【書評】ゴッホやモネに愛された浮世絵師・歌川広重：梶よう子著『広重ぶるう』

武家に生まれ、火消同心だった

広重は江戸時代後半の1797年（寛政9年）、武家に生まれた。安藤重右衛門（じゅうえもん）が本名で、江戸市中の警備、火災時には消火などに当たる下級役人「火消同心」だった。13歳の頃に両親を相次いで亡くし、若くして家督を継ぐ。火事場では炎にあぶられ、命がけの仕事だ。

画才は幼くして持っていたのだろう。10歳の時に、琉球から来た一行の行列を描き、父や母に褒められた。15歳の頃、当時の浮世絵界の中心は「歌川」だったので、人気絵師、歌川豊国に弟子入りを試みたが、門前払いとなる。一門の歌川豊広の門をたたき、持参した画帖を見せると、入門が許された。それから1年で師匠豊広の「広」と、重右衛門の「重」を取り、「広重」が誕生した。

火消同心を続けながら、初めは師匠の影響で役者絵や美人画を描いた。しかし、作品は「似てない」「色気がない」と酷評された。鳴かず飛ばずの貧乏暮らしが続く。

独ベルリンからの「ベロ藍」との出会いが転機

広重の転機となったのは、舶来の藍（あい）色の絵具との出会いである。今のドイツ・ベルリンで作られたので、当時の日本ではベルリンの藍、「ベロ藍」と呼ばれた。従来の藍の青色とは違い、水になじんで濃い色から薄いものまで色の調子を変えることができる。高価だが、いち早く目をつけた葛飾北斎がこの色で霊峰富士を描き、評判となった。

このベロ藍を、広重は景色を彩る色として使おうと考えた。これで空を描こう。海や川も。名所絵は絵師としては一段落ちるとされていたが、ベロ藍で勝負したい広重。しかし、高価なベロ藍を使わせてくれる版元が見つからなかった。

広重が浅草の北斎宅を訪ねた。北斎は37歳年上の人気絵師だが、まだ無名の広重がライバル心を燃やして問答を挑む。

広重「北斎先生の富士は、画（え）として魅せられるが、あれは名所絵でしょうかね？　ベロ藍にしても、おれはああいうふうには使わねえ。あの藍を用いて、これから真の名所を描きます」

北斎「おれぁな、てめえみてえな、青臭え奴を相手に画を描いているわけじゃねえ。おれの富士はおれの富士だ。おれは富士だけを見て、富士だけを描いているんだ」

その後も浮世絵界の二大スーパースターは火花を散らす。

妻がつかんできた『東海道五拾三次』

広重になかなか名所絵の依頼が来なかったが、糟糠（そうこう）の妻、加代が大仕事をつかんできた。加代が通っていた質屋の縁戚の版元、保栄堂が、日本橋から、東海道の53の宿場、そして京の三条大橋の55枚のそろいものを描いてほしいというのだ。

「画題は『東海道五拾三次』で、どうでしょう。ベロ藍もふんだんに使っていただいて結構」と保栄堂。広重はお役目で京に上り、東海道を下って帰ってきたことがあり、各宿場も画帖に写してきたので、早速、大作に取り組んだ。

こうして1833年（天保4年）、『東海道五拾三次』は日本橋から発行されると、大当たりとなる。次の宿場の作品を出すたびに売り切れとなった。人気絵師となった広重のもとに、多くの版元が「描いてくれ」と押し寄せた。

その6年後、江戸の名所絵を描いていた時、絶頂期の広重に不幸が起きる。妻、加代が急死した。注文された画も描かず、やつれた広重を見かねた周囲が、加代の一周忌が過ぎて、旅に送り出した。

復調した広重は再び描き始める。ベロ藍を巧みに使う広重を、版元は「北斎ぶるう、ではなく、いまや広重ぶるうですな」などと言った。もちろん「ぶるう」は、青の「ブルー」である。

江戸の風景を愛し続けて

やがて奉公人の女性とわりない仲になる。広重の妹が離縁して、6歳になる娘お辰を預けにきた。50歳を過ぎて子のなかった広重は、お辰を養女にしてとてもかわいがった。

ところが、妹の別れた夫には吉原で50両を超える借りがあり、借金取りがやって来て、とんでもない要求をする。

「返せないなら、お辰さんに返していただきます。それも駄目なら、師匠の筆でお返しいただくというのは」と、広重に枕絵を描くよう迫った。名所絵師広重は、一世一代の決断をする──。

本書には、江戸っ子で人情味ある広重が生き生きと描かれている。江戸の風景を愛し続けた男だった。著者は晩年の広重を描いた最終章で、こう書いている。

「おれはやはり江戸を描く。東海道で日の目を見たが、最後の画にするのは江戸の風景だ」

『広重ぶるう』

新潮社
発行日：2022年5月30日
四六変型判：359ページ
価格：2310円（税込み）
ISBN:978-4-10-336854-0