【新刊紹介】皇族妃が奔走した娘たちの結婚:林真理子著『李王家の縁談』

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女性皇族の結婚は、今も昔も難しいものだった。皇太子(後の昭和天皇)のお妃候補の一人でもあった娘の結婚に奔走した梨本宮伊都子(いつこ)妃が主人公。泣いて嫌がる長女を説得して、日韓併合後の朝鮮王族、李王家の王世子(皇太子)に嫁がせ、さらに李王家の姫の縁談もまとめていくのだが…。

異国の皇太子と長女の縁談

伊都子妃は佐賀藩主の鍋島家の出身。「鹿鳴館の華」と呼ばれた母を上回る美貌で知られ、宮家の梨本宮守正王と結婚した。幼い頃からを書き続けた日記をもとに、本書は書かれたので、史実に近いことが記されているという。

皇太子妃が久邇宮良子女王(昭和天皇の皇后)に決まったとの情報に接し、伊都子は14歳の長女、方子(まさこ)が選にもれたことを知る。大正5年(1916年)のことだ。良子女王の父の久邇宮は、守正王の兄で、兄弟の娘たちはいとこだった。

「こうなったら、まあさん(方子)のお相手をすぐに決めなくてはなりません」。出来れば皇太子妃の発表の前、方子が「選ばれなかった娘」となる前に。伊都子の奔走が始まった。

朝鮮王の弟で王世子の李垠(イ・ウン)は少年の時から留学という名目で日本に来て、軍人の道を歩んでいた。守正王も後に元帥にもなる軍人で、李垠が何度か守正王の宿舎を訪ねてきたことがあった。伊都子は、他国といえども皇太子なのだからと、長女との縁談を進める。しかし、周囲は反対し、方子も「よその国の方に嫁ぐ気はありません」と承知しない。

だが、「日朝融合の証」としてご裁可となり、婚約を伝える新聞を見て方子は部屋に閉じこもる。伊都子は方子にこう言って説得した。

「私たち皇族は、命を懸けても陛下をお支えする。この日本という国を守らなければいけない立場なのです」

方子は一言も口をきかなかったが、学校で級友が異国の皇太子に冷たいので、負けん気をかきたてられた。

「私はつくづく王世子さまがお気の毒になりました」。方子の心が和らぎ、大正9年に結婚となる。しかし、梨本宮家にはいやがらせの電話や、脅迫状が届き、塀には「国賊」と落書きされた。また、王世子と方子を乗せた馬車に、朝鮮人の青年が手榴弾を投げつけた。不発に終わったが、朝鮮では反日の朝鮮独立運動が広がっていた。方子は男児を産み、一家3人で海を渡って京城の宮殿に入るが、将来の王となるはずの幼子は毒殺された。

皇太后も4人のお子の縁談に苦労

王世子の12歳になる妹が朝鮮から上京すると、伊都子はかわいがる。だが、その姫は夜中に悲鳴のような声をあげ、精神的に病んでいた。投薬で一時的に回復してきたので、伊都子は姫の縁談を考えるようになる。時代は昭和に移っていた。

朝鮮の姫を心に留めている、もう一人のお方がいた。大宮、つまり皇太后である。伊都子は大宮御所に呼ばれ、二人は姫の縁談について話す。伊都子は李王家のために骨を折り、皇太后の里(九条家)に縁故のある華族との結婚を実現させた。

皇太后こそ、昭和天皇をはじめ4人のお子の縁談に苦労されていた。伊都子にこうおっしゃる。

「女親にとって、子どもの相手を決めることぐらい、難しくて楽しいことはありませんからね」

「あれこれ考えると、夜も眠れないこともありました。(中略)子どもの相手を決めることは女の仕事ですからね。その点、伊都君(ぎみ)さんはご立派におやりになりました」

実は、大正天皇が皇太子だった新婚の時、何度も伊都子がいた鍋島家別邸に行き、それを節子妃(後の皇太后)が腹を立てたという。そんな過去を持つ皇太后と伊都子の会話を、著者は見事に再現させている。

これまで方子は「日韓融和のための政略結婚」を強いられた悲劇の女王とされてきたが、本書は定説を覆して、母の伊都子が主導した結婚だったことを明らかにした。女性皇族の視点に立つ大正、昭和の皇室の一面が巧みに描かれている。

なお、この本の表紙中央に描かれたのが伊都子、その右側が方子夫妻、左側が朝鮮の姫夫妻である。

新刊紹介『李王家の縁談』
新刊紹介『李王家の縁談』

発行:文藝春秋
発行日:2021年11月25日
256ページ
価格:1760円(税込み)
ISBN:978-4-16-391466-4

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