【書評】食べることは、生きること:辻仁成著『父ちゃんの料理教室』

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幸脇 啓子 【Profile】

10歳の息子を抱えてシングルファーザーとなった著者が選んだ、息子の涙を止める方法は、「毎日料理をすること」。息子のために作り続けたとっておきのレシピと、思いを綴ったエッセイを読むうちに、不思議とキッチンに立ちたくなる。さあ、ボナペティ!

父、芥川賞作家。
パリでティーンエージャーの息子と二人暮らし。

「料理教室」とのタイトル通り、本書の目次には食欲を刺激するメニューがずらりと並んでいる。

トマトとツナのパスタ。
キッシュ・ロレーヌ。
ラタトゥイユ。
ポム・ドーフィン。
辻家の定番、アメリカン・クッキー。

もちろん、レシピも載っている。
添えられたエッセイを読めば、作りたくなることも間違いなし、だ。
(すぐにいくつか作ってみたが、とてもとてもおいしかった)

が、本書の「芯」はそこではない、と思う。

本そのものが、妻、そして母が去った後にふたりきりで取り残された父子の再生の記録であり、エッセイ一編一編は、多感な時期を過ごす息子に向けた、父からの愛情をたっぷり詰めこんだメッセージだ。

こんな料理本は、きっとほかにない。

一日中、キッチンに火を灯す

母を失い、ものをあまり食べなくなった当時10歳の息子のために、著者は毎日料理を作ろうと決める。

“落ち込んでいられなかった。ぼくがここでがんばらないと家族が崩壊してしまう。だから、一日中、キッチンの火を消さなかった。キッチンの横に小さなテーブルを買い、そこにパソコンを置いて、煮込み料理などをしながら、ぬくもりを消さないように必死だったのだ”

はじめて息子が「美味しい」と頷いたトマトとツナのパスタ。
二人暮らしをするようになって、「食べたい」とよくせがまれたキッシュ・ロレーヌ。
野菜嫌いを克服したきっかけのラタトゥイユ。
17歳の息子と話しながら作るポム・ドーフィン(ジャガイモで作るフランス風ドーナツ)。
昔からキッチンのガラス瓶に入っている、アメリカンクッキー。

載っている料理は美味しさで食卓を彩ってきただけではなく、息子と父との会話や思い出と繋がる、辻家にとっては特別なメニューばかり。

食べることは、生きること。
そう実感する。

父の作る料理をともに食べながら、二人は傷を癒やし、笑顔を取り戻していった。
いまや息子は17歳となり、父とともにキッチンに立つ。

“いいね、レシピは、
「レシピは神だね?」
「そう、その通り。ここまで、いいかな?」“(「濃厚抹茶のパウンドケーキ」より)

辻家のレシピは、こうやって次の世代に続いていくのだろう。
食と人生って、本当に切り離せない。

自分の幸せに気づくということ

本書に、忘れられない文章がある。

“最近、パパはちょっとだけ自分の半生を振り返ってみた。すると、とっても幸せな時があったことに気づいたんだ。その時はそれが幸せだとは気づかず、もったいないことをしたよ。今、この瞬間、自分は幸せなんだ、と気づける人のことを、幸せ者と呼ぶのだろう。逆に、はたから見たらとっても幸せそうなのに、その幸せをないがしろにしている不幸な人もいる。幸せに気づけない人は不幸だと思う“

私はいま、自分の幸せに気づけているだろうか?

そして、これまでに味わっていたとっても幸せな時を、ちゃんと気づけていただろうか?

まだ自分が小さな少女だった頃。
学生時代、友だちと騒いでいた頃。
働き始めて、一気に世界が広がった頃。
そして、結婚し子どもが生まれて……。

著者の文章と出会い、自分の半生もちょっとだけ振り返ってみる。
幸せに気づくって、とてもいい言葉だ。

たとえその時は気がついていなくても、振り返ってみて「あ、あの時幸せだった」と感じると、ほんのり胸があたたかくなる。

さて今夜は子どもたちに何を作り、キッチンや食卓でどんな話をしようか――。

「父ちゃんの料理教室」

辻仁成(著)
発行:大和書房
A5判:144ページ
価格:1650円(税込み)
ISBN978-4-479-39365-8

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    幸脇 啓子SAINOWAKI Keiko経歴・執筆一覧を見る

    編集者。東京大学文学部卒業後、文藝春秋で『Sports Graphic Number』などを経て、『文藝春秋』で編集次長を務める。2017年、独立。スポーツや文化、経済の取材を重ね、ノンフィクション作品に魅了される。22年春より、長野県軽井沢町在住

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