
【書評】コロナがくれたグレートリセット:佐宗邦威著『じぶん時間を生きる』
Books 暮らし 家族・家庭 教育 仕事・労働- English
- 日本語
- 简体字
- 繁體字
- Français
- Español
- العربية
- Русский
「生産性」とは一体何か。
コロナウイルスが世界を席巻する前からその言葉は市民権を獲得し、生産性が高いことは正しい状態であり、豊かさにつながるとされてきたように思う。
いくつものプロジェクトを掛け持ちし、時間をうまくやりくりして多くの仕事をこなし、ひとりで人の2倍、3倍の結果を出す。グーグルカレンダーに隙間があればミーテイングを入れ、オフィスへ向かう電車の中からスマホでメールの返信を始める。脳はいつでも覚醒状態で、いわばハイになった感覚を切り替えることもないまま1日を過ごす。
本書の著者は、売れっ子の戦略デザインコンサルタント。クックパッドやNTTドコモ、日本サッカー協会などのクライアントに、企業や組織のイノベーション支援を行ってきた。
そんな著者が「時間は効率的に使うべき」と信じて生産性を上げてきた結果気がついたのは、生産性を上げようとすればするほど、仕事が増え続けるという“矛盾”だった。
本来、生産性が上がればより短時間で成果が出て、余白時間が増えるはずなのに。
僕が生きているメカニズムのどこかに時間泥棒がいるんじゃないか。
時間泥棒はどこに?
私も著者と同じように、生産性が上がるのはいいことだと信じ、短時間により多くの仕事をこなそうとしていた。
恐ろしいのは、いったんこのループに入ってしまうと、自ら抜け出すのはなかなか難しいということだ。片時もスマホを手放すこともなく、次々と届くslackやMessengerの通知に追われ、返信を送り続けることが快感になってくる。
この状態を、著者は「資本主義によるラットレース」と呼ぶ。物質的な豊かさを追求し、常に自分と周囲とを比較して「持つもの/持たざるもの」とを区別する生活は、いつしか、生産性を高めてより多くの仕事をこなすことを目指す、つまり時間泥棒に追われる状態へとたどりつく。
このラットレースを強制的にリセットしたのが、2020年に発出されたコロナウイルス対策の緊急事態宣言だった。ほとんどの時間を家族と過ごし、他者との比較からひき剥がされたことで、「あれ、何のためにがむしゃらに働いていたんだろう?」と気づいた人も多かったはずだ。
働き方のリセット、教育のリセット、人付き合いに関するリセットや娯楽のリセット、そして住まいのリセット。コロナは私たちの生活に、多くのリセットをもたらしたと著者は指摘する。
そして他者が規定した豊かさや幸せを目指すのではなく、自分自身の価値観を大切にする生活を「じぶん時間を生きる」と表現し、著者自身が子どもを連れて家族で軽井沢へ移住する。
本書はコロナによる変化を分析するとともに、著者自身の変化を言語化した一冊でもある。
じぶん時間へのトランジション
マスク姿の人がぐっと減ったいま、コロナがもたらしたものは何だったのかと振り返ってみると、この「じぶん時間」という言葉がすっと心に入ってくる。
私自身、働き方のリセットをきっかけに、教育と住まいもリセット。著者と同じように、東京を離れて軽井沢へ移住することを決めた。緊急事態宣言中に仮住まいをした長野県での生活に、子どもたちがあっという間になじみ、伸び伸びする姿を目の当たりにしたことが決断の理由になった。
とはいえ、移住後はじぶん時間を生きているかと考えると、そうシンプルでもない。せっかく住まいを移したのに、1日中モニターとにらめっこしているような日もあるし、子どもたちにとってもこれがよい選択だったのかと悩むときもある。
この状態はどうやら「トランジション(移行期)」のようだ。
本書によれば、トランジションは3つのプロセスで構成される。「終わらせる時期」と「ニュートラルゾーン(自分の感性を刺激する行動をあえて行う時期)」、そして「新たな始まり」だ。
まずこれまでの何かを終わらせる。転職や移住はもちろん、もっと小さいことでもいい。そのあとのニュートラルゾーンで行動の変化が伴い、これまでとは異なる何かが始まる。最初から意図していないことが、偶然の出会いやひらめきで始まることもある。
本書に紹介されているさまざまな例を読むと、ニュートラルゾーンの大切さがよくわかる。時間に追われる生活に慣れた身には不安を伴う時期でもあるが、自分が何に感情を揺さぶられ、どんな人と関係を創っていきたいのか。そんなことを見つめ直す機会が自分のビジョンを形づくり、「新しい始まり」へとつながっていく。
じぶん時間を生き続けるには
ここ数カ月、東京で仕事がある日、軽井沢駅から乗り込む新幹線は明らかに混んできた。周囲でも、完全なテレワークは終わり、一定の頻度で出社が義務付けられているという人が多い。
この先はきっと、コロナでのリセットを機に手に入れた「じぶん時間」と、コロナ前のような「資本主義のラットレース」との間で、どうバランスをとっていくのか、ひとりひとりがもう一度考える時期になるのではないか。
あれだけ多くの人が「もうテレワークのない時代には戻らないだろう」と言っていたにもかかわらず、世の中は急速に元に戻ろうとしているように見える。そして意識をしないと、それが「正しいこと」なのだと感じ、再び、他人の価値観にあわせた生活を始めてしまうのではないかとすら思う。
コロナによる変化とは何だったのか?
自分は何を感じ、何をしたいのか?
そのために必要な決断とは何なのか?
本書をヒントに、コロナによる自分の変化を客観的に眺めてみると、そんな問いに自然と答えが浮かんでくるようだ。