【新刊紹介】現役医師の作家が描くコロナ治療の最前線:夏川草介著『臨床の砦』

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マスコミで医療現場の逼迫が報道されるが、はたしてどこまで実情が伝えられているだろうか。本作は地方病院を舞台にしたコロナと戦う医療従事者の苦悩と現場の窮状を描いたものだが、いまや医療崩壊の危機は都会だけでなく地方まで及んでいる。著者は、行政の無策と脆弱な医療体制を浮き彫りにする。

この作品は、ノンフィクションかと思えるほどリアルな小説である。
著者は、長野県で地域医療に従事する現役医師であり、2009年『神様のカルテ』で本屋大賞2位を獲得するなど医療小説で部数を重ねる新進気鋭の現役作家である。本作は、著者が自らの経験をもとに綴った小説ではあるが、そこにはコロナと対峙する医療現場の最前線が克明に描かれている。

物語は18年目の内科医である主人公の目を通して描かれていく。
彼が勤務する北アルプスの麓にある信濃山病院は、地域で唯一の感染症指定医療機関だが、病床数は200床に満たず、呼吸器や感染症の専門家はいない。軽症、中等症のみを収容し、重症となれば市街地にある大規模な筑摩中央医療センターに患者を搬送することになる。

信濃山病院でコロナ患者の治療にあたるのは、内科外科の8人しかいない。しかし、年明けから患者が爆発的に増えていく。同病院は、感染病床を限界まで増やして対応するが、孤立無援のなか幾多の困難に直面する。
パンク状態の発熱外来に次いで、感染の危機に晒されながらも過剰労働で現場を支える医師と看護師は疲弊していく。高齢者介護施設からクラスターが発生し、認知症の徘徊老人を受け入れることでのさらなる負担増、そしてついには院内感染にまで及ぶ。
そうした場面々々の描写が、冷静な筆致で丹念に積み重ねられ、専門用語を交えた会話も平易でテンポよく物語を進めていく。

1月7日に1都3県に限定された緊急事態宣言が、13日には県独自の宣言も出されたものの、周辺の医療機関は二次感染と風評被害を恐れ、患者の受け入れを拒否する。クラスター発生の介護施設や治療に当たる医療従事者は、心無い誹謗中傷にみまわれる。「コロナは、肺を壊すだけでなくて、心も壊すのでしょう」とのセリフが鋭く刺さる。

「去年の感染一波、二波のときに、うまくいきすぎたんだよ・・・あの時とは比較にならない大きな波の気配があるのに、役所の対応は鈍重で、周辺の医療機関も無警戒。一般人の態度も明らかに緩んで見える」
と、筑摩中央医療センターの専門医が嘆く。
「医療とは縁のない世界で生活する人々にとって、コロナは対岸の火事のように切迫感がないのかもしれない」
と、主人公も絶望的な気持ちになる。

信濃山病院の入院患者はついには30人を突破し、とうとう死者も出る。死の間際、家族が看取ることもできず、孤独な死者は黒い袋に詰められ火葬場へ送り出されていく。その作業をするのも看護師である。

「結果として、コロナ診療は、限られた現場の医師たちの個人的努力と矜持と、わずかな人脈によって、ぎりぎりの生命線を保っていると言っていい」
最前線の砦となった信濃山病院の医師たちは、いつまで持ちこたえることができるのか。主人公のセリフに、著者の思いがこめられている。
「コロナ診療における最大の敵は、もはやウイルスではないのかもしれません。・・・行政や周辺医療機関の、無知と無関心でしょう」

本来、そうであってはならないはずだ。

小学館
発行日:2020年4月28日
四六版:206ページ
価格:1650円(税込み)
ISBN:978-4-09-386611-8

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