が良好な時もあったが、尖閣諸島周辺で中国船の領海侵犯が頻発した。19年のG20大阪サミットの際の首脳会談で安倍は「尖閣周辺で中国の活動が活発化していることには驚きを禁じ得ません」と強く抗議した。習氏は「日本と中国が『永遠の隣人』であるゆえに起こる問題です」と応じたという。
中国の脅威は、安倍が退陣後も頭から離れない懸案事項だった。安倍は対中政策で岸田首相に注文を付けていた。
「岸田さんは『欧米は中国としたたかにやっているから、日本も取り残されないようにしないと』などと心許ないことを言っていた。だから、私(安倍)は岸田さんに『交渉の場での中国の意志は強いが、重要なビジネスの相手でもあるので、きちんと腰を据えて、譲歩せずに、中国側から寄ってくるような交渉をしなければいけない』と忠言したんだ」
「殺されるかもしれない」
「一強」の長期政権で、森友学園などのスキャンダルも発覚し、安倍の驕り(おごり)が目立つようになった。著者は17年、月刊誌に『安倍総理「驕りの証明」』と題して寄稿する。長年かけて築いた安倍との関係を崩しかねない記事だった。ところが安倍は、厳しく指摘している箇所にマーカーを引き、記事のコピーをポケットに入れて持ち歩いていた。
安倍の死後、妻の昭恵さんから初めて聞いた話がある。02年、小泉純一郎首相の「電撃訪朝」の朝、官房副長官として同行する安倍は妻にこう告げた。
「北朝鮮で殺されるかもしれない。政治家の妻として、覚悟しておいてほしい」。夫が凶弾に倒れた際、昭恵さんの脳裏に真っ先に浮かんだのがこの言葉だった。
本書の中で、「もし今、安倍が生きていたら」の言葉が何回か使われている。今日の政界を見ていると、そう思う人も少なくないだろう。賛否両論はあるが、不世出の政治家とも言われる安倍の実像に迫るのに、本書は欠かせない。