明治の女性画家・山下りんの生きざま:朝井まかて『白光』―芸術と信仰のはざまでもがきながらも見いだした「道」

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『眩 くらら』(2016年)で、天才絵師・葛飾北斎の画業を陰で支えながら、全身全霊で自分自身の絵を模索し続けた北斎の娘・応為を描いた朝井まかてさん。最新刊の『白光』(文藝春秋)は、日本初のイコン(聖像画)画家、山下りんの波乱に富んだ生涯を追う。幕末に生まれ、激動の明治を自らの意志を貫いて生きた女性の姿が鮮烈に浮かび上がる力作だ。

朝井 まかて ASAI Macate

1959年大阪府生まれ。2008年小説現代長編新人賞奨励賞を受賞して作家デビュー。14年、樋口一葉の師としても知られる歌人・中島歌子を描いた『恋歌』で直木賞。18年『雲上雲下』で中央公論文芸賞など、数々の文学賞に輝く。最近の作品は幕末に活躍した女商人の物語『グッドバイ』、森鷗外の末子の生涯を描いた『類』など。20年、曲亭馬琴を描いた『秘密の花壇』を日本経済新聞で連載。

「死なば死ね。生きなば、生きよ」―山下りんが残したこの言葉が、朝井まかてさんを突き動かした。

「山下りんを描いてはと編集者から提案された時、最初はためらいました。女性絵師については『眩』で描き切った感がありましたから」と朝井さんは振り返る。「迷っている最中にりんがロシアに渡る船の中で記した日記を読み、この強烈な覚悟の言葉に引き付けられたんです」

「とてつもなく高く険しい山だった」

山下りんは安政4年(1857年)、笠間藩(現在の茨城県笠間市)に武士の娘として生まれた。幼い頃から絵が好きで、15歳の頃に画業を志し、「明治の世にて、私も開化いたしたく候(そうろう)」と家出までするが、連れ戻される。後に再び上京を果たし、浮世絵、日本画、洋画を学ぶ。

明治10年(1877年)日本初の官立美術学校・工部美術学校に女子一期生として入学。翌年友人の誘いで東京・神田駿河台にあるロシア[ハリストス]正教の教会を訪ね、宣教師ニコライと出会う。間もなく洗礼を受けたりんは、同13年、ニコライの推薦を受けてイコンを学ぶためにロシアのサンクトペテルブルクに留学した。

「女性絵師は描いたことがあっても、信仰について書いたことはありません。ロシア正教のことをよく知っているわけでも、ロシア文学に造詣が深いわけでもない。とてつもなく高い山に登るようなものだとは分かっていましたが、想像を超える険しさでした。時に滑り落ち、傷だらけにもなりましたけれど、いま振り返ると、とても充実していました。密度の濃い日々でした」

膨大な資料に当たり、サンクトペテルブルクにも取材して、りんがイコンを学んだ女子修道院などを訪れた。小説に登場するのは全て実在した人物だ。急速に西洋文化を吸収していった明治時代の日本と当時の日露関係を背景に、家族、工部美術学校の友人、ニコライをはじめとするロシア人司祭や修道女など、りんの人生に深く関わった人々が生き生きと描き出される。それぞれの人物像、人間関係にリアリティーを与えるのは、作家としての豊かな想像力と洞察力だ。時には新たな解釈を生む。

「りんは克明に滞露日記をつけていましたが、あまりのやるせなさゆえに“心悪シ”とのみ書きつけてあることも。その時一体何が起きたのか、周囲の心情も想像しながら描写していきました。自らが想像した場面であっても観察者に徹し、写生していくという感覚です」

ロシア人修道女たちとの対立

修道院の工房で、来る日も来る日もギリシャの古いイコンを模写するようにと言われ、りんは修道女たちに反発する。近代西洋画を志し、その技術を習得したいと願う彼女には、昔ながらのイコンは平板で稚拙にしか見えず、嫌悪感すら抱いたのだ。結局、当初5年間の予定だった留学は、1年半で終わる。

「絵画技術の成熟前に生み出されたイコンですから、彼女が学びたいものじゃない。しかも生来の才能に恵まれて本当に巧(うま)い人ですから、下手な絵が嫌いなんです(笑)。ロシア語もままならないのに指導の修道女に逆らい、堂々と抗議もします。明治の女性は本当に強いですよ。ただ、当然のこととして、りんは “可愛くない留学生” になる。やがてストレスで体調を崩し、失意のまま帰国します。修道女たちについては “敵対関係” にあったと語られることが多かったのですが、私はロシア革命が気になっていました。教会や修道院が弾圧され、修道女たちも大変な迫害を受けたからです。革命時、りんはもう60歳ですけれど、何を思ったのだろう。それが分かる資料は残っていません。ロシア取材の間、ずっとそのことを考えていました」

ニコライ主教との親交についても、詳細を記した資料はない。

「りんは帰国後、日本で唯一の聖像画師になりますが、留学までさせてくれた教会を出てしまいます。そして、あまり時を経ずに教会に戻りました。私にはその理由も謎でした」と言う。

当時の留学帰りの女性が世間の理解を得るのは難しく、経済的に自立して生きるのは至難の業だ。だが、腕のたつ画家であるりんは、翻訳本の挿絵や肖像画、石版画印刷の下絵など明治日本ならではの仕事に携わっていた。経済的な理由で教会に戻るほど切羽詰まった状況ではなかったはずだと、朝井さんは推察した。 

「りんが教会を出ていた頃、ニコライは駿河台の大聖堂建設を巡り、古い信者との間で軋轢(あつれき)が生じていました。莫大(ばくだい)な費用を投じて聖堂を建てるなら、苦しい生活に耐えながら信者を支えている地方の教会に回してやってほしいと嘆願されたのです」。りんは、孤立した恩師を支えるために教会に戻ったのではないか。

東北なまりの日本語で話し、日本の信者のための聖像画は日本人画師が描くことが大事と説くニコライ主教を、りんは信頼し、尊敬を深めていく。

「彼は、古き良き日本の習慣や言葉、まさに“日本人の魂”を尊重しました。神道も仏教も儒教も否定せず、積極的に学びました。理解しようとしたのです。あれほど日本人を愛したロシア人はいません。森や風などの自然に神を思うのはあらゆる信仰の原点で、そういったロシアの土着信仰は正教にも吸収されています。ニコライは懐かしさも感じていたのではないでしょうか」

「ニコライは生涯を懸け、聖書、儀式などの文言を和訳し続けました。その手伝いをしたのが大阪の漢学塾、懐徳堂出身の中井木菟麿(つぐまろ)です。漢学は江戸時代の文人の背骨のようなものでした。ロシア正教の聖書や儀式で使われている言葉には、江戸の文化が残っているのです。明治は江戸と海外の文物をシャッフルし、咀嚼(そしゃく)していまに引き継ぐ役割を果たした時代ですが、ニコライもその一端を担ったと言えます」

自己表現しての芸術とイコンの無名性

りんは画業で身を立て、生涯独身を貫いた。

「明治以降、日本は天皇を頂点とした国体を構築し、庶民家庭でも家父長制が強化されて“良妻賢母”の価値観が喧伝(けんでん)されるようになりますが、りんは早くから絵師として生きる道を選んでいます。絵を描くこと以外に何も要らない、望まない。そんな生き方を、あの時代に笠間の家族がよく許したと思います。そこから兄や母の人物像が見えてきます」

「彼女は近代的自我を持つ女性であり、洗礼を受けたのも西洋文化としての教会に魅了されたからではないかと思います。そして芸術を学びたい一心で留学した。芸術は究極の自己表現です。ところが聖像画は真逆で、無署名、無名が基本、画師は没我して臨まねばなりません。書いているうちに、いろいろな命題が浮かびました。彼女の信仰心はいつ発露したのか?そして、いつ、真の聖像画師になり得たのか?」

トマトを育て、酒を飲む晩年の日々

夏目漱石の『それから』に登場し、与謝野晶子が歌に詠んだニコライ堂は、関東大震災で崩壊した。山下りんが制作したイコンも4点あったが、この時の火災で消失したという。1929年に当初の意匠を最大限に生かしたビザンチン様式で再建された。

東京・神田駿河台の「東京復活大聖堂(ニコライ堂)」(PIXTA)
東京・神田駿河台の「東京復活大聖堂(ニコライ堂)」(PIXTA)

現在、北海道の函館ハリストス正教会をはじめ各地の正教会に残されているりんの作品は数百点にのぼる。無署名だが、専門家の長年の研究により彼女が描いたと分かったものだ。目鼻立ちが柔らかでどこか日本人のような顔立ちのキリストや聖母が描かれ、全体的に温かみを感じさせる。 

ロシアにも、りんの作品が1点残っている。1891年、ニコライ皇太子(ニコライ2世)が来日した際に献呈された『ハリストスの復活』だ。ロシア革命後長らく行方不明だったが、戦後、ニコライ2世の遺品として、エルミタージュ美術館に保管されていることが分かった。ぺテルブルク時代、りんは洋画の模写のためにエルミタージュに通った時期がある。聖像画師としての足跡が、憧れてやまなかった場所に残っていることを思うと感慨深い。

白内障を患ったりんは、62歳で笠間に戻って隠居生活に入り、82歳で生涯を閉じるまで一切制作はしなかった。

「本作を書きながら、りんと共に生きている感覚がありました。ですからごく自然に、ラストのシーンに至りました。芸術と信仰のはざまで揺れ、苦しんだ彼女が晩年に達した境地です。私も祈るような気持ちで書いていました」

大好物の“タマートゥ”(トマト)を畑で育てながら、日本の神々が宿る自然を愛(め)で、時に野に向かって十字を切る。そして毎夕、二合の酒を欠かさない。

「偶然ですが、葛飾応為も酒が好きだったという伝承が残っており、りんも相当に強かった。私はほぼ下戸ですけど、酒飲みは大好き。もしお酒に強かったら、私も飲みながら執筆するでしょうね」と言って朝井さんは笑った。

バナー写真:作家の朝井まかてさん(文藝春秋提供)

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