【書評】世界的音楽家が回顧録に遺した最期の言葉:坂本龍一著『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』

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世界的な音楽家である坂本龍一氏(享年71、以降敬称略)が亡くなったのは今年3月28日のことだが、このほど、亡くなる直前まで文芸誌に連載していたインタビューをまとめた書籍が刊行された。坂本が壮絶な闘病生活を語るとともに、近年の活動を振り返る。それが自身最期の言葉となった。

2年で大小あわせて6度の手術を受ける

初出は、文芸誌『新潮』の2022年7月号から翌年2月号まで、8回にわたって連載されたものである。坂本は14年に中咽頭がんを患ったものの放射線治療によって晴れて寛解(かんかい)したのだが、20年6月にニューヨークの病院で再び直腸がんが見つかった。今回は放射線治療と抗がん剤の服用で治療を進めたが効果がなく、12月に来日した際の検査で肝臓やリンパに転移していることが明らかになり、「何もしなければ余命は半年」と宣告される。

もともとは短い帰国のつもりが、さらには肺への転移も見つかって、日本での闘病生活を余儀なくされた。21年1月、大腸を30センチ切除するなど20時間にもおよぶ大手術を皮切りに、それからの2年で肺の腫瘍の摘出など大小あわせて6度の手術を受ける。しかしそれでも病巣は残っており、あとは薬で対処するしかなかったのだ。

かつて坂本は、それまでの活動をまとめた自伝『音楽は自由にする』(2009年)を刊行しているが、今回は、「病を得て、残された人生の時間を意識せざるを得なくなった今、過去十数年の活動を改めて振り返ってもいいのではないか」という心境になり、09年以降の足跡を辿ってみることにしたという。そういう意味で本書は遺言というべき、自らの「死」をかなり意識した内容になっている。

前作『音楽は~』の末尾で坂本は、「できるだけ手を加えず、操作したり組み立てたりせずに、ありのままの音をそっと並べて、じっくり眺めてみる。そんなふうにして、ぼくの新しい音楽はできあがりつつあります」と結んでいた。それは08年秋のグリーンランド旅行で圧倒的な自然に触れたことがきったけだったが、以後、彼の楽曲はより前衛的に、実験的なものになっていく。

本書で坂本は、09年以降の音楽活動で自ら手掛けた数々の楽曲の制作背景を説明しており、それを踏まえて近年の彼の音楽を聴いてみると、その意図がよくわかる。と、同時に本書では、チャリティや環境問題など、自身の社会活動についても詳しく述べられており、改めて坂本の行動力にも驚かされるのだ。

芸術は永く、人生は短し

以下、興味深かった言葉をいくつか紹介してみる。

かつて坂本は、「残りの人生で『戦場のメリークリスマス』(1983年)を超える曲を作りたい」と語っていた。同曲のメロディーはわずか30秒でひらめいたという。だから、「仮に1分でも2分でも命が延びれば、それだけ新たな曲が生まれる可能性も増すんじゃないか」と思ったが、しかし、

淡々と、自分の作りたい音楽を作り続ければそれで十分じゃないか(略)「坂本龍一=『戦メリ』」のフレームを打ち破ることを終生の目標にはしたくない。そのゴールに向かって、残された時間を使うのはアホらしい。さまざまな考えの変遷を経て、それが現在の偽らざる心境です。

2011年7月、東日本大震災の被災地を訪問して。

誤解を恐れずに言えば、被災地で目にした光景は究極のインスタレーション、人智を超えた凄まじいアートだと思いました。むろん、その思いは自分の仕事にも跳ね返ってきて、人間ごときが努力して音楽や表現物を作っても、果たして何の意味があるんだろう、という無力感にも襲われた。

12年7月、代々木公園で「脱原発デモ」に参加。このときの「たかが電気」発言が物議を醸す。

ぼくは「たかが電気」発言を含む、このときのスピーチの内容を一切後悔していません。好きなように切り取りたいひとは、勝手にそうすればいい。だけど、この機会に前後の文脈も含めて、文字起こしを載せておきます。果たして坂本は、本当に「電気は必要ない」などと主張したのか。どうぞご判断ください。

20年1月、チャリティーコンサートで沖縄を訪れた際に、辺野古基地の建設現場を視察して。

この美しい自然を壊して基地を造るなんて、どうかしているとしか思えません。

20年春のコロナ渦について。

コロナのグローバルな規模での感染爆発は、人間たちが過度な経済活動を推し進め、自然環境を破壊してまで地球全体を都市化してしまったことが遠因として考えられる(略)自然からのSOSで経済活動に急ブレーキがかけられたこの光景を、しっかり記憶しておかなくてはいけないと思うのです。

こうした社会活動について坂本は、

ぼくはある時期から、自分が社会的な活動をするときに「売名行為」と揶揄されることを、一切気にしなくなりました(略)「仮に自分に有名性があるなら、むしろそれを積極的に利用したほうがいい」と開き直ったのです。たとえ偽善だと批判を受けても、それによって社会が少しでも良くなるなら、いいんじゃないかと。エコロジーへの取り組みにしても、震災後の活動にしても、その信念に支えられています。そして一度繋がりができたら、簡単に降りることはできない。

死を覚悟した最後の日々。22年12月、NHK放送センターのスタジオで、最後のピアノソロを収録。

もうライブでコンサートをやり切るだけの体力が残されていないのも確か(略)死ぬ前に納得のいく演奏を記録することができてホッとしています。

23年1月17日、坂本の71歳の誕生日に新たなアルバムがリリースされた。

ただ徒然なるままにシンセサイザーやピアノで奏でた音源を一枚にまとめたに過ぎず、それ以上のものではないんです。でも、今の自分には、こうした何も施さない、生のままの音楽が心地よい。

坂本は、最後にこう締めくくっている。

Ars Longa,vita brevis.(芸術は永く、人生は短し)

『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』

新潮社
発行日:2023年6月20日
四六版:288ページ
価格:2090円(税込み)
ISBN:978-4-10-410603-5

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