【書評】ブラピ主演映画の原作となった日本のベストセラー小説：伊坂幸太郎著『マリアビートル』

ブラピ演じる主人公のレディバグ（てんとう虫の意・原作では天道虫）は、久々に仕事復帰した殺し屋である。格闘技に秀でているが、なぜか、いつも仕事中に不運にみまわれてしまうというツキのない男だ。舞台は、東京発京都行きの新幹線を思わせる弾丸列車の車中となる。彼が請け負った仕事は、至極簡単なもので、東京駅で列車に乗り込み、指定されたブリーフケースを盗んで次の品川駅で降りることだった。

ところが、首尾よくケースを奪ったものの、下車しようとした瞬間、乗り込んできたメキシコ人の殺し屋に阻まれ、車内で格闘する羽目に。さらにはケースの持ち主である凄腕の殺し屋コンビ、タンジェリン（原作では蜜柑）とレモン（同檸檬）に追われ、なんとか数少ない停車駅で下車しようとするものの、そのたびにアンラッキーないざこざにまきこまれ、降りようにも降りられない。

この列車には、他にもそれぞれに依頼を受けた殺し屋が複数乗り込んでいる。タンジェリンとレモンは、暗黒組織の大ボスからの指示で、誘拐された彼の息子を奪還、身代金の入ったケースも取り戻し、息子を連れて大ボスの待つ京都へ向かうところだった。さらには中年の殺し屋キムラ（原作では木村）も、謎の少女とともに車内にいた。

キムラは、息子を人質に取られているために、少女の思うままに操られ、ある人物の殺人を請け負わざるをえない。大ボスの息子の命を狙う、毒使いの殺し屋も機会をうかがっていた。そうした彼らが、どうした因縁なのか、疾走する弾丸列車内で相まみえるのである。そこにこの物語の面白味がある。

舞台は東京発盛岡行きの東北新幹線

『ブレット・トレイン』は、これぞハリウッド映画！というべき、スピード感溢れるノンストップ・アクション・エンタテインメントに仕上がっており、最大の見どころはレディバグと殺し屋たちが、次々と狭い車内で繰り広げる迫真の格闘シーンだろう。そう書くと、凄惨なシーンばかりを思い浮かべるかもしれないが、登場する殺し屋は原作のテイストを生かし、いずれもコミカルなキャラクターになっている。

ストーリー展開は、ラストをのぞいて原作とほぼ同じである。では、どこが違うのか。映画を鑑賞しての違和感は、そもそも原作では舞台が東京発盛岡行きの東北新幹線となっていることだ。伊坂幸太郎は東北在住の作家なので、東北新幹線に思い入れがあるのだろう。東海道の華やかな大動脈を行く弾丸列車と、東京から北へ向かうローカル色の強い東北新幹線とでは、そこに漂う情感もまったく異なってくる。

天道虫が最初に降りそこなう駅は上野で、そこから大宮、仙台、新花巻などを経て終点の盛岡へと向かっていく。原作では、登場人物それぞれの人物描写が丁寧で、疾走感というよりも物語はゆったりと進んでいく。殺し屋の話ではあるのだが、どこかほのぼのとした暢気（のんき）な印象さえ受けるのだ。

天道虫は30代の、腕は立つものの運に見離された冴えない男である。彼は仕事の依頼を仲介する真莉亜（まりあ）の指示を受けて東北新幹線に乗車するが、終着駅まで続く、このふたりの携帯電話を通じた会話は当意即妙の面白さ。蜜柑と檸檬の掛け合いも滑稽である。「機関車トーマス」の熱烈なファンの檸檬は、トーマスを人生の教訓としている。このトーマスにまつわる挿話（映画でもこのアイデアが取り入れられている）が、物語の進行上、ある謎を解く重要なカギになってくる。

陰湿でねじれた悪を描く

映画に登場する謎の少女は、原作では「王子」と呼ばれる中学生の男子だが、木村を指図するこの少年が、いまの日本の陰湿でねじれた悪を象徴する存在になっている。これが本作の隠れたテーマでもあり、ここが映画と原作の一番の違いである。殺し屋など悪としてはまだわかりやすいというものだ。彼らは、それぞれが違った目的で列車に乗り合わせていながら、ある必然で、ひとつの結末へと導かれていく。

ざっと読みどころを紹介したところで、伊坂幸太郎の世界を堪能できるのは、丹念に描写を重ねた活字ならではということになる。本作は、英国で翻訳出版されており、5月には英国推理作家協会賞（ダガー賞）翻訳部門の最終候補にも選ばれている。海外でも評価される優れたエンタメ作品ということだ。

『マリアビートル』

KADOKAWA
発行日：2013年9月25日
文庫版：592ページ
価格：836円（税込み）
ISBN:978-4-04-100977-2