【新刊紹介】再発見!文豪夏目漱石の魅力:伊集院静著『ミチクサ先生』
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「きみの目指すところが、さしずめ、あの築山のてっぺんだとしよう。なら誰もが真っ直ぐここからてっぺんにむかって歩くはずだ。でも私は、そんな登り方はつまらないと思うんだ」
熊本県の五高で英語教師をしていた夏目漱石は、教え子で後に生涯の友となる寺田寅彦にそう説いた。いろいろ経験せよ。「道草(ミチクサ)」の薦めである。
この後、漱石はロンドンに2年間留学し、東京帝国大学で英文学の教鞭をとるが、自身の進むべき道は定まっていない。なお、ミチクサの連続である。
物語は、ユーモア溢れる著者の筆の運びで軽快に進んでいく。
漱石は、慶応3年1月、東京牛込の町名主の末っ子として生まれたが、両親が年老いてからできた子だったので、「恥かきっ子」「用無し」と呼ばれ、幼くして奉公人の家に養子に出されてしまう。少年期の漱石は、寄席や芝居小屋に入り浸るも飛び級するほど学業優秀だったのだが、実父から借金をして東京帝国大学に進むことになる。その返済のため、松山そして熊本で英語教師となった。
本作の読みどころは、帝国大学での正岡子規との邂逅(かいこう)であろう。両者の厚い友情が、エピソード満載で描き出されており、その会話のやりとりは心温まるものであると同時に、芸術(俳句と文学)とは何かという問いへの、著者の解答がそこにこめられているように思う。
ロンドン時代の西洋絵画鑑賞、とくにミレイの「オフィーリア」との出会いは鮮烈で、その体験が漱石を覚醒させ、彼の作品群に色濃く投影されていく。
しかしながら、私がいちばん好きな場面は、五高の教師時代に見合い結婚した鏡子との暮らしぶりである。自宅の庭で寄り添って草花を眺め、迷い猫を愛でるほのぼのとした光景や、ちょっとした諍いもほほえましい。そんな鏡子の存在が、漱石の小説家への道を後押しした。ふたりで三浦半島の海岸を旅したとき、見事な夕景を眺めて彼女はこうつぶやいた。
「旦那さまならこの美しさをどんなふうに書かれるのか、ぜひ読んでみとうございます」
思わずため息がもれる、美しい描写である。のちに、『吾輩は猫である』が世に出るのは明治38(1905)年1月、漱石38歳のときであった。
本作は、美と文学を探求してきた著者の集大成ではないかと思う。余計な感想ではあるが、かつて私は伊集院先生を担当したことがあるだけに、ここに描かれた漱石の言動そのものが、これまで「ミチクサ」を経て今日に至っている著者自身に重なってみえるのだ。
発行:講談社
発行日:上下巻とも2021年11月15日
四六判:上巻301ページ、下巻291ページ
価格:上下巻とも1870円(税込み)
ISBN:上巻978-4-06-525722-7、下巻978-4-06-525743-2