【書評】地位にふさわしい素質と見識を身につける修養:小田部雄次著『天皇家の帝王学』

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帝王学とは本来、天皇や国王になる方がその地位にふさわしい素質や見識などを身につける修養のことである。天皇家が連綿と続く傍らには常に帝王学と、それを養成する教育システムがあった。だが、「皇太子不在」の今日の皇室には未知数のことが多く、帝王学を体系的に学ぶ場も失われている。

明治天皇の交遊に見られる帝王学の実践

古くから皇室の帝王学の書として知られるのは、中国の唐の第2代皇帝で、善政を行ったとされる太宗(たいそう=即位626年)の言動がまとめられたものだ。このうち『帝範』は太宗が自ら編集し、後に皇帝となる太子に帝王となる者の心得を示した教科書である。日本では平安時代、56代清和天皇(在位858‐876年)が皇太子時代に同書の進講を受けたという。

また、太宗と廷臣との問答をまとめた『貞観(じょうがん)政要』は宮中での必読書とされ、平安中期から進講に使われた。現在でも企業経営者などに、上に立つ者の心構えの書と言われる。

幕末最後の孝明天皇にとって、成長した唯一の男子だった祐宮(さちのみや=明治天皇)は4歳の誕生日の後、天皇の命で母方の実家から宮中に移り、天皇のもとで育った。天皇は自分が関わる行事を幼い祐宮に見せて宮中儀式になれさせ、教育に気配りした。学びの中心は、従来の『論語』や『孟子』などの素読だった。

明治維新の前後で、明治天皇のイメージは公家社会に育ったひ弱な少年から、政治や軍事を統率する元首かつ大元帥に変化していく。京都から東京に移り、15歳で新たな日課が定められた。「三と八の日」の午後は乗馬訓練となり、ほかの日も午前と午後に分け習字、史記講義、神皇正統記輪読などの日程が決まっていた。

前述の『貞観政要』や『帝範』も学んでおり、天皇自身が側近に両書の講義をしたという記録もある。乗馬と酒を好み、江戸城内跡の山里などで岩倉具視、三条実美ら近習と乗馬に励み、その後で酒宴を開いていた。

また、交流のあった政治家は身分の高くない西郷隆盛や大久保利通らで、高級の公家ではない岩倉、三条らと同様に、低い身分の人々を軽んじなかったところに、新時代の君主になる明治天皇の帝王学があった。侍講(じこう=学問を教授する職)は、象牙の塔の研究者というよりも、社会を積極的に変えようとするタイプの知識人が多い。明治天皇の人的交遊こそが新しい時代の帝王学の実践だったのである。

生まれながらに病弱だった大正天皇には、幼い時からの教育指導として、知識よりも帝王学につながる道徳が重視された。学習院に初めて入学した皇太子となったが、中等学科を中退。赤坂離宮内の御学問所で学力に応じた個人授業を受け、後に漢詩や和歌を数多く遺した。

戦争体験が「象徴学」の核に

昭和天皇は学習院幼稚園に入り初等学科1年級から学んだ。学習院長は明治天皇の指名を受けた日露戦争の英雄、乃木希典で、質実剛健、質素倹約を皇孫に教えた。5年級の時に明治天皇が亡くなり、乃木院長も跡を追って自刃するが、皇太子となった昭和天皇は弟宮たちと離れて新しい生活に入る。

6年級の頃には将来の大元帥になるための活動も増え、軍学校、練兵場などに足を運んだ。『世界名君伝』『世界名臣伝』など帝王学に結び付く書を熱心に読むようになったのも、この頃だった。

学習院の中等学科へは進まず、新たに設置された学問所で学んだ。総裁は日露戦争のもう一人の英雄、元帥海軍大将の東郷平八郎。帝王学である倫理は私立日本中学校長の杉浦重剛が担当し、「三種の神器」、徳目、箴言(しんげん=戒めとなる言葉)などに関する講義を昭和天皇に7年間、381回行った。

平成の天皇は皇太子時代に疎開や、東京の焼け野原を見たなどの体験をした近代では初めての天皇である。

この経験がのちの平和志向や象徴天皇としての「帝王学」(いわば「象徴学」)の核となったのではないか。

この「象徴学」は、従来の「帝王学」と相反するものではなく、むしろ従来の「帝王学」をベースにした人格形成の上に成りたち、日本国憲法における「象徴」としてのふるまいのあるべき姿を目指す理念といえよう。

皇嗣家の迷走と令和の皇室の模索

令和の天皇は、祖父の昭和天皇と、父である皇太子に直接触れて帝王学を学んでこられた。天皇の歴史は学校の授業では不十分なので、専門家から独自に学んだ。本書の最終章「令和の天皇の模索と皇嗣家の迷走」は、歴史学者で、皇室に関する著書も多い著者ならではの冷徹な記述が続く。

帝王学にせよ象徴学にせよ、唯一の天皇なるための学びであり、同様の学びを弟宮たちにさせることはない。弟宮たちの帝王学は「帝王に仕える臣下」としての態度やふるまいを学ぶものであり、東宮と同じ立場で学ぶことは許されなかった。

天皇としての自覚を促されてきた令和の天皇と、弟宮としての一生を予定されていた秋篠宮とでは象徴学への取り組み方の熱意が異なっていった。

悠仁親王の誕生で、皇位継承者としての教育を十分には受けてこなかった秋篠宮が突如、皇嗣となった。(中略)フレンドリーな性格の秋篠宮は(一方で)歴代天皇家の伝統と慣行をどこまで背負っていけるかという家長としての信念と責任感に欠けるきらいもある。

将来の天皇に予定される悠仁親王の養育にあたり、かつてのような御学問所も、教育参与も設けられず、ひたすら紀子妃(母)の奮闘にかかっているのが現状である。

令和の次の時代を考えると未知数の点が多く、現在の皇室にとって暗中模索の険しい道のりが続くと予想される。本書を読み終え、ますますその危機感が増してきた。

『天皇家の帝王学』

小田部雄次(著)
発行:星海社
発行日:2023年6月19日
新書判231ページ
価格:1375円(税込み)
ISBN:978-4-06-532215-4

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