
【書評】震えあがる未来を前に:NHKスペシャル取材班『中流危機』
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まず、帯に目を奪われる。
「25年で世帯所得は急減 505万円(1994年)→374万円(2019年)」
「“中流”なんて高嶺の花!」
「結婚できない」
「正社員になれない」
「年に1度以上旅行に行けない」
なんとも恐ろしい。
だが、これが今の日本の現実なのだと、日本だけでなく海外での取材を通して本書は明らかにしていく。
自分も中流になると思っていたけれど
冒頭に登場するのは、これまで日本の「中間層」の主流とされてきた正社員の男性。派遣社員で働く妻と暮らし、2人の娘は大学を出て独立している。
働いていれば着実に給与が上がり、家族が増え、自宅を購入して……という、いわば人生すごろくを順調に進んでいたはずが、気が付くと給与は増えるどころか減りはじめ、55歳を迎えたいま、男性の年収は500万円で貯蓄は100万円、そして900万円の住宅ローンが残る。
妻は、平日は派遣社員、土日にはパートとして引っ越し業者で働き、男性自身も60歳で定年を終えたあとは、何らかの働き口を探さなければならないだろうと語る。
「『旅行して、貯金もたくさんあって、早くローンが終わっていて』という中流のイメージと、現実の自分たちの暮らしとの差は大きい」という言葉の裏には、なぜこうなってしまったのか、と戸惑う気持ちが見え隠れしているように感じた。
そう、日本ではこれまで、いい大学を出て、いい会社の正社員になれば、役員までステップアップを目指さなくても、安定した暮らしが手に入るはずだった。
団塊の世代のサラリーマンを親に持つ私も、誰に教わったわけでもなく、将来は正社員になれば将来の暮らしは安定すると考えていたし、結婚、子育て、マイホームという3点セットに彩られた明るい未来が、その先には待っているのだと刷り込まれていた。
だが若い世代の目に映る現実は、すでに異なっている。
「普通に結婚して、マイホームを持っていて、車も持っていて、子どももいて。中流、まあ自分もそういう風になっていくんだろうなと(昔は)思っていたんですけど」(正社員・29歳男性)
「家を持つのは、大変なんだなって勉強しました。ほんとに親たちがすごいなって思うもんね、今になって」(正社員とパートタイマーの夫婦・20代)
働いても、夢を見ることができない国。
日本は今後どうなってしまうのだろうか。
働く人の人生そのものをデザインする
日本経済の危機的状況は、よく「失われた30年」などと揶揄(やゆ)されてきたが、取材班はあとがきにこう記している。
日本はなぜ長期停滞してしまったのか。取材を続けるなかでわかってきたのは、日本の雇用システムが世界のスダンダードとはかなり異なる、ということだった。
新卒一括採用、年功賃金、終身雇用、OJTなどの日本型雇用システムは、汎用的な能力を持つ中流層を大量に生み出し、世界と戦っていくために必要な、いわば黄金システムだった。
ところが不況を機にそのシステムが崩壊すると、企業は社員の雇用を支えきれなくなり、労働法改正の後押しもあって大量の非正規雇用者が誕生した。いまやその割合は、すべての労働者の約4割に達している。
結果として労働者の平均賃金は下がり、雇用は不安定に。優秀な人材は海外へと流出し、日本の競争力が失われていったのは当然の帰結といえる。
本書の前半は、胸にもくもく不安がたちのぼるが、後半では希望の光を目にする。
同一労働・同一賃金をキーに、失業率の大幅改善、そして生産性向上にも大成功したオランダの例(夫婦ともにパートタイムで余裕をもって育児と仕事を両立しながら、夫だけがフルタイムで働いているときの1.4倍の世帯年収を確保!)、自治体が主導するリスキリングで母子家庭の貧困化を改善した沖縄県糸満市の例(ITスキルを獲得して時給は大幅にアップ、在宅勤務で子どもともゆっくりすごせるように!)などの例を知ると、現実は変えることができると信じられるのだ。
そのカギは、雇用主と労働者との関係をいかに構築するか、ではないか。
社会を構成する根幹の要素のひとつである「労働」を、機能と捉えるのではなく、働く人の人生と結びつけ、その人の暮らしまでも想像すること。
それは結果として、労働の質や生産性にも関係してくると信じきること。
「従業員のウェルビーイングが確保されていると、彼らは自分の仕事に専念できます」(従業員の7割がパートタイムで働く、オランダの経営者)
「子どもはお母さんの“ゆとり”で変わるので、本当に一緒にいてあげられる時間ができたこと、時間的にも精神的にも話をいっぱいできるゆとりが生まれたことが、一番大きい」(リスキリング研修を受けて転職した糸満市のシングルマザー)
もはやそこに、正社員かどうかという区別は何の意味もなさない。
企業に、自治体に、国に、働く人たちの暮らし、心までを想像し、デザインする力が持てるどうかが大きな分かれ目になるのではないかと思えてならない。
そして自分には、何ができるのか。
そう考えたくなる一冊だ。