【書評】退位前の天皇ご夫妻が主役の“表現の限界”に挑んだ問題小説:森達也著『千代田区一番一号のラビリンス』
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書名の意味は「皇居の迷宮」
この本の題名は、正確ではないが皇居の所在地で、ラビリンスは迷宮、迷路を意味するから、「皇居の迷宮」といった内容になる。
読者は初めから驚かされる。テレビCMを見ている夫婦の何気ない会話で始まるが、二人の名前から、なんと天皇ご夫妻の会話だった。本当にご夫妻はこんなに庶民的な会話を交わされているのだろうか。
次の場面では、皇居近くの日比谷通りの交差点で、天皇が護衛も付けずに一人で歩いている。そして、皇居の坂下門から、警備する皇宮警察官に挨拶して、中に入っていく。決して現実にはあり得ないシーンが続く。
一方、本書の主人公で、著者本人と思われる「森克也」が憲法1条、日本の象徴である天皇に関するテレビのドキュメンタリー番組を計画していた。この企画の難関は、天皇と会って映像を撮ることにあった。
細かい経過は省略するが、克也の願いがかない、皇居で天皇ご夫妻と対面し、撮影の許可をお願いする。2日後に皇后からメールが届く。週末に、「撮影同行者は女性一人だけ」というご夫妻の指定通りに、克也は親しい桜子と共に皇居に行く。
そして、「穴に潜るから一緒に来てください」という天皇ご夫妻との4人による皇居地下の探索が始まる。1945年8月の終戦を決定した御前会議が開かれた「御文庫付属庫」も出てくる。3時間余の幻想的なピクニックを終えて、無事生還。だが後日、桜子が突然、姿を消す。そして、とんでもない事件が起きてしまう――。
出版社に断られ続け
作中に「カタシロ」という不思議な生物と思われるものが、何度も現れる。しかし、見える人にしか見えず、多くの人は気付かない。天皇ご夫妻と、克也にはよく見える。克也がご夫妻と会えるきっかけになったのも、このカタシロが関係しているようだ。
でも、読者にはカタシロの正体がわからない。「象徴天皇制」のような、あいまいな存在なのかもしれない。
本作は、あくまでも著者の「妄想」に基づく小説である。しかし、登場人物が天皇、皇后両陛下(当時)であることに、本書の特徴がある。内容は荒唐無稽な点が少なくないが、天皇制、天皇の問題についてもたっぷり触れている。
著者は本作執筆の経緯について、「天皇の退位が現実味を帯びてくる中で、何か書けるのではないかと考えた。僕の妄想を文字にする。それはいけないことなのか。何度考えても、いけない理由がわからない」「天皇制について議論が不自由な状況の中で、研究書や論文などとは違った形で出したいと思って小説にまとめた」と語っている。
ストーリーの展開は、テレビ局で憲法1条をテーマとしたドキュメンタリー番組の企画が通り、その後、企画がボツにされた著者の実体験をもとにしている。著者は天皇退位の前に出版したいと考え、文芸誌を持っている出版社はほぼ全社回ったが、断られ続けたと明かした。また、出版後も天皇と皇后が登場する異色の作品でありながら、さほど話題にもならず、書評などにもあまり取り上げられていない。
表現の自由に投じた一石
天皇が登場した小説では、『風流夢譚』を巡り1961年に殺傷事件が起きた。主人公の夢の話だが、とても激しい場面が波紋を呼び、「言論・表現の自由」や、出版の自主規制が問題となったことがある。
本書には、そのような激しいシーンはない。主人公の克也が「僕はあのお二人が大好きだ」「むしろ守りたい」と語っており、著者が両陛下に好意的な考えを持っていることが感じられる。それでも、天皇を登場させる小説は、「菊のタブー」で許されず、“黙殺”されるのか。
これは無理な話だが、もし皇室の方から読後感想をお聞きすることができたら、と思う読者も少なくないだろう。
著者はこの「皇室小説」で、表現の自由に一石を投じた。
※参考資料(著者インタビュー):『週刊金曜日」(2022年4月8日号)、『創』(2022年6月号)
『千代田区一番一号のラビリンス』
森達也著
発行:現代書館
四六判:382ページ
価格:2420円(税込み)
発行日:2022年3月20日
ISBN:978-4-7684-5913-3