【書評】「データ正義」を取り戻す:デイヴィッド・ライアン(著)、松本剛史(訳)『パンデミック監視社会』

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髙林 睦宏 【Profile】

新型コロナウイルスの世界的流行は3年目に入っても収束が見通せず、死者は既に620万人を超えた。パンデミックは世界を、私たちの暮らしを大きく変えたが、その最たるものが監視社会化だ。確かに感染防止策やリモートワークはデジタル技術による「可視化」と言える。そこには国家権力とともに、「GAFAM」と総称される大手ITプラットフォーマーがいる。収集・利用される膨大な個人データは新たな選別や差別、分断をもたらさないのだろうか。

コロナ対策が生んだ監視社会

著者は監視社会論を専門とするカナダの社会学者。世界中から集めた情報に鋭い洞察を加え、コロナ下での監視社会の実態を描き出した。ワクチン接種や感染者隔離という医療的措置とともに、多くの国が感染拡大防止策の切り札としたのが、スマートフォンなどモバイル端末による接触確認システムだった。感染経路の追跡や感染拡大の予想にも役立つ。まさに情報革命の“賜物”であり、国や地域でシステムや監視内容は違うが、世界70カ国以上で導入されたという。

本書によれば、接触確認システムは中央集権型と分散型に大別され、使用義務付けなどの有無、データ取得の幅や深度などで、市民への統制度合いには差がある。中央集権型の代表格は中国の「健康コード」で、店舗などあらゆる場所でQRコードを読み込んで体温測定を受け、緑色の表示ならOK、黄は自宅隔離、赤は指定施設行きだ。名前やID番号などの登録個人情報と照合されている。これに監視カメラ、顔認証、電子決済記録、GPS(位置情報)、ウエララブル端末などのデータが結び付けば、それこそプライバシーは丸裸同然になる。

中国ほどでなくとも、韓国やバーレーン、イスラエル、パキスタンなども中央集権型で、中にはシステムの運用に軍や治安機関が関与している国もある。片や、分散型は米国の一部州、カナダ、英国、ドイツ、イタリアなど主に欧米先進国などだ。これも差はあるが、プライバシー保護の観点から当局の関与は限定的で、アプリの採否や通知、感染時の登録なども比較的緩い。

中央集権型と分散型。示される国家群やその規制内容、国民の反応などを見て分かるのは、各国の民主主義や基本的人権に関わる歴史や文化、人々の意識や政治・社会制度の程度と明らかに相関関係があることだ。戦争同様、パンデミックという非常事態下で国民をどう扱うかということだから、当然だろう。

監視の目は家庭など日常にも

監視は接触確認アプリにとどまらない。それは「家庭内への監視が増大した」ということで、典型的にはリモートワークやオンライン授業に伴う監視を指している。従業員や学生らがちゃんと自席にいるか、どんなアプリを使っているか、何を学習しているのか―などをチェックするモニタリングツールだ。

一定時間ごとに本人の端末のカメラが勝手に作動し、こちらの映像を送るという怖いものまである。こうした監視ツールの需要がコロナ禍でぐんと増えたという。

外出制限でオンラインショッピングも増えた。日々の食事から日用品まで、利用頻度は従前とは比較にならない。利用者が人数、年齢、階層などすべてで広がったことを意味し、プラットフォーマーにとっては、通常入手しにくい、つまり利用価値の高い嗜好や属性の個人データが容易に入手できたというわけだ。

技術は人間のために

データ主義やテクノソリューショニズム、そして監視資本主義を批判する著者。とりわけ注意喚起するのは、データ処理に使うアルゴリズム自体に誤りや偏向が含まれる可能性だ。アルゴリズムの条件や内容が明らかにされることはまずないが、例えば人種的偏向が何らかの形で反映される可能性はある。

コロナ関係でも個人や集団、地区ごとの感染リスク評価の際、人種的特徴、ジェンダー、居住地域、社会階層、経済状況などのデータが影響するかもしれない。それで行動制限や医療的ケアに差が生まれれば、周縁部の人々の不平等感は増す、と著者は見る。移動や経済活動の制約、ワクチン接種の義務や順番などに差が出れば、民主主義の観点から内容も手続きも問われるということだ。

では、私たちはどうすべきか。著者は、コロナ対策が成功した台湾、そうではないブラジルでの事例に希望の芽を見出す。台湾では、専門家と市民(シビックハッカー)が公開データで開発したソフトでマスク不足騒ぎを抑え、デジタル公共政策への参加モデルを生んだ。

ブラジルでは、指導者の失策による悲惨な感染状況の中でも、不透明で旧態依然たる監視システムに対して市民団体が政府に抗議し、パンデミック時の個人データの利用について議論を始めているという。

キーワードは「データ正義」である。著者自身「ありきたり」だが、としつつこう強調している。「枠組みは技術ではなく、人間を主体とするものであるべきだ。言い換えるなら、技術は人類の繁栄のために創り出されるもので、その逆であってはならない」。このことに尽きるのだろう。

『パンデミック監視社会』

デイヴィッド・ライアン(著)、松本剛史(訳)
発行:筑摩書房
新書判:256ページ
価格:924円(税込み)
発行日:2022年3月10日
ISBN:978-4-480-07468-3

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    ジャーナリスト。1953年、愛知県出身。東北大卒。時事通信社の社会部、サンパウロ支局、文化部などで記者、編集者。2013年退社し、フリー。主な関心領域は、表現の自由やプライバシーなどの憲法問題、事件・司法関係。

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